訪中の記(日本国際貿易促進協会第47回訪中代表団として)
●はじめに
7月1日から6日まで中国に出張し、北京・南京・蘇州を訪問しました。4月に就任した日本国際貿易促進協会の会長代行として、河野洋平会長のもと企業の方々から構成される経済交流を目的とする90名弱の訪中団の一員として参加したものです。
日程としては、7月1日朝に羽田空港を出発して北京に向かい、午後に人民大会堂にて何立峰・国務院副総理との会談を行いました。翌2日は中国日本商会の方々と朝食ミーティングを行って現地の状況を伺ったのち、商務部(日本でいう経済産業省)を訪れて凌激・商務部副部長と面談。午後は中国の民間シンクタンク国観智庫の方から中国経済について講演を聞きました。その後、在中国日本大使館に行き、金杉憲治・在中国日本国大使のお話を伺いました。3日は朝から北京郊外にて自動運転の開発を視察。午後は政府系シンクタンクである中国国際経済交流センターの方の講演を聞きました。4日目は午前中に航空機で江蘇省の南京に移動。午後江蘇省政府等との交流会ののち、信長星・中国共産党江蘇省委員会書記と会談を行いました。5日目は蘇州市に移動し、長江デルタ国際研究開発コミュニティ展示センター、蘇州御窯金磚博物館、蘇州高新区企画展示館を見学した後、劉小濤・中国共産党蘇州市委員会書記と会見しました。そして7月6日に上海虹橋空港より無事帰国の途に就きました。
私にとっては、2019年に日中次世代交流委員会の一員として訪問して以来、コロナ禍を挟んで久しぶりの訪中でした。ただその間、日中関係は尖閣諸島や台湾問題、福島第一原発のALPS処理水放出に対する反応、反スパイ法による邦人拘束などさまざまな問題もあり、とてもぎくしゃくしたものとなってしまいました。調査によれば、お互いに対して「良い/どちらかと言えば良い印象を持っている」との回答は日本世論が1割を切り、中国世論でも3割程度です。
しかしそのような中で忘れてはならないのは、そうした課題がある中でも貿易や投資などの経済活動は着実に続いており、お互いに切り離し得ない関係であるということです。日本にとって中国は最大の貿易相手国であり、中国にとって日本は米国に次ぐ2番目の貿易相手国です。日系企業の海外拠点数では世界で1位であり、在留邦人は10万人を数えます。この方々の活動や存在は決して忘れてはなりませんし、むしろ適切に保護しサポートしなければなりません。現に6月に江蘇省蘇州市で日本人親子が暴漢に襲われて負傷し、かばおうとした中国人の方が亡くなる事件が発生しました。この中国人の方の勇敢な行動には敬意と感謝を表するとともに、謹んで哀悼の誠を捧げるものです。同時に、被害にあわれた方々やその周囲の方々も適切にケアを受け、保護されるべきです。だとすれば、この方々のためにも、正面から中国と向き合う必要があります。好き嫌いで外交を考えるべきではありません。
事件以前から訪中日程は決まっていたため全くの偶然ですが、その蘇州市を訪問することとなったことを含め、今回の訪中団は日中関係にとって一定の意味を持つものだったと個人的には思います。そうした思いも含め、ここに訪中の記録を整理しご関心の方のご高覧に供します。
なおこの訪中記は、いただいた資料および私の走り書きのメモと記憶に頼って記しています。文責は橋本がくにあります。個々の発言を全て漏らさず書いているわけではありませんし、言い回しも必ずしもそれぞれの方々の発言の通りではないと思います。大意を掴んでいただくことに眼目を置いて記していますので、その点をご了解の上お目通しいただければ幸いです。
●まず、国貿促と今回の訪中団について
さて訪中記に入る前に、今回の訪中団の母体である国貿促という団体について記します。正式名称は日本国際貿易促進協会という民間団体で、国交正常化前の1954年に日中間の貿易を支援し促進するために設立され、今年で設立70周年を迎えました。会長を河野洋平・元衆議院議長が務めておられ、今年度から私が会長代行を務めることになりました。以前は橋本龍太郎が会長を務めており、他界した際に河野先生に後任を受けていただいた経緯があります。この二人以外の役員は民間企業の方々から構成されています。
