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2025年7月

2025年7月 2日 (水)

映画「フロントライン」を見ました

●はじめに

 過日、現在公開中の映画「フロントライン」を見ました。2020年2月に横浜港に入港したクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号における新型コロナウイルス感染症の感染拡大の対応をとりあげた映画ですが、体験者として見ても、次から次に「マジか…」と呟きたくなるような何かしらの出来事が日々発生する船内外の緊張感とそこに関わる人たちのドラマが極めて忠実に再現されており、多くの方に見ていただいて損はさせない映画です。新幹線が爆発するような映像的な派手さこそありませんが(これはしばらく前に見た「新幹線大爆破」の影響ですね)、とはいえ感染症がもたらす不安や恐怖の中で現実と向き合う人々の勇気や使命感を改めて思い出させてくれるものです。かつそれが、ゴジラや新幹線爆破と違い、たった数年前に現実に発生した出来事に沿っていることなのです。

●良かった点

 個人的には(これは関係者としてのやや特殊な見方かもしれませんが)、ご自身やご家族の感染、そうでなくても足止めされたことや外界からの差別的な視線に対する不安や恐怖の中におられた当時の乗客・乗員の方々の姿が、映画の中でも限定的とはいえきちんと表現されていたことに、とても感謝をしたいと感じました。薬がなくて不安に過ごされた乗客もおられましたし、二段ベッドの広くない乗員居室も、実際にそうでした。家族が搬送される時に不安でパニックになる方もおられました(そして残念ながら船室で引き離されてそのまま永の別れになってしまった方も実際にはおられることも承知していますので、そこは映画だなあと思います)。また映画中では少しだけ否定的なニュアンスも感じましたが、感染していない乗客の方々も相応の不安やご労苦があったことにも思いを致す必要があるでしょう。村上春樹に「アンダーグラウンド」という地下鉄サリン事件の多数の被害者を丹念にヒアリングしたノンフィクションの書籍があります。ダイヤモンド・プリンセス号内もそれに近い状況で、たまたまあの航海に乗り合わせた3,711名の乗員・乗客すべてに本当はそれぞれの経歴と体験があったはずで、個人的にはそこにこそあの出来事の本質と悲劇は求められるべきだと思います。

 もうひとつ印象に残ったシーンを挙げるとすると、ラスト近く、開院直前の藤田医科大学岡崎医療センター(ここが実名で登場しているのは本当に良かったです)に患者を搬送し終えた後、藤田医科大学の医師が搬送に同行してきたDMAT医師を𠮟りつけ、直後に思い直して教えを乞う場面です。あの感染症対応の中で、誰もが戸惑い、八つ当たりをしたりされたりもし、しかしその中で協力し合いながら困難と対峙していたことを象徴する名シーンでした。

 もちろん、本作の焦点は船内に乗り込んで対応にあたっていただいたDMAT隊員の方々の苦悩と決断にあります。登場人物のモデルになった方々は船内や役所で一緒にお仕事していた方もいるので、末尾に断り書きがあったように出来事のデフォルメはありますが、とても「あー、この人こういうこと言いそう!」みたいな会話がたくさんあってとてもリアルでした。特に窪塚洋介が演じた仙道医師(モデルはDMAT近藤医師)は、風貌的にはご本人とかなり異なるにも関わらずかもし出す近藤先生感がハンパではなく、俳優さんの演技って凄いと感じました。おそらく大人の事情の故とは思いますがその場にいたはずの厚生労働副大臣や厚生労働大臣政務官は映画では割愛されていますが、打ち合わせシーンにいた白髪頭の厚生労働省作業服の後ろ姿の人が副大臣のイメージなのかしら、でも僕あんなに白髪頭じゃないけどな、とか思いながら見ていました。

●気になった点

 ただし、ご覧になるうえでご注意いただきたい点もいくつかあります。まず、最後に断り書きがあり映画の画面的に致し方ない判断だったことは理解せざるを得ないのですが、船内のDMATはじめ支援チームや乗員乗客が、拠点スペースであっても皆マスクを外しているのは終始強烈な違和感以外のなにものでもありませんでした。拠点に差し入れのドーナッツが置いてありそれを手でつかんでムシャムシャ食べる…のは必要なシーンではありますが、実際にはまず手指消毒してマスクを外して捨て、再び手指消毒の上でドーナツを掴んで口に運ぶ、という手順が行われるはずです。結果的にあの映像だと六合医師が動画を作りたくなる気持ちがわかってしまう見栄えだったのはいささか複雑な想いがしました。

 また、防衛省自衛隊や神奈川県医師会JMAT、DPATや日本赤十字社チーム、医薬品の準備についても日本薬剤師会をはじめさまざまな団体や企業、そして検疫所や厚生労働省も、その他多くのさまざまな団体や個人が勇気を持ってダイヤモンド・プリンセス号対応にご協力いただきましたが、映画としては割愛されています。また、映画では名前が変えられていたし最後の注書きで補足されていましたが、日本環境感染学会DICTの皆さんも、それぞれの意志と事情の中でできる限りの行動されていたことは補足しておきます。ですから映画「フロントライン」は、間違いなくダイヤモンド・プリンセス号と関係した人々がが直面した現実に極めて即して作られたものではありますが、あの映画に映っていることがダイヤモンド・プリンセス号対応の全部ではないことは、ご留意いただければありがたいと思います。これはエンターテイメントとしての映画の限界だと感じました。もし記録にご興味があれば、拙著「新型コロナウイルス感染症と対峙したダイヤモンド・プリンセス号の四週間: 現場責任者による検疫対応の記録」はじめ書籍などをご参照いただければよいかと思います。

●最後に

 なお、DMAT隊員や乗客・乗員およびそのご家族が、職場や家庭の周囲からの差別的な視線におびえるシーンが描かれていますが、これは本当にあったことです。だとすれば、本人が意識していたかしていないかは別として、言われた人が理不尽な差別と感じてしまうような言動をした人が日本に一定おられるということに思いを致す必要もあるということです。ダイヤモンド・プリンセス号当時ならいざ知らず、コロナ禍を経験した私たちとして、次のパンデミック時にはこういう苦しみを他の人に味あわせたり自分が味わったりすることのないように、少し胸に手を当てて考えていただけると、誠にありがたいことです。

 一人でも多くの方が、映画「フロントライン」をご覧いただけますように。

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