漫画「脳外科医 竹田くん」と医療事故調査制度
●はじめに
2023年にはてなブログに投稿された連作Web漫画「脳外科医 竹田くん あり得ない脳神経外科医 竹田くんの物語」をご存じでしょうか。脳外科医の竹田くんが、赤池市民病院にて医療事故を連続して発生させ、同病院が学会から専門医訓練施設の認定停止処分を受けるまで、142話にわたり投稿されています。漫画投稿時点では、作者は「『脳外科医 竹田くん』制作委員会」とされていましたが、今年の2月5日に「声明文」が出され、作者は現実の赤穂市民病院の医療事故の被害者親族であることが明らかにされ、そのことが報道されました。
それまで私も噂や報道で知ってはいましたが、実際に読んでいなかったので、全話目を通しました。驚くべきエピソードが多々含まれていましたが、個人的に最も気になったのは、竹田くんおよび古荒科長の一連の事件よりも、特に院長および病院幹部、そして赤池市の、一連の事故後の対応の酷さでした。隠蔽や話のすり替え、虚偽答弁のオンパレードであり、これは決して許せるものではありません。作中では「学会」が認定停止処分を行うことで、辛うじてプロフェッショナルオートノミーが機能した形となっていますが、行政的にも医療安全に係る諸制度がある中で、これだけの被害患者を出しつつも必ずしも機能していなかったように思われることがとても気になりました。
私は、医療法第六条の十以下に定められている医療事故調査制度について、自民党の衆議院議員、また厚生労働大臣政務官として創設に深く関わりました。今は立場こそありませんが、なお一定の責任はあるものと自覚しています。本作品ではこの制度については触れられていませんし、現実の赤穂市民病院がどう対応したのかも全く承知していません。しかし、「脳外科医 竹田くん」はフィクションとはいえ、個人的には現実をモデルにしたかなりリアルなものと受け止めています。そこで、漫画「脳外科医 竹田くん」を題材として、本制度の適用について検討することとしました。
なお、現実の赤穂市民病院および赤穂市の対応については、本来は制度を所管する厚生労働省が確認をされるべきではないかとも思いますが、本ブログ等がそのご参考になればとも考えています。赤穂市民病院の医療事故により亡くなられた方々に深くご冥福をお祈り申し上げますとともに、深い傷を負われた方々およびそのご家族に心からお見舞いを申し上げます。そして、そうした被害に遭いおそらくは語り尽くせぬ辛い思いを持ちつつも、冷静に関係者との対話や情報収集を重ね、フィクション漫画という形で世に知らしめた作者の方に、深く敬意を表します。だからこそ、この記録は、後のために生かさなければなりません。
●検証にあたり
まず、漫画を読みながら、赤池市民病院を巡るできごとについて時系列的にサマライズしました。ただこの際、漫画は必ずしも明確に日付が示されておらず、不明瞭な点も多かったので、ブログ「市民病院医療過誤記録」の「赤穂市民病院医療事故時系列」を参照し、日付や一部の項目を補足しました(赤文字部分)。こうして資料「Web漫画「脳外科医 竹田くん」クロニクル」を作成しました。フィクションの記録をノンフィクションで補うという妙な形になっていますが、わかりやすさのためにそのようにしています。ただし、それでも時期が判然としない項目や記述もあるため、必ずしも全てが順番通りになっているとは限らないことは申し添えます。
このクロニクルでは、医療事故の発生ごとに【case1】~【case11】と番号を振っていますが、便宜上、下の表のように整理します。作中には他にも放射線大量被ばく事故などもありましたが、他の資料等に倣ってこの11件を検討対象とします。
●医療事故調査制度における「医療事故」とは
ここで取り上げる医療事故調査制度とは、平成26年6月に成立した医療法改正により制度化したものであり、医療法第6条の10および11等に規定されるものです。制度の概要や詳細は「医療事故調査制度について」(厚生労働省)などをご覧ください。この制度により、病院、診療所又は助産所(以下「病院等」)の管理者は、「医療事故」が発生した場合には、日時場所及び状況その他の項目を遅滞なく医療事故調査・支援センターに報告し、医療事故調査等を行う義務を負っています。
ただし、この条文でいう「医療事故」は、一般的な表現や、日本医療機能評価機構が行う医療事故情報収集等事業の定義等と異なり、やや限定的な定義をされています。具体的には、第六条の十の丸かっこ内に「当該病院等に勤務する医療従事者が提供した医療に起因し、又は起因すると疑われる死亡又は死産であつて、当該管理者が当該死亡又は死産を予期しなかつたものとして厚生労働省令で定めるもの」とされています。したがって、まず、結果が死亡または死産でないものは、いかなる後遺症が残ろうともこの制度の対象にはなりません。これは、この制度を開始するにあたり、大病院から診療所・助産所まで網羅的に医療機関を対象とするものであるため、結果が死亡という重篤なものからまずスタートさせようという考慮のゆえと理解しています。
また、「医療に起因し、又は起因すると疑われるもの」とは、厚生労働省医政局長通知(平成27年5月8日医政発0508第1号)において、
○「医療」に含まれるものは制度の対象であり、「医療」の範囲に含まれるものとして、手術、処置、投薬及びそれに準じる医療行為(検査、医療機器の使用、医療上の管理など)が考えられる。