事業としては日本企業の中国進出の支援を行っている他、コロナ禍等事情のある場合を除き毎年訪中団を派遣しており、今回は第47回訪中代表団となります。上記のような団体の性格上、訪中団の使命は経済や貿易に関する日中間のコミュニケーションにあり、例えば領土や安全保障等に関するテーマは取り扱いません。とはいえ課題は山積みであり、個別の問題解決にむけて粘り強く取り組む必要があります。一方、中国経済も海外との貿易や外資への依存は大きいため、これらは日本のみならず中国にとっても関心事であり、対話の糸口が掴みやすいテーマともいえます。
昨年11月に岸田文雄総理と習近平主席が会談をしており今年5月には日中韓サミットの機会に岸田総理と李強国務院総理の会談も行われ、それらを通じて両国関係の重要性が確認されている中、個別具体的な議論を行うにはよいタイミングと言えます。さらに今月15日から、中国共産党の経済政策運営を決める3中全会(第20期中央委員会第3回全体会議)と呼ばれる会議を開くことが予定されており、不動産不況や地方財政の悪化等の不安要素を抱える中国経済のかじ取りがどうなるのか注目が集るところでもありました。こうした内容についても中国のエコノミストの方々からもお話を伺うことができ、勉強になりました。
●蘇州市での事件について
6月24日に蘇州市のバス停で日本人学校のスクールバスを迎えに来た日本人親子が刃物を持った男に襲われて負傷し、制止しようとした案内役の中国人女性も犯人に刺されその後亡くなった事件が発生しました。今回の訪中団では、結果として事件直後にその蘇州を訪問することとなりました。この件に関する対応については、最近の出来事で多くの方の関心の高い事項でもありますので、ここでまとめて記しておきます。
まず、事件に遭われた親子のみならずそのご家族や周囲の方々はさまざまな意味で傷つけられており、ケアが必要です。在中国日本国大使館、在上海日本国総領事館は、こうした方々に寄り添いつつ医療やメンタルヘルスも含めてケアとサポートに努めているとこのことです。また蘇州市政府も総領事館と連携し、医療体制の充実や警備の強化について、事件直後から迅速な対応を行っていただいているとのことでした。亡くなった中国人女性については蘇州市から表彰されましたが、ご遺族からは義援金等は受け取らない旨および「静かにしておいてほしい」旨の談話があったことも、報道されていました。
そこで訪中団としては、金杉大使および赤松秀一・在上海日本国総領事と相談の上、それぞれのご関係の方々の静謐を守るべきことを考慮し、中国側との面会時に要望を行う以外には特段の行動をしないこととしました。金杉大使および赤松総領事には、引き続き被害者の方々に対して丁寧に支援をいただきたい旨お願いをしました。改めて、被害を受けられた方々に心からお見舞いを申し上げ、一日も早いご快癒を祈ります。亡くなられた方にも、重ねてその勇気を称え、深く哀悼の意を表します。
他方、経済ミッションである訪中団としては、日本人の安全確保には高い関心があります。家族も含めて安心して暮らせなければ、ビジネスどころではありません。そこで、何立峰副総理をはじめ中国側の要人と面会する際には、亡くなった中国人女性の方に弔意を表した上で、中国に滞在する日本人の安全保護の強化について、必ず要望を行いました。また何副総理や信長星党江蘇省委書記には、日本人が狙われたのか偶発的なのか、真相を明らかにしてほしい旨の申し入れも行いました。中国側からは、事件は偶発的なものであり、日中関係は影響を受けるべきではない旨の発言が概ねでしたが、その中で劉小濤党蘇州市委書記からは、中国側で唯一先方から率先してこの事件について言及があり、お見舞いや医療の確保等に努めた旨の発言がありました。事件発生現場となった地域の責任者としてこの事件について重く受け止めていただいているものと、ありがたく受け止めています。
●何立峰・国務院副総理との面談
さて訪中記に入ります。7月1日、訪中団は北京空港に到着してホテルで荷物をほどいてから、人民大会堂に向かいました。会談は17時30分からの予定でしたが、15時45分にはホテルを出発。16時過ぎには人民大会堂に到着して待合室に通されました。なお、人民大会堂内では録音、録画、撮影は禁止されており、スマホ等は置いていくよう指示があったので、中の写真はありません。
会談に先立って、日本国貿促の中国側のカウンターパートである中国国際貿易促進委員会の任鴻斌会長と河野会長で、会見形式であいさつが交わされました。なお、中国国貿促は来年開かれる大阪・関西万博における中国パビリオンの運営主体であり、任会長は今年2月の中国パビリオンの起工式のため来日されています。ぜひ万博が始まったら中国パビリオンにも皆さんのご来館をお待ちしています、と逆PRもありました。
