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2026年1月

2026年1月27日 (火)

第51回衆議院総選挙への立候補にあたり

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 令和8年1月27日、第51回衆議院議員総選挙が公示されました。この選挙は、高市早苗総理が進める「物価高から生活を守り抜く」政治を、より力強く推進する力を得るために、国民の審判を仰ぐものです。橋本がくは、この選挙において、自由民主党公認候補として岡山県第四選挙区に立候補しました。

 1年3か月の浪人中、街頭や駅頭に立ち多くの方のお話を伺う中で、「スーパーで買い物したらびっくりするような値段じゃった」とか「ガソリン代が下がって助かるわぁ」といったお話を幾度も伺いました。積極的な財政政策で、物価高からみなさまの生活を守る対策が求められていることをつくづく痛感しました。こうした声を受け、昨年就任した高市総理は、就任直後にまず補正予算を成立させ、三十年ぶりのガソリン税の廃止や物価対策の給付、医療・福祉分野への支援などさまざまな物価・賃金対策を実行しました。

  その高市総理の力強いリーダーシップを今年以降も十分に発揮し、「責任ある積極財政」の考えに基づき消費税の一部引き下げを含む一層の物価・賃金対策を実現するためには、国会において一昨年の衆議院選挙で失った自民党の議席の回復が必要です。いわば、この岡山県第四選挙区で橋本がくが議席を取り戻せるかどうかが、高市総理が力を発揮し、さらなる対策を力強く進めるための天王山なのです。また私自身も、「地域に活力を取り戻す - 賃上げと投資で地域経済を強くする」「健康と安心をつなぐ- 攻めの予防医療を充実する」「未来をつくる – こどもまんなか社会の実現」の3つの挑戦を掲げ、毅然とした対策で日本社会の平和を守るとともに、政治資金の問題で失望を買ってしまった自民党自身も叩き直し、離れてしまった方にも再び信頼を得られるよう、全力を尽くす覚悟です。どうぞ橋本がくを働かせてください。必ずあなたの役に立ちます。

 これまで4半世紀にわたり、野党時代もふくめ熱烈にご支援をいただいた公明党の皆さまに、篤く感謝を申し上げます。特に福祉やこどもの政策については、一つひとつ議論しながら政策を進めてきたパートナーという思いもありましたので、ことのほか寂しく感じます。しかし選挙としては、連続7期当選を重ねた選挙に強い方を筆頭に複数の候補としのぎを削る、大激戦の状況からの挑戦となります。橋本がくは、街頭や駅頭で手を振り返してくださった方、「がんばれよ!」と声をかけてくれた方、お茶やコーヒーの差し入れをしてくださった方、そうしたお一人おひとりの気持ちを頼りとし、感謝と勇気をもって挑戦者としてこの選挙戦に挑みます。絶対に負けられない戦いです。地べたを這いつくばってでも選挙区の隅々までお一人おひとりに思いを訴えぬく決意です。

 岡山県第四選挙区においては、小選挙区は【橋本がく】に、比例代表では【自民党】に、あなたの貴重な一票をご投票くださいますよう、何とぞよろしくお願い申し上げます。

橋本 がく

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2026年1月18日 (日)

橋本がくの家族について

(2026年1月25日付記:この文章は、元の妻の希望がありYouTubeのショート動画を作成したこと関し、あわせて文章でもと考えて記したものです)

 これまで、橋本がくの家族関係について、変にメディアに取り上げられたこともあるため、いろいろなうわさ話的になってしまっているところもあります。そこでこの際、これまでの橋本がくの家族について、その歩みを記しておきます。

 私は2005年の初当選以降、衆議院議員または衆議院議員に挑戦する候補予定者として一貫して政治活動をしてきました。政治の世界は、選挙という結果によって評価される厳しい世界であり、その浮き沈みは、私自身だけでなく家族の生活にも少なからず影響を与えてきました。その中で、家庭では、一人の父親として娘二人息子二人のこどもたちと向き合いながら、日々を重ねてきました。

