LGBT理解増進法案と地方自治体について
昨日6月13日、「性的指向及び性同一性の多様性に関する国民の理解の増進に関する法律案」(第211回国会衆法第13号、ただし提出時名称)(提出時法律案、修正案)が、衆議院本会議において修正の上可決され、参議院に送付されました。
本法案については、たびたび本ブログで私の思うところを記載しています(下記参考参照)。その上で、行橋市議会の小坪しんや先生が、ブログにおいて「【LGBT理解増進法】確実に起きる、地方行政の混乱(トイレ・入湯・教育)についての警鐘。国会による「地方自治軽視」に対する地方議員として異議。」) という記事で地方行政に関する懸念を表明され、「すべての国会議員の責任」についても触れておられますので、まさに一国会議員の立場において、私の思うところを記します。なお、当記事は(当ブログの他の記事もそうですが)、政府や自由民主党、もちろん衆議院等、私が所属したり関係したりする組織を代表するものではありませんので、ご留意願います。ただし、参考記事をご覧いただければわかるとおり、過去には自民党内のこの法案の立案過程の議論に参加しておりましたので、国会議員の中では多少詳しく経緯を承知している方だとは思います。
(参考:同法案に関連する当ブログにおける過去の記事一覧)
・自民党性的指向・性自認に関する特命委員会「議論のとりまとめ」等について(2016.5.4)
・自民党における性的指向・性自認の多様性に関する議論の経緯と法案の内容について(2021.6.1)
・LGBT理解増進法案と銭湯について(2023.3.3)
・LGBT理解増進法案をめぐる私見(2023.5.16)
なお同法案では修正の結果、「性同一性」という言葉は「ジェンダーアイデンティティ」という言葉に全て置き換えられました。一方で、衆議院内閣委員会における6月9日の質疑において、繰り返し、いずれの言葉もGender Identityの訳語であり意味は異ならないという提案者の答弁があることから、どの言葉を用いても制限されないものと考えています。とりあえずこの記事においては法案文の引用も多いのでジェンダーアイデンティティという言葉を用いることとしますが、性同一性ないし性自認、Gender Identityのいずれと解していただいても、差し支えありません。
●大前提として…
さて本論に入る前に、既に何度も記しているのですが、この法案の目的について確認しておきます。第一条において「この法律は(中略)、性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進」について、基本理念や国等の役割を明らかにすること云々と書いてあります。この意味は、性別を区分する要素であるところの、性的指向やジェンダーアイデンティティに関し、それが多様であり得るという「知識」の理解の増進を目指すものであり、未だにしつこくメディアが記すような「LGBTなど性的少数者への理解を深める法案」ではありません。この表現は【誤り】です。法案が政府等に要請しようとしているのは、ゲイやレズビアンの方々もおられるし、身体的な性別と自らのアイデンティティとしての性別が異なる方々も社会にはおられる、という知識を普及させることなのです。
(参考報道例)
【速報】LGBT法案 衆院本会議で与党修正案を自公、維新、国民など賛成多数で可決(テレ朝ニュース)
一方で、本法案は、ゲイやレズビアンの方、トランスジェンダーの方の意見や内心を理解しそれに従え、ということは誰にも求めていません。したがって、本法案への反対意見において「当事者の言うことを聞かなければならないような法案だから反対」という趣旨のものを散見しますが、誤解に基づく意見であるため正当な反論ではありません。
なお、もちろんどなたにとっても、個々の当事者の方々と友人になったりして人間関係を築き理解を深めていくことは、一般論として人生をより豊かにすることではないかと個人的には思いますが、それこそ法律で規定するべきことではありません。
また、差別に関しては第三条において基本理念として「性的指向及びジェンダーアイデンティティを理由とする不当な差別はあってはならないものであるという認識の下に」と記されていますが、これは日本国憲法第十四条の規定を性的指向やジェンダーアイデンティティに関して確認したものに過ぎず、具体的にどういう行動が「差別」にあたるのかということも、日本国憲法同様、特段の規定もありません。したがって、この条文は具体的な対策を政府や地方自治体に求めているものではありません。
さらにトイレや風呂等の区分についての問題や、同性婚やパートナーシップ制度、具体的な差別解消策等に関して政策的な議論はありますが、本法案はそうした議論の共通の土台を築くための知識の普及を図ることを意図したものであり、いずれの具体的なテーマに関する議論についても、この法案はそれらの是非等について日本国憲法以上に踏み込むものではありませんし、政府や地方自治体に対応を促すものでもありません。このこともぜひご認識をいただきたいと思います。