17時過ぎに何立峰副総理が人民大会堂に到着され、全員で記念撮影ののち、17時25分ごろに会見がスタートしました。
まず、何副総理から、河野会長をはじめとする訪中団に対する歓迎、両国国貿促の交流と発展への貢献に対する評価、双方首脳の11月APECにおける会談や日中韓サミットにおける会談等についてお話がありました。
河野会長は、歓迎に対する感謝と相互の理解と信頼を向上させるための人的交流積極化の必要性に触れた上で、コロナ禍以降、日本人の中国渡航時にビザの発給が必要になった点を改善すること、蘇州で発生した事件に関して落命された方に感謝と哀悼の意を表した上で、その事件の真相を明らかにし教示すること、反スパイ法により邦人が拘束されている件に関し、法の解釈の明確化や運用の透明化を行うこと、の三点を副総理に求めました。
何副総理からは、蘇州の事件に関しては純粋に偶発的なものであること、犯人は法に則り処分されるため安心されたいと話されました。また過去に中日関係が悪化した際にも、勤務先の企業を守ろうとした中国人もいたことに触れられ、事件に影響されるべきではない旨のお話がありました。また、ご自身の過去の日本との経済交流の経験に触れられた上で、中国は改革開放のトレンドを堅持すること、3中全会で全面的な改革に向けた重大な決定をすること、より経済の障害を取り除くことに重点を置くことなどを述べられました。また、中国経済の状況について今後の成長の見通しを述べられた上で、日系企業に対して中国でのビジネスチャンスを掴んでほしいこと、重要な教訓として最新の技術の導入を躊躇すべきではないことなどをお話になりました。
河野会長は、訪中団に参加されている照屋義実・沖縄県副知事を紹介し沖縄県と福建省の交流について触れたた上で、地方間の交流の促進について述べられました。また地方財政と不動産の問題について問われました。
何副総理からは、地方政府の債務負担の問題については解決の計画を立てているところであり、解決に自信を持っていること、不動産の問題についてはモデル転換を進めており、農村部から都市に出稼ぎに来る低所得者向けの住宅を公共的に供給することを考えていること、また日本の建設業にも進出を期待している旨の話がありました。
河野会長から、橋本が日本国貿促の会長代行に就任した旨の紹介があり、続けて私からは、ご挨拶を申し上げた上で、大阪・関西万博における7月11日の中国ナショナルデーではぜひハイレベルの方にご来日いただきたいこと、少子化・高齢化という日本と共通する課題を持つ中で医療・介護等の経済協力についても交流の機会をいただきたいこと、拘束されている邦人の方について寛大な対応を願うことの三点について発言しました。
何副総理からは、シルバー経済にも着目しており、定年の引上げや観光、在宅養老、施設介護などを推進すること、高齢者は2億人いるためこの分野の協力も両国にとって明るい未来となること、また個別の案件については把握していないが話を聞いてみたいとのお話があり、以上で会合は終了となりました。
振り返れば、日本側としては投資やビジネス等の妨げになっているテーマである蘇州事件対応や反スパイ法への要望を行い、他方で中国側は中国経済上の課題克服と成長に自信を示し、3中全会で発表される政策を含めてより改革開放を進める姿勢を表し、日本企業に一層の投資を促した、と整理することができます。ただ日本側としては、いくら投資や企業進出を促されても、要望した個別の課題の解決がなければ前向きになることは困難という意思を先に示しており、結果として先方に宿題を残した格好といえるでしょう。今後の中国側の対応に期待したいと考えています。
その日の晩は、今回の日本国貿促訪中団をホストしていただいている中国国貿促主催の歓迎会がありました。
●中国日本商会との朝食懇談会
翌朝7時から、ホテルにて朝食を摂りながら、中国に進出している日本企業による組織である中国日本商会の本間哲朗会長(パナソニックHD)はじめ役員の方々と、河野会長および私、国貿促の安田真人理事長とで懇談を行いました。
