12.情報通信・放送

2018年11月11日 (日)

海賊版対策としてのブロッキング法制化に反対する理由について

●はじめに

 先日ある席で、「なぜ橋本さんは海賊版対策のブロッキングに反対なのですか?」と問われました。その席であれこれと説明はしましたが、逆に一般の方は「海賊版対策になるのなら、ブロッキングして遮断してしまえばいいのでは?」と普通に考えられることなのだなあと感じた次第です。そこで、僕が海賊版対策としてのブロッキングに対して否定的なスタンスをとる理由を、改めて整理しておきます。

 で、いきなり結論を言ってしまえば、「これを許すと、政治的な表現に対するブロッキングに容易に発展し得るから」です。いきなり論理が飛躍しすぎですよね。なぜそんな飛躍を突然してしまうのか、ご説明します。

●インターネット上の情報流通に関する議論とその構図

 振り返ってみると初当選以来、橋本は何回かインターネットの情報流通の規制に関する議論に参加してきました。例えば、

【青少年ネット規制法(平成20年)】
→フィルタリングの対象となる青少年に有害な情報の定義を内閣府に設置される委員会が定めるという自民党当初案に対し、党内閣部会の平場の議論にて検閲に繋がるものとして反対。民間機関の取り組みにさせる。

【公職選挙法改正(ネット選挙運動解禁)(平成25年)】
→公職の選挙の候補者に関する名誉棄損等書き込みに対する懸念が根強かったため、プロバイダ責任制限法に特例を設け、発信者の反論がない際に削除するまでの期間について通常は7日間の照会期間を2日間に短縮することとしたもの。

【リベンジポルノ被害防止法(平成26年)】
→リベンジポルノ被害の深刻化を受け、プロバイダ責任制限法に公選法と同様の特例を設ける。当初反対していたものの、議論の末やむを得ぬものと容認。

 などです。

 憲法に定める「表現の自由」(第21条)や「通信の秘密侵害の禁止、検閲の禁止」(第21条2項)等は、民主主義が健全に機能するために厳密に守られなければならない重要な条文だと考えます。これはインターネット上でも当然にあてはまります。しかし一方で、「国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」(第12条)という規定があるため絶対のものではなく、公共の福祉のために一定の制限がかかるということもまた認めなければなりません。上記の議論、そしてまた今回の海賊版対策の議論も、どこにその「一定の制限」の線を引くかという問題だったと理解しています。

●プロバイダ責任制限法とブロッキングの関係、そして海賊版対策へのあてはめ

 さて今回、議論の対象となっているブロッキングですが、児童ポルノだけは既にブロッキングが行われています。これは、被写体になった児童の人格権が現に侵害され続けていることに対する緊急避難として法的に整理され、業界の自主的な取り組みとして実施されています。類似しているのはリベンジポルノ対策ですが、これは児童以外の場合について(児童の場合は児童ポルノ扱い)はブロッキングという強制手段ではなく、プロバイダ責任制限法の特例という形で、一般の違法有害情報等よりも一段厳しくはするものの、しかしやはり本人等の申し出に基づいて手続きを踏みはじめて当該情報が削除できるということになっています。逆にいえば、児童にはそのような手続きが不可能なので、やむなくブロッキングが許容されているのです。

 そこで海賊版対策です。マンガ等の作者、その代理人としての出版社は、児童並みに保護される対象として考えなければならないのでしょうか?僕はそうは思いません。もちろん権利侵害は許されることではありませんし、コンテンツ産業全体の問題として政府が関与して対策を行うことに異論はありません。しかし、立派な大人であり、立派な企業なのであって、法的に児童並みに保護する理由は、ないのではないでしょうか。

 もちろん、著作権者側にも言い分はあるでしょう。海賊版サイトは、海外にサーバがあり巧妙かつ複雑に匿名化されていたりするので追及が困難だし、日本の警察権も及ばない云々と。複雑怪奇なインターネットの前に、我々はほぼ何もできない児童のような状況なのだと。こう言いたくなる気分は、実際に大損害を受けられた被害者ではありますので、理解できないわけではありません。

●「複雑怪奇なインターネット」論の落とし穴

 しかし「複雑怪奇なインターネット」を理由に、成人や法人を法的に児童同様の扱いとする例を一つ作ってしまうことには、大きな問題があります。著作権侵害だけにとどまらず、他の権利侵害に関する情報も、インターネット上のものは同様の理屈でブロッキングすべきという議論ができてしまうようになるのです。対象の拡大に歯止めがかからないのです。

 ここで、先ほどの過去の議論リストを読み返していただきたいのですが、一つだけ趣が異なるテーマが混ざっていることにお気づきではないでしょうか。公職選挙法改正に伴うプロバイダ責任制限法の特例です。この議論は、インターネット選挙運動解禁のための公職選挙法改正案を検討する際、自民党内(他の党内でもあったかもしれませんが)で、「選挙の際にデマや不当な誹謗中傷がネットに沢山アップされたらどうするんだ!」「削除まで7日も待たなければいけないなんて、選挙期間が終わってしまうじゃないか!選挙結果が変わってしまっても取り返しがつかなくなるぞ」といった意見を背景に設けられた特例です。ちなみにその時には「他国があることないこと一杯ネットに書いて、選挙妨害をしてくるかもしれないじゃないか!」という意見もあり、いや流石にそりゃ考えすぎじゃない?と当時個人的には思いましたが、最近のアメリカの主張などを見ると、あながち絵空事ではないかもしれません。いずれにしても、そうした意見が少なくとも自民党内にあることは、僕はよく知っています。