なお「不当な差別」という表現に関し、「では正当な差別があるのか」というツッコミがたまにありますが、これは差別の不当さをより強調した表現に過ぎません。個人的には「馬から落馬」的な、日本語としてあまりスマートではない表現とは思いますが、しかしそのような表現があったとしても、羊や象、ラクダ、牛などから落馬することは実態として存在しないのと同様に、「不当な差別」という表記が法律にあったとしても、正当な差別も存在しません。
●法案が地方自治体に求めていること
その前提において、第五条において、地方自治体に課している努力義務は、やはり「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する施策」の策定及び実施なのです。また具体的な施策例として、第十条において「知識の着実な普及、相談体制の整備その他の必要な施策」とされており、まさに「知識の普及」が主眼であることを大前提にした書きぶりとなっており、それ以上のものではありません。
6月9日の衆議院内閣委員会における本法案に関する質疑では、差別解消条例など既存の条例との関係が質されていました。提案者は、地方自治法第十四条を念頭に答弁を繰り返しています。地方自治法第十四条は、地方自治体の条例制定権について定めたものであり、「地方公共団体は、法令に違反しない限りにおいて第二条第二項の事務に関し、条例を制定することができる」とされています。この理解増進法案は、あくまでも地方自治体に対しては理解増進に関する努力義務しか課していません。したがって、法令違反になり得るのは、その自治体において性的指向・ジェンダーアイデンティティの多様性についての理解増進を「行わない」という条例をわざわざ作った場合くらいしか想定できず、しかも努力義務ですから、それすら違反とまで言い切れるかどうか、わかりません。
また本法案は、同性婚やパートナーシップ制度、トイレや風呂等の区分、あるいは具体的な差別解消等について踏み込むものではないと先に記しました。その立場からすると、既存の自治体がこうした問題について既に条例や規則等を作っていたとしても、この法案が成立することによって変更を必要とするものでもありません。触れていないことに関しては、違反も何もありませんので。
●その上で、小坪先生のご懸念について
ただ逆に申し上げれば、本法案は特に施設管理者としての地方自治体や事業主に対しては何ら具体的な影響も方針も与えるものではないものであり、しかし現場の施設において、例えばトランスジェンダーを自称する人が現れた際にどうするかといった課題に直面されているとすると、「どうしたらいいのかわからない!無責任!」というお話になることは十分理解できます。この点について現時点での思うところを記します。
まずこうした話になると、公衆浴場・公衆トイレ・更衣室等といろいろなことについて一度に話が語られますが、実はこの中で、公衆浴場だけは法的位置づけがあるため対応は明白です。というのは、公衆浴場法という法律があり、厚生労働省が衛生等管理要領を設けており、おおむね七歳以上の男女を混浴させないことが規定され、答弁によって「この要領で言う男女とは、風紀の観点から混浴禁止を定めている趣旨から、身体的な特徴の性を持って判断する」「公衆浴場の営業者は、身体は男性、心は女性という方が女湯に入らないようにする必要がある」(令和5年3月29日衆議院内閣委員会堀場幸子委員質疑への厚生労働省佐々木政府参考人答弁)と述べています。重ねて記しますが、本法案はこうした内容に影響を与えるものではなく、政府方針は維持されることとなります。したがって、公共施設内等に浴場を有する地方自治体は、業として行う訳ではないため公衆浴場法の直接の対象ではありませんが、引き続きこの要領等に準じた形で管理をしていただくべきものと考えます。
公衆トイレについては、法的な位置づけがなく、よって所管省庁も特にありません。また、実際問題として、街中の公共施設では概ね男女の区分を設けてありますが、例えば山岳における山小屋的なトイレでは、男女共用のトイレも今なお存在したりもします。また街中においても、見張り番や管理人が常駐する公衆トイレばかりでもありません。実務的にそうした点も考慮して検討されるべきであろうと思われます。一方で、トランスジェンダーの方も、手術を受けて性同一性障害特例法に基づく戸籍上の性の変更まで完了されている方から、「内心そう思っているがカミングアウトしていない」方まで幅があり、一概に対応を決めつけてしまうこと自体も困難です。これは、更衣室についても同様です。