中国日本商会の方々からは、それぞれの企業が中国で展開している事業やその展望等についての紹介を頂いた上で、中国経済の現状に関しB2Bが厳しくなっていることや不動産の不況が厳しく数年続くと思われること、地方レベルではまだ外資への差別が見られること、中央政府が政策を打ち出しても地方の現場レベルではいつ誰が行うのかよくわからないことがあること、消費マインドも厳しくなっていること、その一方で若者がSNS映えする写真が撮れるとして突然デジカメが人気になったこと、3中全会で打ち出される政策には期待もある一方、大規模な需要喚起策は、社会の格差を増す副作用もあるため行わないのではないかという見方もあることなどのお話がありました。
総じて、日本企業にとって中国は巨大で重要なマーケットと捉えられている一方、以前よりビジネス上のうまみが減少している面もありかつ現在消費の冷え込み等もあるため、様子を見ているという姿勢が伺えました。また、昨年の国貿促の訪中の際に河野会長から商務部に日本商会と話をするよう求めたため、その後商務部と日本商会で話をする機会が設けられ、いろいろな要望を行うことができたとのお話があり、政治レベルでの日中間の交流がより活発になることへの期待もお話いただきました。
●凌激・商務部副部長との面談
その後、商務部を訪問しました。王文濤・商務部長は習近平主席のカザフスタン訪問に同行しているとのことで、凌激・副部長にご対応いただきました。
冒頭、凌激副部長から歓迎の挨拶と両国関係についてお話があったあと、河野洋平団長から、昨年訪問時に王部長に日本の不安や疑問を伝えたところ速やかに日本商会に説明会を催してもらったことなど対応に感謝を表し、今後も日本商会などの団体や企業の不安や疑問の解消のために説明の機会を設けていただきたいこと、データ移転に関する法律で不明確な点等について、特に中小企業に対して説明と対応を願いたいことのお話がありました。また橋本から、3中全会における新しい政策についての教示、また中央の方針が地方に徹底されておらず未だに外資企業と中国国内企業で対応が異なるケースがあることへの対応、蘇州の事件に関し邦人の保護に商務部としても留意願いたいことの三点を要望しました。さらに、平野信行副団長(東京三菱UFJ銀行)から、日中韓のFTAについて高いレベルの内容になることへの期待、一部原材料品目の輸出管理の実施にあたり、審査の円滑化による早期の対応や基準の明確化や事前説明など企業の混乱を回避する施策を求めること、中国が述べる「新質生産力」に関連し、広範囲で公正な市場競争の促進と、内外資の差別のない統一された国内市場の構築を求めることの三点を日本経済界の声として要望しました。
凌副部長からは、中国政府は外資誘致に関する政策を重視していることが紹介され、今後も改革開放を堅持する旨のお話がありました。また、データの越境については、データ安全法および個人情報保護法によりデータの安全と秩序ある流通を推進しているが、具体的な質問等があれば個別に対応すること、また今後も日本企業や日本商会とも意思疎通を強化し今月中に日系企業に向けた円卓会議を開催できるというお話がりました。三中全会のテーマは改革の深化にあり、中国式現代化、すなわち貧富の格差が伴う現代化ではなく、すべての国民が共同富裕に達する現代化を進める旨紹介されました。また外資系企業の不平等の対応については確かに苦情や意見もあったが随時改善しており、今後も問題があれば商務部にメールや電話、面会で話してほしい旨発言されました。また蘇州の事件については、驚きと怒りを感じており偶発的な案件と聞いているが、外国人の安全と保護に力を入れるとの発言がありました。中日韓FTAについては敬意を振り返った上で、複雑な経済貿易関係を考慮しバランスをとることの困難さを指摘した上で、3か国の指導者が政治的に支持することが重要であり、日本政府の支持を経済界から働きかけてほしい旨話がありました。輸出管理については、他国の品目数より中国の品目数が少ないことに触れた上で、経済産業省と商務部の間で中日輸出管理対話を立ち上げたこと、既に日本企業からの申請により輸出許可を行った例もあることの紹介がありました。新質生産力の革新はイノベーションであることに触れ、工業製品の改造、自動車等大口消費財の買い替えなどが新質生産力を発展させる具体的な措置である旨の紹介がありました。また8月1日から施行される公平競争審査条例[JETROによる日本語訳PDF]の目的は、政府の政策作成に制限を設け、ビジネス環境を改善し統一した大きな市場を形成することにある旨発言がありました。