 ですから、今回、著作権侵害サイトに対してブロッキングを容認する法律を作ると、たぶん次には、政治家に対する誹謗中傷サイトに対してブロッキングを容認しろという議論が、きっと起こります。僕にはそんな議論の光景がありありと目に浮かぶのです。そして実際に、そういうことを実施している国も、我が国の近所にあるのです。他国についてどうこう言うつもりはありませんが、僕は、日本がそうなるのは嫌です。もちろん僕自身もネットでいろんなことを書かれてへこむことはしばしばありますが、それでも表現の自由は守らなければならないのです。特に政治に関しては。

●海賊版対策のためにブロッキングをできるようにすべきではない

 今回の知財本部の検討会には、他の権利侵害と比較して著作権侵害だけが特別に児童の人格権なみもしくはそれ以上に保護されなければならない理由を見つけてくれることを、僕は個人的に期待していました。歯止めを見つけてほしかったのです。しかし残念ながら、そうした議論にはならなかった模様です。はじめからボタンが掛け違っていたのかもしれません。

 むしろ、実際に海外も含め現行の制度を駆使して犯人特定に結びつく事例が出てきてしまいました。「複雑怪奇なインターネットの前に児童並みに無力」では、必ずしもなかった、むしろ著作権者側の努力不足だったかもしれないことが明らかになったのです。また、客観的な立法事実たる被害額に疑義が呈されたりしたのも、まあご愛敬というべきでしょう。

(11/15追記:被害額の件はサラっと書きましたが、例えば立法事実のデータが雑だとこういうことが起こるのです。知財本部事務局も、別の役所のこととはいえ、こんなことがあったことくらいは知ってますよね?「裁量労働制、今国会断念へ 安倍晋三首相が働き方改革関連法案からの削除を指示 高プロ制度は維持」(産経新聞記事より))


 こうした展開を踏まえると、今回の海賊版サイト対策の議論の中で、著作権者側の皆さまには、今後もしばらくは責任と能力ある成人なり法人なりとして振舞っていただかなければならないものと思います。そもそも「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」(日本国憲法第12条)のです。これは憲法第29条に定められている財産権の一種たる著作権においても同じです。努力がまだ十分にされていないのであれば、ブロッキングを可能にする立法をしなければならない理由は、ありません。

 以上の理由により、橋本岳は、海賊版サイト対策のためにブロッキングを可能にする法律を作ることに反対します。

 なお付言しますが、もちろんブロッキング以外の海賊版対策は官民連携して行うべきだと思いますし、個人的にはプロバイダ責任制限法に基づく発信者情報開示制度をもっと実効性あるものにするとか、こうした問題に関する海外との司法的な連携をもっとハイレベルで強力に行うとか(来年のG20のテーマに如何でしょうか?)いった対策は、もっととられるべきと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月13日 (金)

「海賊版サイトに対する緊急対策」について

 本日、知的財産戦略本部・犯罪対策閣僚会議において、「インターネット上の海賊版サイトに対する緊急対策」が決定されました。昨日のブログで「政府による著作権侵害サイトのブロッキング要請に反対します。」と記しましたが、結局、政府がISPにブロッキング要請をすることは控えられました。もちろん多くの団体・個人のご意見表明があったからであり、そのような動きをしていただいたこと、および政府や関係者の方々がそれらをきちんと受け止めていただいたことに、深く感謝申し上げます。

 今回は、ブロッキングについては、短期的な緊急措置として、あくまでも民間事業者による自主的な取り組みという整理になりました。法的な側面については「特に悪質な海賊版サイトに関するブロッキングについての法的整理」として、緊急避難についての政府見解が示されています。とはいえ最終的にISPに責任を負わせる点はいささか不健全さを残すものという感はありますが、現状を考えると、やむを得ないことでしょうか…。

 また今後の方針として「すみやかに法制度の整備へ向けて検討を行う」とされました。この検討にあたっては、著作権者や出版社等権利侵害を受けている側の方々は当然のこととして、ぜひ実務を担うISP等も含め、様々な立場の方々が参加・協力して、オープンな形で進められることを期待したいと思います。立法作業も正直なかなか困難なものと思われますが、海賊版サイトに対して何らかの対策が必要だという点に関してはコンセンサスなのですから、きっと良い知恵が出せることを信じます。また僕自身も、何らかの形で機会をいただければ、微力ながら協力の手間を惜しむものではありません。

 なにはともあれ、今回の決定が、世の中が一歩でもよりよいものとなる機会となることを願っています。その実現に向け、さらに多くのご関係の方々の英知を賜りますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月12日 (木)