 家族にとって最も厳しい時期は、17年前の2009年の最初に落選を経験した時でした。当時、こどもたちはまだ幼く、生活面・精神面ともに不安定な状況に置かれました。政治家として再起を目指す思いと、父親として家庭を支える責任の間で、十分な余裕を持てなかった面もあります。その時期、こどもたちにも、元の妻にも苦労をかけてしまいました。この点は、今も私の中で消えることのない悔恨として残っています。

 その後、再び国政の場に戻り、議員として活動を続ける中で、こどもたちはそれぞれに成長していきました。一方で、家庭内では前の結婚はお互いの合意の上で、離婚という形で区切りを迎えました。家族の形が変わる過程においても、こどもたちは状況を受け止め、それぞれの立場で前を向き、私についてきてくれました。困難な経験を通じて、逞しさと同時に、他者を思いやる姿勢を身につけてくれたことを、父親としてありがたく思っています。

 2021年末に、橋本がくは自見はなこと再婚し、以降新しい家族として生活しています。はなこと四人のこどもたちは、全員の同意により養子縁組をしてくれました。はなこ自身は「母親になろうと気負うのではなく、こどもたちの人生の新しい登場人物として迎えてもらった」としばしば語ります。この関係は、血縁によるものではなく、時間と理解の積み重ねによって形づくられたものです。

 再婚まで、私は事実上のシングルファーザーとして子育てと仕事の両立を迫られていましたが、ちょうどコロナ禍というタイミングもあり、こどもたちに十分に時間を使うこともできていませんでした。そうした中で、はなこの弟さんが車を出し、こどもたちだけをドライブに連れ出してくれることがありました。これは本当にありがたいことでした。あとで聞くと、はなこも弟さんも、やはり議員のこどもとして幼少期に寂しい思いをしたことがあり、それでうちのこどもたちにも目をかけてくれていたのだそうです。大人同士が無理に距離を縮めるのではなく、こどもたちが自然な形で安心できる時間を持てるよう配慮された関わりでした。その積み重ねの中で、今の家族の関係が形づくられきたものと思います。

 なお、元の妻もすでに一般の方と結婚して今は家庭を築いており、その上で現在も折々にこどもたちとの交流も続けています。それぞれが異なる立場で生活しながらも、子どもたちの幸せを最優先に考えるという点では共通していると思っており、こどもたちと元の妻との間でも、落ち着いた関係が保たれています。

 2024年10月、二度目の落選をしました。この時点では家庭生活はすでに安定しており、またこどもたちも社会人から高校生までに成長し、不安定になることはありませんでした。他方、選挙結果については、家族の中でも率直な意見をぶつけられました。特に長女からは、父親として、また政治に関わる者として、非常に厳しい指摘も受けました。家族の中で最も厳しい言葉を向けてくる長女ですが、その率直さは、父親にとっては誠にありがたいことです。

 実際、落選後の衆議院宿舎からの引っ越し作業では、子どもたちが先に荷造りや片付けを進め、私は長女から断捨離を迫られる場面もありました。父親であっても教えられる側に回る場面があることは、子どもたちが自立し、対等な存在として向き合ってくれている証だと感じています。また他の子たちも含め、こどもたちは「お父さんの本当の姿を、世の中に知ってほしい」と気にかけてくれています。立場や評価とは別に、一人の人間としての姿を見てきて、世間で流布するイメージとの差を感じたからこその言葉だと受け止めています。

 こどもたちはそれぞれに社会人の道を歩み始めたり、自分の好きな分野を見つけて学問に励んだり、部活動に打ち込んだり、将来の夢を語ったりと、実に眩しい成長を見せてくれています。親として、その前向きな姿勢や挑戦する背中から、こちらが励まされ、勇気をもらっているのだと実感する日々です。

 次の世代が自分の意思で未来を描こうとしていることこそが、社会の希望であり、私が政治に携わる原点でもあります。ここで改めて、家族に支えられ、時に厳しく向き合われながら歩んできた時間を振り返り、ここに記しておきます。

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