河野会長から、照屋沖縄県副知事が訪中団に参加していることについて紹介がありました。照屋副知事からは、沖縄県と福建省の交流を紹介され、観光や経済など多面的な地域間交流を促進させるためさらなるビザの緩和を期待すること、地域産業の中国市場への参入について関係機関との連携の協力について要望されました。凌副部長からは、沖縄県と中国の地方との協力の重要性を感じたこと、福建省の厦門で中国最大の投資商談会を商務部が開催するので、沖縄県をはじめ各地からの出展を期待している旨のお話がありました。
最後に河野会長から、中国の就職難に関連して人材ミスマッチの解消についてお話があり、凌副部長から中国の人材受給のミスマッチの状況の紹介や、技能実習生の交流についてお話があり、ここで会見はお開きになりました。
凌副部長は、こちらからの要望に対し、ひとつひとつ真剣かつ丁寧に対応いただいた印象があります。また、もちろんそれが彼らの仕事なのですが、日本からの投資を呼び込もうとする積極的な姿勢を感じました。こちらからも中国商務部に対し民間経済団体として求めることを明確に要望しましたので、今後の継続的な意思疎通と個別案件の進展に期待しています。
●国観智庫セミナー
商務部からホテルに戻り昼食を摂りました。ひと息ついて、13時半から中国の民間シンクタンクである国観智庫のエコノミスト曹遠征氏による「中国経済は新しい段階に-志と夢」(私の意訳です)と題する講演を聴講しました。概要をざっくり紹介します。
- 鄧小平が行った改革開放政策が「世界の工場」といわれる中国の現代化を進めた。その結果、貿易摩擦を招いたため内需拡大や所得向上、サービス業の発展等に力を入れてきた経緯があり、今後も国内に一大市場(全国統一市場)を形成することと技術開発への投資を進めることが重要。
- 現在の足元の課題として、不動産市場の不況、地方自治体の債務リスク解消、消費低迷によるデフレの解消が挙げられる。背景として、世界銀行の基準では2025年には高所得国入りする状況になっていることと、少子高齢化に伴い2022年に人口減少が始まっていることが挙げられる。
- 中国としては、今後は脱工業化、サービス主導の高所得社会を目指す。技術面でも新エネルギーやバッテリーなど低炭素技術では世界をリードし、世界的な協力関係を強化する。
- 中国経済は規模が大きく、持続的な発展が世界的な課題。都市化も余力があり低所得者の所得向上による成長も期待できるため、日本のバブル崩壊のようにはならない。
- 中国と日本との経済協力も今後の成長の重要な伸びしろであり、更なる協力と緊密な関係の構築を望む。
●在中国日本国大使館訪問
2日夕方、訪中団で北京の在中国日本国大使館を訪問し、金杉憲治大使から中国外交の動向等についてレクチャーを受けました。概略は下記のようなお話でした。
- 中国外交の基調として、対米関係の安定を図りつつ、BRICSやGlobal Southの一員として発展途上国のリーダー的なポジショニングを強調し、多くの国々との関係構築に向け活発な外交を展開している
- ウクライナを巡るスタンスの違い等もあり、対EU、対米、対日などでは必ずしも成果を挙げていない。小グループ(G7・NATOなど)と大家族(BRICS・上海協力機構など)の対立といった発言も見られる。
- 昨年11月のAPECにおける岸田首相と習近平主席の会談、今年5月日中韓サミットにおける岸田首相と李強総理との会談等を経て、日中関係は底を打った感はある。ただ邦人拘束やALPS処理水、ビザの問題など具体的な懸案事項の解決には至っていない。
- 引き続き政府のあらゆるレベルでの意思疎通を図り、また議会や経済人を含めオールジャパンで日本の意思を伝える必要もある。
なお大使館でのレクチャー終了後、北京市内で訪中団の交流会を行いました。
●自動運転実験の見学
翌3日は午前中、北京市郊外の自動運転実験の見学に出かけました。まず北京市の自動運転施設を訪問し、北京市における自動運転のしくみや実験の成果等についてプレゼンテーションを受けました。北京市では、首都空港-実験区-大興空港を結ぶ範囲を定めて既にその中では自動運転の車が既に走っているとのことで、例えば自動運転タクシーは456台、宅配便の無人配送車・無人販売車は合計358台、自動運転シャトルバスは6台、その他パトロールカーや無人清掃車、幹線物流なども実際の道路で運行されているとのこと。交差点にはレーダーやカメラなど各種センサーをつけた信号柱を整備し、車のセンサーからの情報とクラウドで情報を共有して自動制御する路車協調方式を採用していること、交通事故もあるが人より少ないこと、故障の復旧のため人による遠隔操縦もできること(昔ゲームセンターにあったF1ゲームの筐体のような感じでした)などの説明がありました。