政府による著作権侵害サイトのブロッキング要請に反対します。

 政府がネット接続事業者(ISP)に対して著作権侵害サイトのブロッキングを要請するとの報道があります。このことについて、JILIS(一般社団法人情報法制研究所)が「著作権侵害サイトのブロッキング要請に関する提言」を発表して、反対の意思を表明しています。橋本岳は、この緊急提言に賛同し、政府のブロッキング要請に対し反対の意思を持っていることをここに表明します。以下に自分なりの理解と理由を記します。

 まず当然ながら、漫画や雑誌を著作権者に無断で掲載し、無料で閲覧できる状態にしているいわゆる海賊版サイトの存在そのものは認め難いものがあり、その対策は検討され実施されるべきです。しかし、「政府が特定Webサイトへの接続をしないことをISPに要請する」ことは様々な問題をはらみます。目的は手段を正当化しません。

 何よりも、政府が特定内容の情報通信を根拠なく制限できると思うこと自体が大問題です。憲法第21条2項には「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これ侵してはならない」となっています。それを受けて電気通信事業法第3条には検閲の禁止、第4条には秘密の保護が事業者に対して義務化されています。これは憲法の裏打ちがありますから、一般の法令よりも重く受け止めなければなりません。

 だからこそ、たとえ犯罪捜査というまさに緊急かつ公益性の高い理由であっても、「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律」という法律を設け、検察官又は司法警察員に限り、裁判所の令状をとるという手続きを踏んで、同意のない通信傍受が認められるのです。

 今回、政府は「要請」しかしないようです。もちろんお願いに何の拘束力もないし、責任はISPがとることになります(これは、私に説明に来た政府の担当者が明言しました)。一方で、サイトブロッキングは、電気通信事業者はアクセス先を「確認して」、特定サイトの場合に特定の挙動をさせることをさせるわけですから、これが検閲や秘密の保護を義務付ける電気通信事業法に違反することは明らかではないかと思われます。だとすれば、政府の要請に従ったISPは、電気通信事業法第179条により二年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処されることになります。ISPも大変ですね。

 もし仮に今回この条項の適用をしないということを政府が表明すれば、そのことによる逆の強制力がISPにかかることになり(だって、政府の気が変わったらすぐ処罰されるんですから)、結果として「政府による検閲」が完成します。むしろ明白に憲法第21条2項違反が成立してしまいかねません。もちろん、そもそもそんなに恣意的に罰則規定が取り扱われること自体がおかしなことです。

 今回しようとしていることを政府が実施しようとするのであれば、「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律」のように、新規立法を行う手順を踏むべきです。報道等によると、新規立法を検討することは表明するものの、それまでの当面の間、刑法37条に定める緊急避難を理由とするようです。児童ポルノに関する自主的な取り組みは前例としてありますが、児童の人格に対する侵害と、著作権法に基づく財産権の侵害は、同列に扱うべきではありません。それを許せば、今後さらに拡大し得る前例となりかねません。

 そしてさらに言えば、政府が提出した法律が、全部スケジュール通りに、提出した内容通りに、成立すると思っているとしたら大間違いです。政府が「立法をするからそれまでは緊急避難で」などという表明をすること自体が、立法府たる国会の軽視も甚だしいと言わざるを得ず、その議席を預かるものとして、決して賛同できるものではないのです。

 なお、自民党の情報通信関係の議員数名に確認しましたが、今日の段階で「え、そんな話知らないよ?」という反応が大半でした(ある1名のみご存知でした。「おとといISPから聞いて知ったんだよね」との由)。もちろんごく限られたサンプリングの範囲にすぎませんが、今の政府は、残念ながら与党に対しても本当に軽く考えておられるのだなあと嘆息を禁じえません(ちなみに僕は報道とFacebookで知りました)。与党対策ひとつを取ってみてもロクにできていない中で、新規立法の前途はきっと多難だろうなあと想像します。そんな状況で「新規立法を前提に緊急避難」などという理屈は、通用しません。

 一応僕も与党の一員ですので、先に政府の担当の方とお話をし、僕の考えは伝えました。また、別の省の幹部の方にも懸念をお伝えしています。JILISの緊急提言は、何名かの議員の方々にも政府担当部署にも届けたり渡したり送ったりしました。ただ、本日19時時点で特段のリアクションもありませんので、本意ではありませんが、改めて意思を公にし、世論に対して政府の非を訴えたいと思います。

 願わくば、この小文が誰かの手によって然るべき方の目に留まり、然るべく対応されんことを。

----
(2018.4.13 朝追記)

 以下は、ブロッキングに関し児童ポルノへの適用について法的な問題を整理した報告書です。著作権侵害に対する見解も記されています。ご参考まで。

安心ネットづくり促進協議会 児童ポルノ対策作業部会 2009年度法的問題検討サブワーキング 報告書

----

2018.4.12

衆議院議員
自由民主党厚生労働部会長

橋本 岳


| | コメント (2) | トラックバック (0)

2014年2月22日 (土)