またトイレに話を戻すと、私自身が先日、コンビニの女性用トイレからどう見ても外見上は男性の方が出てくるのを目撃したこともあり、でももしかしたら急に腹痛に襲われてしかし男性用トイレがふさがっていてやむにやまれぬ行動だったかも知れず、こうした場合をそもそもムゲに制限してしまうような対応も、自分が急にお腹が痛くなった時のこと(人は時として急にお腹が痛くなるのです)まで考慮すると極めて悩ましいものがあり、要するに女性用トイレの管理のあり方は、ジェンダーアイデンティティの問題にとどまるものではなく、かつそもそも一定の利用者の自律性や運用の柔軟さも求められるものともいえるでしょう。
●鍵になるのは…
そうした中で本法案において鍵になるのは、第八条に定める政府の「基本計画」と、第九条の「学術研究」、そして追加された第十二条に定める「指針」であろうと考えます。もちろん、いずれも他条文と同様に「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する施策」の基本計画やそのために必要な学術研究、またこの法案に定める措置の運用に必要な指針、ということになりますが、現場で必要なことなのであれば、関係する内容について研究を行い、基本計画に含めることは十分考え得ることです。
本来、性的指向及びジェンダーアイデンティティについての理解増進を図るにあたり、或いは具体的にどのような内容の理解を求めていくかについては、提案者が具体的に提示をしてい必要があるものと考えます。自民党ではQ&Aを数年前から用意しています。これはあくまでも一政党の中で検討されたものに過ぎませんし、今課題となっている公衆トイレ等について直接的な回答があるわけでもありませんが、自民党としてはこういう内容をイメージしているというものです。もし理解増進のお役に立てるのであれば、自民党の各級議員がこのQ&Aをベースに講演活動をして歩くことも可能でしょう。そして本法案が成立すれば、今後は政府において、学術研究の実施、基本方針や指針の策定を行うこととなりますが、自民党はこの内容をベースとしつつ、足らざる点をさらに議論して補っていくこととされるのではないかと考えます(なお個人的には、他の政党はどのような内容を念頭に「理解増進法案」を提出されたのか興味深いものと思っていますが、私の知る限りでは特段示されたものはありません。いささか無責任ではないかという気もします)。
いずれにせよ今後仮に本法案が成立した際、それを受けて地方自治体において具体的なアクションを検討するにあたっては、まずは政府において今後学術研究や、基本方針および指針の策定が行われることを踏まえ、その策定を待ってからご検討いただいてもよいのではないかと考えます。むしろどのような内容を基本方針や指針に含めるべきか、地方自治体の立場から政府にご提言いただいてもよいかと思いますし、個別の自治体や地方六団体等から、それらの検討の場に地方自治体代表を含めるべき旨の申し入れを政府に行われても良いでしょう。もちろん地方自治法第十四条や第十五条に基づく条例制定権や規則制定権は自治体にありますし、地方の実情に応じた対応を妨げるものではありませんが、あまり各自治体よりに対応がテンデンバラバラというのも、住民にとって困ることにもなるものとも思います。そうした事態を防ぐためには、まず政府の基本計画や指針等について地方自治体その他の関係団体も参加して検討を行い、その上で定められた基本計画や指針に則って、各自治体の条例や規則、マニュアル等を整備するような手順で進められると、スムーズでしょう。
●補遺
なお、小坪先生のブログでは、骨太の方針(経済財政運営と改革の基本方針2023)原案との整合について触れられていますが、本法案は地方自治体の計画策定については規定しておらず、該当しません。確かに国の法律で、地方自治体に計画策定を求めるものが多すぎるため現在その整理を行っているのは事実です。例えば、昨年制定されたこども基本法では、都道府県および市町村にこども計画を定めるよう努力義務を課していますが、その際別の法律(「子ども・若者育成支援推進法」「子どもの貧困対策の推進に関する法律」等)に定める計画と一体にしてよいこととしており、事務の合理化を図っています。また政府においても見直しが行われており、そうした文脈の中でこの骨太の方針の規定があるものとご理解いただければ幸いです。また委員会審議のあり方については、私自身が他委員会の委員長を務めているものとして口を出すことは厳に慎むべきものと考えます。また、財源については地方自治体に具体的に何か義務付けが行われれば別途措置されるべきこととは思いますが、現段階で具体的に何か施設改修を求めるものでもない以上、法案に触れていないことをもって必ずしも不適切であるとは思いません。ただし当然ながら、今後必要に応じて議論されるべきこととも考えます。