そして実際に乗ってみましょう!ということで、実際に無人運転乗用車(レクサスの車でした)の後部座席に乗り、公道を10分ほど一回りして帰ってきました。席にモニタがついており、認識している人や車などが確認できますが、車の陰の歩行者なども認識しているのが分かります。おそらく近くの車のブレーキランプも認識していました。交差点やそれ以外でも、前に人や自転車などが横断していればきちんと停止しますし、散水車が低速で走っている後ろについたらウインカーを出して追い越しをしました。最高50km/hくらい出して安全快適に公道を走行して無事に施設に戻りました。あまりにも普通に街中を走行していましたし、その気になって外を見ると、三輪バイクのおっちゃんや普通の乗用車に交じって普通に無人運転車がそこいら辺に普通に走っている光景は、かなりSFチックでしたが、現実です。正直驚きました。ただし施設のゲートから公道に出る時に前方から別の車が来てお見合い状態になった際には、こちらはずっと停車し続け、しばらくして根負けした相手の運転手が諦めてバックして道を譲ってくれたので事なきを得ました。他車との「譲り合い」みたいなことについては、なお改善の余地があるのかもしれません。
その後、同じ研究開発区の中にある百度(バイドゥ)の自動運転の施設も見学しました。百度では、北京市以外にも無人タクシーを展開しており、武漢市および北京市における無人タクシーの運行状況を大型スクリーンで一望しました。無人タクシーはすでに営業運転しており、近年中に黒字化を目指すとの由でした。ただ別の場所で聞くところによると、無人タクシーはちゃんと安全運転するために一時停止等のルールを守るので、中国の運転手の運転に慣れている客がかえってイライラしてしまい、そのため有人のタクシーが選ばれてしまい営業的には苦労しているとのこと。うわさ話ですが、ありそうな話ではあります。
●中国国際経済交流センターセミナー
午後から、中国国際経済交流センターの王一鳴副理事長による「中国経済の現状と全国統一市場建設」と題するセミナーを聞きました。前日の国観智庫は民間シンクタンクですが、中国国際経済交流センターは国家発展開発委員会の下にある政府系シンクタンクです。やはり政府系シンクタンクの方がややポジティブな発言が多いかなと感じました。概要は以下の通りです。
- ポストコロナの中国経済は持ち直している。供給面では製造業、サービス業は持ち直し、需要面でもまだコロナ前の水準には戻らないが持ち直しつつある。小売業は堅調であり、固定資産投資は不動産がマイナスだが設備投資などがけん引して4%の向上。耐久品の下取り補助や設備更新の補助など消費喚起策を実施している。
- 長期的に見て、中国経済は高度成長期から中速度成長期にさしかかったものと思われる。成長の伸び率のグラフについて、日本の1986年、韓国の1992年、中国の2010年を重ねると同様のカーブを描く。今後はTFP(全要素生産性)を高め、質の高い成長を目指す。
- 3つのチャレンジがある。1つは需要不足。コロナ後に需要が完全には戻っていない。国内需要喚起策が必要。2つ目は不動産市場の調整。バブル崩壊時の日本ほど深刻ではないが、需要押し下げ効果はある。地方政府が不動産在庫を公的住宅として提供する解決策がある。3つ目は外需の不確実性。地政学リスクや政治的リスク(もしトラなど)がある。輸出の下振れは中国経済にダメージになる。
- 一方、中国経済は中長期的にはまだ伸びしろは大きい。人材も豊富。さまざまな分野でイノベーションを進める。技術の囲い込みをされるので、基礎研究に投資をして自主開発を推進する。産業の高度化を図り、出稼ぎ者の定住を進めて需要を拡大する。グリーンエネルギーも推進する。
- 3中全会では、改革の継続と中国の新たな現代化が議論される見通し。中国は世界の工場であり、世界の市場になる。今までの中国の強みはローコストであったが、今後は総合的なサプライチェーンが整っていることが競争力の源になる。また、市場基礎の強化と規則の統一として、知的財産権の制度の完全統一を図る。財産権(公的・私的)の保護、市場参入規制の統一、公平競争制度の統一(特定企業の優遇を排する)、社会信用制度の健全な統一を図る。