NHK審議で見えたもの

昨日のNHK質疑は持ち時間15分で時間がなくて、用意した言いたいことをかなり端折りました。その一つが「永遠のゼロ」の感想。今回のあれこれの中で折角だからと思って先日読みました。
恐らく実際に取材を重ねられたであろう証言は圧巻。零戦の設計の優秀さ故の非人間性という指摘は目からウロコでいろいろ考えさせられました。ある登場人物の言動をみると、何故百田氏が特定の新聞社から嫌われるのかもわかります(笑)。
しかしこの作品の特徴は、特攻という日本が持つ極めて重いテーマを正面から捉え描きながら、実は推理小説の構造を持ったエンターテイメントになっていることだと思います。それが爽やかな読後感と、今現在に繋がっているテーマであることを暗示しているのです。この「ちからわざ」が百田さんの作家としての力量ではないでしょうか。一読をお勧めします。
特攻をエンタメに出来るセンスの人が、現在のNHK経営委員くらいの肩書きで萎縮する訳がありません。むしろ彼を巡る騒動が「ヤンチャな出る杭を打つ権威主義的日本社会」みたいに見えて、僕は凄く嫌です。昨日の質疑で選挙に関する規定について取り上げました。そこで見えた姿は「NHKは組織を守るためにルールを作っており、出演者・役職員・経営委員を守るためにルールを作っていない」というものでした。まさに「永遠のゼロ」でも描かれた、組織重視・個人軽視の日本型組織の宿痾そのものです。
ですから、百田委員には、民放で放送作家として活躍した現場経験も生かし、NHK改革のために一層力を尽くして頂きたいと期待しています。また私たちも、これまでから考えると常識破りなことが今後も発生するかもしれませんが、広い心で暖かく見守る姿勢が必要なのではないでしょうか。
なお長谷川委員は最初から問題だと僕は考えていません。常識的に考えて、「追悼文では故人の犯罪事実を指摘し貶めなければならない」という方が無理。思想信条の強制です。
また籾井会長は、就任当初の気負いと、一般企業とマスコミの文化の差の戸惑いと理解不足があり、かつそれを尊大に見える態度で乗り切ろうとしたところがあり就任当初は正直印象悪かったですが、度重なる国会質疑の中でいろいろ学ばれたようで、昨日も随分落ち着かれたように感じました。新入社員としての謙虚さを思い出して頂き、その上で経験で培われた経営手腕を発揮してNHKの経営にあたって頂けるよう期待します。
寒い日が続きます。皆様ご自愛ください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月 9日 (日)

NHK経営委員や会長発言を巡るエトセトラ

 NHK籾井会長の会見をきっかけとし、特にNHK経営陣の公正中立さを巡り議論が盛んになっています。僕も衆院予算委員会での原口一博議員や佐藤正夫議員の質疑や衆院総務委員会での奥野総一郎議員の質疑で籾井会長ご本人の質疑を目の前で見ていますので、思うところはあります。ただ、会長のみならず長谷川・百田両経営委員の言動も含め、報道での取り上げられ方にはいささかの違和感を感じます。今後も野党は集中審議を求めて来られる方針のようですので、それに備えていくつかのポイントを整理しておきたいと思います。

 まず大前提として、誰でも「こういう人は僕は嫌いだ/好きだ」というのは勝手ですが、それはただの感想であり信頼のおける客観的な議論ではないと僕は考えます。ですから少なくとも公的な場では批判も肯定も基準や根拠を以てしなければなりませんし、認められません。この場合は、主に放送法を紐解く作業が必要になります。

 また、ここで取り上げる方々の見解に、僕もそのまま共感し賛同しているかというと必ずしもそうではありません。しかし、いやしくも立法府で活動させて頂いている者として、特に他者を非難する場合は議論は根拠に基づき厳密に行うべきだと思っており、不当な議論が罷り通るのは許せないと思っているだけです。これがこの作文を執筆するに至った最大の動機です。

○長谷川委員の件について-特定の思想と、公正な判断を行う能力の関係性

 2月5日の毎日新聞記事は、長谷川三千子委員が「1993年に抗議先の朝日新聞社で拳銃自殺した右翼団体元幹部について、礼賛する追悼文を発表していた」ことがわかったとして「NHK経営委員の資質を問う声が出ている」と報じました。

 放送法によれば、経営委員については第31条で規定されています。同条3項で「禁固刑以上の刑に処せられた者」「国家公務員」「政党の役員」等の不適格者の記述があること以外に資格要件と読める項目は、同条1項の「公共の福祉に関し公正な判断をすることができ、広い知識と経験を有する者」という記述でしょう。この記事でも、この条文が挙げられています。

 が、ちょっと待ってください。「右翼団体幹部の拳銃自殺を礼賛すること」と「公共の福祉に関し公正な判断することできること」が、どう関係あるのでしょうか。人がある思想を持つことは、憲法上思想信条の自由として保障されるべきであり、NHK経営委員であっても当然認めなければなりません。誰もがなんらかの思想信条は持っていて当たり前で、それとは別に経営委員としては自分と異なる他の人の思想信条も踏まえて「公正な判断」をすることが放送法により求められているということです。

