海賊版対策としてのブロッキング法制化に反対する理由について
●はじめに
先日ある席で、「なぜ橋本さんは海賊版対策のブロッキングに反対なのですか?」と問われました。その席であれこれと説明はしましたが、逆に一般の方は「海賊版対策になるのなら、ブロッキングして遮断してしまえばいいのでは?」と普通に考えられることなのだなあと感じた次第です。そこで、僕が海賊版対策としてのブロッキングに対して否定的なスタンスをとる理由を、改めて整理しておきます。
で、いきなり結論を言ってしまえば、「これを許すと、政治的な表現に対するブロッキングに容易に発展し得るから」です。いきなり論理が飛躍しすぎですよね。なぜそんな飛躍を突然してしまうのか、ご説明します。
●インターネット上の情報流通に関する議論とその構図
振り返ってみると初当選以来、橋本は何回かインターネットの情報流通の規制に関する議論に参加してきました。例えば、
【青少年ネット規制法(平成20年)】
→フィルタリングの対象となる青少年に有害な情報の定義を内閣府に設置される委員会が定めるという自民党当初案に対し、党内閣部会の平場の議論にて検閲に繋がるものとして反対。民間機関の取り組みにさせる。【公職選挙法改正(ネット選挙運動解禁)(平成25年)】
→公職の選挙の候補者に関する名誉棄損等書き込みに対する懸念が根強かったため、プロバイダ責任制限法に特例を設け、発信者の反論がない際に削除するまでの期間について通常は7日間の照会期間を2日間に短縮することとしたもの。【リベンジポルノ被害防止法(平成26年)】
→リベンジポルノ被害の深刻化を受け、プロバイダ責任制限法に公選法と同様の特例を設ける。当初反対していたものの、議論の末やむを得ぬものと容認。
などです。
憲法に定める「表現の自由」(第21条)や「通信の秘密侵害の禁止、検閲の禁止」(第21条2項)等は、民主主義が健全に機能するために厳密に守られなければならない重要な条文だと考えます。これはインターネット上でも当然にあてはまります。しかし一方で、「国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」(第12条)という規定があるため絶対のものではなく、公共の福祉のために一定の制限がかかるということもまた認めなければなりません。上記の議論、そしてまた今回の海賊版対策の議論も、どこにその「一定の制限」の線を引くかという問題だったと理解しています。
●プロバイダ責任制限法とブロッキングの関係、そして海賊版対策へのあてはめ
さて今回、議論の対象となっているブロッキングですが、児童ポルノだけは既にブロッキングが行われています。これは、被写体になった児童の人格権が現に侵害され続けていることに対する緊急避難として法的に整理され、業界の自主的な取り組みとして実施されています。類似しているのはリベンジポルノ対策ですが、これは児童以外の場合について(児童の場合は児童ポルノ扱い)はブロッキングという強制手段ではなく、プロバイダ責任制限法の特例という形で、一般の違法有害情報等よりも一段厳しくはするものの、しかしやはり本人等の申し出に基づいて手続きを踏みはじめて当該情報が削除できるということになっています。逆にいえば、児童にはそのような手続きが不可能なので、やむなくブロッキングが許容されているのです。
そこで海賊版対策です。マンガ等の作者、その代理人としての出版社は、児童並みに保護される対象として考えなければならないのでしょうか?僕はそうは思いません。もちろん権利侵害は許されることではありませんし、コンテンツ産業全体の問題として政府が関与して対策を行うことに異論はありません。しかし、立派な大人であり、立派な企業なのであって、法的に児童並みに保護する理由は、ないのではないでしょうか。
もちろん、著作権者側にも言い分はあるでしょう。海賊版サイトは、海外にサーバがあり巧妙かつ複雑に匿名化されていたりするので追及が困難だし、日本の警察権も及ばない云々と。複雑怪奇なインターネットの前に、我々はほぼ何もできない児童のような状況なのだと。こう言いたくなる気分は、実際に大損害を受けられた被害者ではありますので、理解できないわけではありません。
●「複雑怪奇なインターネット」論の落とし穴