- 中国と日本の間では、信頼なくして協力は不可能。紆余曲折を経たからこそ、平和と信頼の構築により美しい未来を構築すべき。
質疑応答において、中国はもう先進国になりつつあるのではないか?という質問に対しては、まだIMFの定める基準に達していないこと、北京や上海以外、特に内陸部ではまだ立ち遅れがあることから、未だ発展国と認識しているというお返事がありました。またここ数年の「国進民退」の政策の結果、民間活力が削がれているのではないか?という質問に対しては、コロナ禍のダメージがサプライチェーンの川下側に大きかったため、川上側に多い国有企業が川下側に参入せざるを得なかったのが「国進民退」の事態であり、業種による温度差もあるが、国有資本の退出も考え得る、というお返事がありました。ここまでセミナーは時間となり終了しました。
なおこの日の晩は、日本国貿促の主催で、中国のゆかりのある方々をご招待して祝宴を開催しました。訪中団一行と多くの中国側のゲストの方々の交流が深まり、とても有意義な会でした。
●江蘇―日本経済貿易協力交流会/信長星・中国共産党江蘇省委員会書記との面会
4日は朝にホテルを出発し、飛行機で江蘇省の南京に移動しました。南京は、古くは秣陵、建業、金陵などと呼ばれていた歴史ある都市で、今は江蘇省の省都となっています。ちょうど梅雨が明けたとのことでとても暑く、中国三大火炉(ボイラー)と称される面目躍如といったところでした(あと二つは重慶、武漢)。河野洋平会長が北京で訪中団を離れて帰国され、南京以降帰国までは私が訪中団の団長を務めました。そのため、会見については私がメモを取る余裕がなかったため、以後については記憶にのみ頼って記しています。
訪中団は午後に南京中心部のホテルに到着し、15時から江蘇-日本経済貿易協力交流会に出席しました。双方の挨拶が交わされた後、江蘇省および省内の3市(常州市、南通市、塩城市)の投資プロモーションを拝見しました。なお中国では省や市といった地方自治体間の競争が激しく企業誘致も自治体の実績になるため、皆さん熱心にそれぞれの都市のPRをされていました。
終了後、同じホテル内にて17時半から信長星・党江蘇省委書記との会見がありました。冒頭、信書記から歓迎の挨拶があり、また長年にわたる江蘇省と日本との深い関係について紹介がありました。また先月信書記をはじめとする江蘇省訪日団が来日しており、その折の交流会が成功裏に終了したこと、今後青少年交流等を推進したいことなどのお話がありました。
私からは、まずご挨拶と歓迎に対する感謝を申し上げました。江蘇省には1万人の在留邦人が滞在し深い関係があることに触れ、蘇州の事件に関して亡くなった方に哀悼の意を表した上で、江蘇省で生活する日本人についての安全の確保を求め、また事件の真相を明らかにするよう要望しました。また日本からスムーズに訪中できるようビザの免除についても関係当局に伝えるよう依頼しました。来年行われる大阪・関西万博の中国パビリオンにおいて江蘇省ウィークが開催されるため、ご来日をいただきたい旨お話をしました。また、高齢化という共通課題を持つ中で、介護や医療分野など日本が中国に協力できる分野がある旨の発言をしました。最後に、日本国貿促として今後も日中交流の発展に努める旨申しました。
信書記からは、蘇州の事件については報道官等が公表し訪中団に対して何副総理が表明した通りであること、ビザの問題については関係部署に伝える旨のお話がありました。私からは、改めて江蘇省として日本人の安全保護をいただきたい旨、重ねて要望しました。
会見終了後、部屋を移動して江蘇省政府主催の食事会がありました。
●蘇州市見学、劉小濤・中国共産党蘇州市委員会書記との面談
翌6日は、朝からマイクロバスで蘇州市に移動。少し寄り道して長江を眺めましたが、梅雨のため増水しており船着き場や遊歩道が水没していました。また高速道路のサービスエリアは、商業施設の中を通り抜けて一番突き当りにお手洗いがあるという商売っ気の盛んな構造をしていました。いろいろ興味深いです。
昼過ぎに蘇州市に到着。高鉄(中国の新幹線)蘇州北駅近くのホテルにて、蘇州市政府の呉慶文市長主催の昼食会がありました。呉市長は、蘇州のことを歴史文化の残る街と、高度に発展した技術開発を行う先端的な街という二つの名刺を持っているという表現をされました。返礼のご挨拶で私から蘇州の事件について触れたところ、呉市長から蘇州市政府の対応についてお話がありました。