 要するにこの記事は、「右翼の自殺を礼賛するような人は、きっと公共の福祉に関し公正な判断はできない」という論理或は思い込みに基づいて書かれているということです。しかしこの根拠はどこにも記されていません。また仮にそういう人の例が見られるとしても、長谷川氏もまたそうだと断定できる根拠にはなりません。ですから、長谷川氏が経営委員を務めているのは問題だ!という主張をする人は、この点の根拠を示して頂かなければ、ただのいわれなき中傷という誹りを免れ得ません。論者が政治家であれば、逆にマスメディアに対する不当な政治介入あるいは表現の自由に対する妨害という指摘も可能でしょう。

 なお長谷川委員は男女の役割分担についても物議を醸したとの報道もあります。内容の是非はともかく、経営委員であることについての議論は全く同じなので、重ねての議論は割愛します。

 長谷川委員の文章は記事で引用されている部分しか僕は読んでいませんが、旧かな遣いによる格調の高さと行為に対する熱い思い入れを感じこそすれ、特段社会的に問題がある文章とは思いません。自殺者礼賛が許されないのであれば、まず毎日新聞社は三島由紀夫の文庫本を本屋から撤去する運動を起こすことをお勧めします。

○百田委員の件について―本来選挙運動は誰にでも自由であるべき

 百田尚樹委員については、2月4日のやはり毎日新聞記事で「東京都知事選で街頭演説に立ち、南京大虐殺はなかったなどと歴史認識に関する持論を展開した」「不偏不党が求められるNHKの経営に影響力を持つ立場だけに(中略)波紋を広げている」とされています。

 議論の中身が問題なのだということで百田氏を参考人招致するのであれば、同様の発言を国会で行っている民主党の松原仁・元国家公安委員長を同時に呼ぶべきです。そして松原議員に「『南京大虐殺はなかった』と主張をする人は、公共の福祉に関して公正な判断は期待できないと考えるが、如何か?」と訊ねてみればよいのではないかと思います。いずれにしても長谷川氏の議論と重なるので、内容についての議論はここまでとします。

 さて、内容が問題でないとすれば、何が問題なのでしょうか。選挙運動することが問題なのでしょうか?僕にはよくわかりません。実は放送法第31条4項には「委員の任命については、5人以上が同一の政党に属する者となることとなってはならない」という規定があります。すなわち定数12人の委員中「自民党員が6人」とか「共産党員が8人」となってはいけないということで、同条3項の欠格事由に「政党の役員」があることと併せ、経営委員会が特定政党の支配下になることを防ぐ役割を持っています。が、同時に、上記の条件が満たされなければ、個々のNHK経営委員がどこかの政党に所属し政治活動を行うことも暗黙の前提として認られているわけです。ですから選挙で応援演説を行うことも、放送法上なんら問題はありません。演説を聞いた人が何を感じたとしても、それは良くも悪くも選挙の結果として最終的には候補者が責任を持つことであり、他人が口を挟むことではありません。

 百田氏が、応援する人以外の候補者を屑呼ばわりしたことが参院予算委員会で問題視されたようです。まあ僕も選挙をする身として、上品な発言とは思いません。しかし一方で公正中立な選挙演説というのもあり得ず、むしろ最も極端に特定の誰かに肩入れするのが選挙演説の性質上、その瞬間の言葉を捕まえて「不偏不党のNHKが」などと結びつけて記事にする姿勢こそ、極めてあざといものです。選挙運動は公職選挙法に定める特定の例外を除き国民誰でもが行うことができる民主主義の基礎であり、本来認められている個人としての選挙運動の自由を萎縮させるようなメディアの論調はむしろ民主主義の発展を阻害しかねないと思うのですが、いかがでしょうか。

○NHKだけに公平・不偏不党を求めるのは、実は偏った態度

 さて、籾井会長の会見および発言です。これについては、既に謝罪と共に「私見を述べたことは不適当であり取り消す」とされていますから、これを蒸し返すのはどうかと考えます。確かにそのような会見でしたし、衆院予算委員会の原口議員との質疑もかなりテンパっていたようで噛み合わないところが目についたため、個人的にはきちんと会長として再び放送法の認識や放送内容の考え方、公共放送としての政府との距離などについて、反省を踏まえ再び発言しなおす機会を持たれるべきだと思います。

 ただ一連の報道で不思議なのは「不偏不党が求められるNHK」といった表現が当たり前に散見され、そのことが各氏を非難する際の錦の御旗的な扱いを受けていることです。では放送法ではどうなっているか。確かに第1条2項では、放送の原則の一つとして「放送の不偏不党、真実および自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」とされています。また第4条では、放送番組編集の基準として「2.政治的に公平であること」「4.意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」などとされています。そういう意味では、NHKは不偏不党でなければならず、番組は政治的に中立でなければなりません。しかし、この条文はNHKだけに係る文言ではありません。テレビ・ラジオ・そしてケーブルテレビ等も含む「放送」全てが主語なのです。

