週刊新潮に記事の訂正をさせました
ブログ「お知らせ」にて記載した通り、かねて令和4年12月27日発売の週刊新潮における記述に関して警察との相談や週刊新潮への通知書の発出等の対応を行っておりました。今般、週刊新潮は私の主張を受け容れ、令和5年1月19日発売の週刊新潮において記事の訂正を行いました。これを受け、この件についての対応を終了することといたします。なお当該元記事については、自見はなこからも記事の撤回と謝罪を求める通知書が発出されていることを申し添えます。
まず、事実関係について記します。令和2年にかつての妻と離婚をいたしました。その際、4人のこどもたちは私が扶養し、未成年の子の親権は私が有することとしました。これは、こどもたちの意向も尊重しつつ、協議の上双方合意して成立したものです。その後、令和3年末に自見はなこと入籍し、同時に4人のこどもたちも、それぞれの同意の上ではなこと養子縁組を行い、6人家族となりました。現在、社会人の長女と大学生の長男はそれぞれ一人暮らしをしており、高校生の次女と中学生の次男は私およびはなこと同居して4人で暮らしています。写真が掲載されている私とはなこの挙式にもこどもたちは4人とも同席して共に喜んでくれましたし、この年明けには2日間のお休みをいただいて、家族6人でUSJなどに出かけて仲良く過ごしました。
そうした中で、私の離婚と結婚に関し、揣摩臆測に基づくストーリーなどにより面白おかしく脚色構成された記事が幾度か週刊誌に掲載されることがありました。必要に応じて抗議はしましたが、それが週刊誌というものですから、そこまでに留めて過ごしておりました。
ところが、令和4年12月27日発売の週刊新潮において「妻子を棄てた橋本議員」という記述がありました。合意により離婚が成立したものを「妻を棄てた」扱いされたことも不服ですが、それよりも特に、上記のような経緯があるにも関わらず「子を棄てた」と記述されたことは見逃すことはできませんでした。そのような事実はありませんし、両親の離婚という辛い出来事を受け止めている(この経験をさせたことは、こどもたちに申し訳なく思っています)こどもたちが、さらに「棄てられた子」というレッテルを一方的に貼られることは、メディアによる言葉の暴力以外のなにものでもなく、決して許せるものではありません。
そこでこの表現につき、弁護士を通じて警察と相談の上、週刊新潮に抗議し謝罪と訂正を求める内容の通知書を二度にわたり発送したところ、今般発売された週刊新潮において「『妻子を棄てた』から『妻を棄てた』に変えさせていただきます」との記載がありました。これは、私の抗議を受けてその正当性を認めて自ら記事の訂正をしたものであります。なお表現は不当ですし謝罪も反省の弁もなく不十分とは思いますが、その対応により、一応は少なくともこどもたちの名誉は回復されたものと評価をし、私からの抗議は終了することといたします。
「お知らせ」にも記したように、国会議員という公職を預かるものとして、国民の知る権利や報道および言論の自由の重要性は重く受け止めています。公の事柄のみならず、私事についても公人については報道の公益性が認められるのが判例です。ただその上で、離婚については、個々に様々な事情が存在するものであり、報道でも丁寧な取り扱いを要するのではないかと考えます。特に、子がいる場合は、彼らの権利も踏まえ、なお一層慎重であるべきではないでしょうか。さしたる取材もせず、本人たちの心情も全く顧慮せず、十把一絡げに「妻子を棄てた」と事実と異なる表現をし、さらに「慣用的に表現」などと称して安易に自己正当化を図って憚らない週刊新潮の考え方こそが、人間関係を「棄てた」と物のように粗末に取扱い、かつあたかも子は母親の付属物でしかないかのような固定観念にも縛られており、世間と乖離しているのではないかと感じます。
いずれにせよ、今後とも報道各社には、取材に基づきより丁寧に確認した事実に基づく報道がされることを期待します。
橋本岳