しかし「複雑怪奇なインターネット」を理由に、成人や法人を法的に児童同様の扱いとする例を一つ作ってしまうことには、大きな問題があります。著作権侵害だけにとどまらず、他の権利侵害に関する情報も、インターネット上のものは同様の理屈でブロッキングすべきという議論ができてしまうようになるのです。対象の拡大に歯止めがかからないのです。
ここで、先ほどの過去の議論リストを読み返していただきたいのですが、一つだけ趣が異なるテーマが混ざっていることにお気づきではないでしょうか。公職選挙法改正に伴うプロバイダ責任制限法の特例です。この議論は、インターネット選挙運動解禁のための公職選挙法改正案を検討する際、自民党内(他の党内でもあったかもしれませんが)で、「選挙の際にデマや不当な誹謗中傷がネットに沢山アップされたらどうするんだ!」「削除まで7日も待たなければいけないなんて、選挙期間が終わってしまうじゃないか!選挙結果が変わってしまっても取り返しがつかなくなるぞ」といった意見を背景に設けられた特例です。ちなみにその時には「他国があることないこと一杯ネットに書いて、選挙妨害をしてくるかもしれないじゃないか!」という意見もあり、いや流石にそりゃ考えすぎじゃない?と当時個人的には思いましたが、最近のアメリカの主張などを見ると、あながち絵空事ではないかもしれません。いずれにしても、そうした意見が少なくとも自民党内にあることは、僕はよく知っています。
ですから、今回、著作権侵害サイトに対してブロッキングを容認する法律を作ると、たぶん次には、政治家に対する誹謗中傷サイトに対してブロッキングを容認しろという議論が、きっと起こります。僕にはそんな議論の光景がありありと目に浮かぶのです。そして実際に、そういうことを実施している国も、我が国の近所にあるのです。他国についてどうこう言うつもりはありませんが、僕は、日本がそうなるのは嫌です。もちろん僕自身もネットでいろんなことを書かれてへこむことはしばしばありますが、それでも表現の自由は守らなければならないのです。特に政治に関しては。
●海賊版対策のためにブロッキングをできるようにすべきではない
今回の知財本部の検討会には、他の権利侵害と比較して著作権侵害だけが特別に児童の人格権なみもしくはそれ以上に保護されなければならない理由を見つけてくれることを、僕は個人的に期待していました。歯止めを見つけてほしかったのです。しかし残念ながら、そうした議論にはならなかった模様です。はじめからボタンが掛け違っていたのかもしれません。
むしろ、実際に海外も含め現行の制度を駆使して犯人特定に結びつく事例が出てきてしまいました。「複雑怪奇なインターネットの前に児童並みに無力」では、必ずしもなかった、むしろ著作権者側の努力不足だったかもしれないことが明らかになったのです。また、客観的な立法事実たる被害額に疑義が呈されたりしたのも、まあご愛敬というべきでしょう。
(11/15追記:被害額の件はサラっと書きましたが、例えば立法事実のデータが雑だとこういうことが起こるのです。知財本部事務局も、別の役所のこととはいえ、こんなことがあったことくらいは知ってますよね?「裁量労働制、今国会断念へ 安倍晋三首相が働き方改革関連法案からの削除を指示 高プロ制度は維持」(産経新聞記事より))
こうした展開を踏まえると、今回の海賊版サイト対策の議論の中で、著作権者側の皆さまには、今後もしばらくは責任と能力ある成人なり法人なりとして振舞っていただかなければならないものと思います。そもそも「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」(日本国憲法第12条)のです。これは憲法第29条に定められている財産権の一種たる著作権においても同じです。努力がまだ十分にされていないのであれば、ブロッキングを可能にする立法をしなければならない理由は、ありません。
以上の理由により、橋本岳は、海賊版サイト対策のためにブロッキングを可能にする法律を作ることに反対します。
なお付言しますが、もちろんブロッキング以外の海賊版対策は官民連携して行うべきだと思いますし、個人的にはプロバイダ責任制限法に基づく発信者情報開示制度をもっと実効性あるものにするとか、こうした問題に関する海外との司法的な連携をもっとハイレベルで強力に行うとか(来年のG20のテーマに如何でしょうか?)いった対策は、もっととられるべきと思います。
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