 ですから仮に「放送会社の経営者の歴史認識が不当だったら、放送の不偏不党や公平性が危ぶまれる」という問題意識を持つのであれば、NHKだけを殊更に取り上げるのはそれこそ偏っており、テレビ朝日からフジテレビからテレビ東京から、或は山陽放送から倉敷ケーブルテレビに至るまで、すべての経営者の歴史認識を糺すべきです。報道ステーションは「政治的に公平」で「できるだけ多くの角度から論点を明らかに」しているのでしょうか?そうした対比を行わず、NHKの会長や経営委員の発言のみを殊更に取り上げることは、まさに政治的意図があって行われるものと思います。

○そして新聞雑誌の価値とは

 さて、ここまで新聞記事を引用して議論してきましたが、ちなみにその新聞記事は法的に公正性や中立性を求められているのかというと、実はそんな法律はありません。むしろ憲法によって表現の自由が保護されているだけです。政府を監視し民主主義の基礎となるべき在野マスメディアという生い立ちや意義から考えれば至って当然であり、今更敢えて変更すべきこととも思いません。

 同時に新聞・雑誌メディアはNHKはじめ放送メディアに「不偏不党」を要求する割に、実は偏っていても法的には誰にも咎められることはない存在だというのは、読む人が胆に銘じておかなければならないことです。本人たちの自覚と矜持以外には、全く中立性や公正性、もしかしたら正確性すらも担保されないのが新聞・雑誌メディアなのです。

 朝日新聞や毎日新聞がなぜNHKを殊更に取り上げるのかといえば、もうこれは現安倍政権との関係性を指摘して政権に悪印象を与えようとしているという意図しか感じません。もちろん「政権が自分の意図に添うようメディアをコントロールするのではないか」という問題意識そのものは健全なことです。ただその議論が上記で指摘したように根拠のない思い込み基づくものなので、むしろ逆に「ああ、きっとこの記事を書いた人たちは、自分たちが好きなようにメディアをコントロールしたいと思ってるんだな」と感じてしまうのは僕だけでしょうか。別にそのこと自身が問題とは思いません。「しんぶん赤旗」のように、堂々と自分たちの立脚点を明らかにしていれば、むしろ勉強にもなります。しかしあたかも自分たちが不偏不党であるかのように装い指摘しつつ実は特定の意向や偏見を記事に忍ばせているような新聞記事は、本当にタチが悪いと思います。

 放送番組にはBPO(放送倫理・番組向上機構)という機関があり、業界として倫理的な問題や人権に関する問題に対応しています。新聞・雑誌メディアにはそのような機関はありません。誤解を招く記事を書かれても、多くの場合は泣き寝入りです。また放送法は、そんなに簡単に経営者が放送番組を好き勝手にいじれるようにはできていません。したがって多くの議論は法に基づいて考えればただの懸念か杞憂の類いです。もちろん引き続きチェックを続けていくことは必要です。しかし新聞・雑誌には、個別のケースで裁判に訴える以外には、第三者の判断が入ることはありません。内容は誰も保証しないのです。新聞・雑誌は、影響力は絶大ですが、情報としての信頼性はその程度として評価しなければならないのです。

 もちろん、だからといって新聞・雑誌を排斥しようというわけではありません。インターネット同様、さまざまなものの見方や玉石混交とはいえさまざまな情報を知ることができるのは社会にとっても個人にとっても実に有益なことであり、むしろそれがメディアの真骨頂です。その中でいかにいい記事を書き紙面をつくるか、記者の腕の見せ所でしょう。同時に、読む人はきちんとそうしたことを弁えてメディアに接する必要があると思います。

 そして仮に何かを国会で問題として取り上げるのであれば単に「新聞にそう書いてあったから」で物事を判断したり論じたりすべきではなく、きちんと根拠や法律に基づく議論を行うべきです。縷々述べてきたように新聞だけでは中立性・客観性が保障されないからです。NHKや放送行政も所管する衆議院総務委員会に席を持つものとして、このような視点で今後の論戦を注視したいと思います。

なお、類似の議論が既に産経新聞の2月8日の記事にて高橋昌之氏により論じられています。そちらも併せてご覧ください。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2013年10月 5日 (土)

電子政府と消費税

 先月末から今月2日にかけて、自民党情報通信戦略調査会メンバーで韓国に出張し、電子政府・電子自治体について視察やヒアリングを行ってきました。その様子はフェイスブックに日々アップしていましたが、写真付きでWebページにまとめました。ぜひご覧ください。この視察にご協力いただいた皆様に、深く感謝申し上げます。

Small_kokkai_2

(写真:韓国国会議事堂本会議場にて、瀬戸隆一衆議院議員と。各議席にタッチパネルディスプレイがあります)