昼食後、訪中団は長江デルタ国際研究開発コミュニティ展示センターを訪問し、蘇州市のプロモーションと相城区(蘇州市の行政区の一つ)のプロモーションを拝見しました。また蘇州御窯金磚博物館を訪問して見学しました。金磚とはレンガのことですが、北京の紫禁城の床に敷き詰められているレンガ(というか大きなタイルという方がイメージに近い)は全て蘇州で生産され運河で運ばれたたもので、その製造工程等について展示がありました。一般的なレンガのイメージと異なり、時間と手間をかけて焼かれた金磚はまるで石のようでした。ついで高新区(同じく蘇州市の行政区の一つ)に移動し、そちらでもプロモーションを拝見しました。なお高新区では立地産業等についての紹介の後、蘇州の特産品である美しい刺繍づくりのデモンストレーションと展示があり、特に裏表で絵柄の異なる刺繍づくりは訪中団一同の関心を集めていました。
一旦宿泊するホテルに移動して荷物を置いた後、近くの国際会議センターにて劉小濤・党蘇州市委書記と面談を行いました。劉書記からは、歓迎の挨拶と蘇州市と日本の関係の深さについて紹介された後、前述の通り蘇州の事件について蘇州市政府の対応について説明があり、そして今後も双方の協力強化を図りたい旨のお話がありました。
私からは歓迎に対する感謝の挨拶を申し上げた上で、蘇州市の事件に関し被害者の方々への対応についても感謝を申し上げた上で、引き続き寄り添った対応を求め、日本人の安全確保について要望しました。またプロモーション等の感想を申し上げた上で、今後とも日本と蘇州市の関係発展に努める旨、お話を申し上げました。
その後、部屋を移動して蘇州市政府主催の食事会がありました。劉書記は先の会見で率先して事件について触れてくださったことに好感を持ちましたし、年齢も近い(私の4歳上)ので話も弾みました。劉書記は早稲田大学に留学していた経験もお持ちとのことでした。また翌日には蘇州市副市長主催の朝食会も催していただき、訪中団にとても気を遣っていただいているようにも感じた次第です。
翌日の朝食会終了後、ホテルを出発してマイクロバスで上海虹橋空港に移動し、帰国しました。帰国便が羽田空港に着陸している時に雷鳴が聞こえるなと思っていたら急に驟雨に見舞われ、空港の到着作業が中止されたため1時間ほど機内で待機になるオマケが付きましたが、無事に帰国できました。
●まとめ
今回の訪中は民間団体である国貿促ものでしたので、要望や意見交換のテーマは主に経済に関するものに集中していましたが、それだけに中国の経済情勢等についてはとても勉強になりました。もう数年で高所得国の範囲に入りうる成長を続け、公道で営業も行われている自動運転技術や先端的なグリーン技術等を誇りながら、未だに多数の農村人口を抱え政治的にも自らを発展途上国のトップランナーと位置づけ続ける中国は、その巨大さのみならずひと括りに捉え難い幅の広さも興味深く、そもそも先進国とか発展途上国とかいう括り方自体が無意味な気すら感じました。経済的にはセミナーにて触れられたように分岐点を迎えつつ、それを自覚して乗り越えようとしています。政治的には習近平主席による指導体制が確立しており、例えば自動運転のように日本では調整が大変だろうなあと思うことが実現してしまうものの、おそらく同じ理由により一向に改善されない課題や矛盾も抱え続けているようにも見えました。何事も、百聞は一見に如かず、です。
そうした中で、日本と中国とは地理的に一衣帯水の関係が続きますので、継続的にコミュニケーションの機会を持ち続けていることは重要だと思いますし、機会をとらえて意思疎通を図り粘り強く課題解決を求めるしかありません。蘇州の事件が起こった折から、その現場となった蘇州市を訪問し意見交換できたことは、当方にとっても、またおそらく先方にとっても幸いなことであったと感じています。「呉越同舟」とは、まさに訪問した江蘇省の故事です。日本と中国も、同じ東アジア地域に根差すものとして、この言葉をしみじみと噛みしめるべきであろうと思った訪中でした。
最後になりましたが、今回の訪中団のホストを務めていただいた中国国際貿易促進委員会の任鴻斌会長、江蘇省分会の王善華会長、蘇州市分会の徐連全会長はじめ中国国際貿易促進委員会の皆さま、日本国際貿易促進協会の河野洋平会長、安田真人理事長はじめ参加メンバーの皆さま、泉川友樹事務長はじめ事務局の皆さまのおかげで充実した訪中スケジュールを実現していただきました。深く感謝申し上げます。