 その間の10月1日に、安倍総理が消費税率引き上げについて会見をしました。これは意図したものではないとは思いますが、偶然でもないのだろうと思っています。消費税引き上げは、以前書いたように社会保障の財源確保が大きな目的です。同時に、ご負担をお願いするわけですから行政の無駄は極力排すべきわけであり、その意味でも電子行政のさらなる推進は重要です。その点、韓国は実はまだ休戦中でしかない戦時中であること、あるいは大統領制であること、国の成り立ちが若いこと、といったいろいろな事情の違いはありますが、私たちの視点からするといささか乱暴なまでに電子化を推進しています。しかしやっぱり実現したものを目の当たりにすると、きわめて合理的かつ迅速・効率的で便利であり、むしろ日本の方が何故こんなに紙が必要なのかと思ってしまうということも、今回痛いほど感じました。いかなる状況下でも、見習うべきは見習う謙虚さを失ってはなりません。それは日本人としての誇りでもあります。

 今回の安倍総理の結論は、景気・経済も含めさまざまな要素が絡む中で、困難な熟慮の末の結論であろうと思います。リーダーの結論が出れば、思いはあっても封印し、私に与えていただいた立場なりにその方針に沿ってより効果を上げるように努力したいと考えています。それが与党の一員としての思いです。

 今月中旬からの臨時国会を前に、さまざまなことが動きだしています。私も倉敷・早島の皆さまの代表として国会に送っていただいていることに感謝の気持ちを忘れず、引き続き全力を尽くします。朝夕涼しくなりました。体調には十分ご注意をいただいてお過ごしください。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2013年9月27日 (金)

衆議院総務委員会欧州視察の所感

 さる9月3日~10日の日程で、衆議院総務委員会の理事として欧州に調査派遣していただきました。二週間以上遅れてしまいましたが、簡単な所感をまとめてWebページとして公開しましたのでお知らせします。今回の派遣にお力添え頂いた皆さまに深く感謝を申し上げます。

 また9月30日~10月2日の日程で、韓国に電子政府・電子自治体の視察に、自民党情報通信戦略調査会の事務局として、川崎二郎会長・小坂憲次会長代理らに同行して出張します。またその様子も改めてご報告させていただきます。

 党でも税調が開かれ、消費税税率引き上げやそれに伴う経済対策等の議論が進んでいます。経済やデフレ脱却との絡みで多様なご意見をいただいていますが、最終的には安倍総理の判断ひとつですし、振り返れば第一次安倍内閣より社会保障制度、特に年金制度改革との関係で、二度の政権交代を挟みつつ消費税問題はずーっと議論を積み重ねて今の局面を迎えています。ことここに至れば、総理の決断を待ちたいと思っています。また原発事故処理問題でも今日衆議院経済産業委員会が閉会中審査をしていますが、政府が前に立って一丸となって処理をする体制を早急に整え取り組む必要があるものと考えます。

 台風が過ぎ秋空の日が増えてきました。朝晩も涼しく風邪も流行っているようです。お気をつけてお過ごしください。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2013年7月21日 (日)

ネット投票について考える。

 今日は参議院選挙の投票日です。公職選挙法で投票日当日の選挙運動は禁止されているため、候補者の名前を出すことはできません。けどこれだけは書いておきましょう。皆さん、投票はお済みですか?

 さて今回の選挙では、ネットでの選挙運動が解禁されたわけですが、「ネットでの投票」が可能になったと誤解をした人が多いという話を聞きます。今回の改正では投票方法については全く変更していませんので、ご足労ですがお近くの投票所にお出かけいただき、投票用紙に鉛筆で書いて投票をお願いします。僕は期日前投票で済ませました。

 では今後はどうなのか。公選法改正の審議中にも、主に日本維新の会の方や民主党の方からネット投票についての質疑もありました。ただよく言われるような「家で投票できたらいいのにな~」という形でのネット投票は僕はすべきではないと思っています。

 選挙での投票においては、最低以下のことが守られる必要があると思います。

1)投票の秘密と自由が客観的に担保されること。
2)本人一人につき一票が担保されること。
3)後で票数の確認ができること。
4)できるだけ全立候補者に公平であること。

 2)は、たとえばマイナンバーが普及して本人確認が電子的にできるようになれば、技術的にはクリア可能だと思います。3)も技術的に可能ですが、電子的な確認では怪しいというご意見もあるでしょう。しかしたとえば投票は紙で行うが、鉛筆での記名ではなく該当欄への捺印や○印で行うようにして、開票はOCRで読み取る形の「電子開票」という方法もあります(韓国ではそうしていると聞きました)。これでも今よりはきわめて迅速に結果が判明し開票作業の省力化も進み、かつ疑義が生じた場合に目視確認も可能です。

 最大の課題は1)です。「家で」とか「職場で」もしくは「モバイルで」などを許すと、例えば投票している人の安全や自由が守られている保証が客観的に不可能です。電子的に本人確認がされ本人が端末を操作したとしても、極端に言えばその人の背後に銃やナイフを突きつけている人がいないとは限りません。または職場の上司の目とか家族の目の中で投票することは、場合によっては自由意思を阻害することになります。安全かつ個別な環境下で自由意思に基づく投票ができること、かつ不正な投票がないことを保証するために、物理的な投票所があり、立会人の方々が必要なのです。ですから「どこでも」投票ができるようにはしてはならないと僕は思います。

 ではどうにもならないのか。そんなことはありません。例えば、投票所は現行のまま住所近くに設置するとして、マイナンバーで本人確認の上、どこの投票所に行ってもよいことにする、といった改善は可能だと思います。家の近くに行かなくても、勤務先や出かけ先の投票所に行ってもよいことにできれば、多少便利になるでしょう。またその延長でコンビニやショッピングモールに出張投票所を設けることも可能でしょう。ただし投票後の投票用紙の仕分けをどうするか考えなければなりませんし、また、例えばイオンに投票所を設けたら「そういえばイオンの経営者の身内の候補者がいるよね」みたいなことも起こり得るわけで4)の条件との兼ね合いも考えなければなりません。まあこれはケースバイケースでしょうが。

 要は、「投票所で紙で投票」からいきなり「どこでも電子的に投票」に、という極端なアナログから極端なデジタルへ的な発想をするから話が前に進まないのです。アナログの良さを生かしながら、デジタルな技術を染み込ませてどう効率を良くするかを考えてゆけば、将来的に具体化は十分可能です。

 数年前、ネパールの制憲議会の選挙を見学に行きました。本人確認は「親指のツメに一週間消えないインクでしるしをつける」という素朴な方法で、かつ投票も字が読み書きできない人のために記号で表示された欄にパンチで穴をあけるというものでした。それでも、朝6時から投票所に人が長蛇の列をつくり、ヒマラヤ山麓の村では3日かけて歩いて投票所に行く人もいるとも聞きました。なぜならば、ネパールでは内戦を経て10年ぶりに行われる選挙だったからです。

 投票できることは、今現在の世界の中でも、決して当たり前のことではありません。同時に、投票されて選ばれた人は、その重みをわきまえて職務に当たらなければなりません。どうぞ皆さま方の貴重な一票の権利を無駄にされることがありませんように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 2日 (木)

東へ西へ

 1日。父龍太郎の命日である。早いもので3年が経過した。午前中、いまも母が住むマンションに行きお線香を手向け、次期総選挙における必勝を誓う。午後から衆院経済産業委員会。北朝鮮の核実験に対する貿易禁止のための制裁措置について。共産党も含め、全会一致で可決すべきものと決する。夕方飛行機に乗って倉敷へ。会合に出席する。

 2日。早朝の飛行機で上京。昼から平成研究会、代議士会、衆院本会議。昨日の経済産業委員会の議案が採決され、やはり全会一致で可決される。もしかしたら今日の本会議で解散という可能性もあったが、紫色の袱紗が登場することなく(まだ見たことがないが、いざという場合は解散の詔書がそういう状態で現れるらしい)散会。

 その後、無事与党内のプロセスが終了した「北海道観光振興特措法案」を駒崎衆議院事務総長に提出。議員立法の法案提案者に名を連ねているため、国土交通委員会の審議にかかれば答弁席に座ることになる予定。野党の皆さんが審議に同意してくださればよいのだけど。この法案は道州制特区推進法に基づく北海道および北海道議会の提案を実現するために国の法律を作るという、画期的といえば画期的、無理筋といえば無理筋なもの。しかしこれができなきゃ地方分権なんてできない!のです。

090702

(写真:衆院事務総長室にて。左から今津寛議員、佐田玄一郎議員、駒崎事務総長)

 午後の新幹線で帰倉。明日も本会議がある可能性があり、その場合はまた明日日帰りで上京することになる。たぶん土曜日も日帰り往復予定。井上陽水の(後でモッくんがカバーした)歌を思い出す。♪頑張れ、みんな頑張れ、月は流れて東へ西へ。

 あと、いくがくさんコメント下さったように、30日夜、国際大学GLOCOMで行われた「Twitterと政治」の研究会に出席した。政治をぐっと身近に感じていただくツールとしてとても有用なものだと感じている。もちろんいろいろ気を使わなければならないこともあるし、難しいこともある。とはいえ使ってみなければ始まらないと思っている。

橋本岳衆議院議員、津田大介、山崎富美、3氏が「政治とTwitter」をディスカッション(TechCrunch)
Twitterは政治や報道を変えるのか(itmediaニュース)

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009年6月19日 (金)

ネットと政治についてメディアに取り上げられた

 学生時代からインターネットや携帯電話について勉強してきたが、これは議員になっても専門の一つになっている。それに関連して、メディアに二件とりあげられたので紹介。

○【R25.jp】法律ってメディアの進化に追いつけるの?

 薬のネット販売やネットの違法有害情報対策などいろんな法律がネットと関係してきているが、立法府の立場として、できるだけネットの良さを活かすように対応したいという気持ちでお話した。

○【ITメディア】日本の政治家もTwitter活用 国会を“生中継”

 先般このブログでもお知らせしたTwitter(ついったー)が話題になっている。僕と民主党の逢坂議員のことを取り上げて紹介していただいた。短文で思ったことや聞いたことを都度アップしている(ただし本会議中や委員会中は携帯禁止なのでできません。衆院TVをご覧ください)。これからも発信ツールとしてうまくブログやメルマガと使い分けて活用してゆきたい。

はしもとがくTwitter

| | コメント (0) | トラックバック (0)