○施設管理等の「医療」に含まれない単なる管理は制度の対象とならない。
○医療機関の管理者が判断するためのものであり、ガイドラインでは判断の支援のための考え方を示す。
と、されています(当該通知には、もう少し具体的に「医療」か「医療に含まれないもの」かが表形式でも整理されています)。
さらに、「当該死亡または死産を予期しなかったもの」については、医療法施行規則(昭和二十三年厚生省令第五十号)第一条の十の二第一項において、「次の各号のいずれにも該当しないと管理者が認めたものとする」とされており、以下の一~三が挙げられています。
一 病院等の管理者が、当該医療が提供される前に当該医療従事者等が当該医療の提供を受ける者又はその家族に対して当該死亡又は死産が予期されることを説明していたと認めるもの
二 病院等の管理者が、当該医療が提供される前に当該医療従事者等が当該死亡又は死産が予期されることを当該医療の提供を受ける者に係る診療録その他の文書等に記録していたと認めたもの
三 病院等の管理者が、当該医療を提供した医療従事者等からの事情の聴取及び第一条の十一第一項第二号の委員会からの意見の聴取(当該委員会を開催している場合に限る。)を行った上で、当該医療が提供される前に当該医療従事者等が当該死亡又は死産を予期していたと認めるもの
従って、単に「こうした結果になることは予期されていた!」と執刀医や管理者が単に思っていただけでは、「予期していた」とは認められません。事前に患者等に説明していたか、事前にカルテ等に記載していたか、または事後に執刀医等および医療安全委員会から意見聴取した上で、予期していたと認める場合のみ「予期していた」とされ、そうした条件が整っていない場合は「予期しなかったもの」と判断しなければなりません。
なお、本制度の「医療事故」の定義は上記のみであり、過誤の有無は問われません。同時に、合併症であるかどうかも問われません。また、あくまでも「提供した医療に起因する、又は起因すると疑われる死亡または死産」としか書いていないため、手術等から死亡までの時間経過も問われません。
●「脳外科医 竹田くん」の各ケースにあてはめてみる
では、「脳外科医 竹田くん」の各ケースはどうなるでしょうか。
まず、対象は死亡例に限られますので、case4、case9、case10のみが本制度における「医療事故」の対象になり得ます。もちろん院内の規定その他で、医療事故調査の対象となってもおかしくない事例は他にもありますが、とりあえず本制度の対象としてはという意味です。
また、手術等の「提供した医療に起因し、又は起因すると疑われるもの」という条件には、上記3例とも当てはまるものと考え得ます。もちろん、厳密に、手術のみに起因する死亡か、または元の病気の進行に起因する死亡かを区分することが困難な例も含まれるかもしれませんが、少なくとも「疑われる」ものであろうとは考えますし、赤池市民病院もそう考えたからこそ、医療事故として列挙されているのだろうと思われます。合併症であったとしても、この制度では調査対象となることは先に記した通りです。
では、「予期していた」といえるでしょうか。まずは、事前に患者等に「予期されていることを説明している」かどうかです。一般的に、手術前には、本人や家族への同意書へのサインが求められます。この同意書には、おそらく合併症の発生やその結果として死亡に至る可能性等にも触れてあることが多く、赤池市民病院でもおそらくそうだったでしょう。しかし、上記医政局長通知では「一般的な死亡の可能性についての説明や記録ではなく、当該患者個人の臨床経過等を踏まえて、当該死亡又は死産が起こりうることについての説明及び記録であることに留意すること」とされており、こうした一般論としての同意書の説明では十分ではない可能性もあります。case 8など他の例も含めて、竹田くんが手術等のリスクに関して真摯な説明をしたような記述は漫画にはありませんが、この点については検証が必要とはいえるでしょう。「カルテ等に予期されることが書いてあった」かどうかですが、漫画中幾度かにわたり「竹田くんのカルテの記載はスカスカ」といった描写もあり、丁寧に個々の症例の転帰の可能性まで記録していたと読み取れる描写は特にありません。また、漫画の記述では、管理者(院長)が事後に竹田くんおよび医療安全調査委員会に意見聴取したような描写もありません。したがって、これは一方的な当て推量でしかありませんが、少なくとも死亡を「予期していた」とするための要件を満たすための手順を院長が踏んだ形跡は漫画には見当たらず、漫画に描いていないことは本当に「実施していない」ものと仮に理解した場合、case4、case9、case10の三例については、医療法の規定に基づき遺族への説明の上、遅滞なく医療事故調査・支援センターに報告を行い、院内調査を行うべき事例だったのかもしれません。少なくとも報告の要否について、管理者たる院長は判断のための確認や手続きを踏むべきでした。漫画を読む限りにおいて、赤池市民病院は医療事故調査制度について認識が不足しており、適切に対応していないように思われるのです。
●医療事故調査制度の二つの意味
実は、この制度には二つの意味があります。その一つは、本当に原因究明が求められ、再発防止のために警鐘を鳴らされるべき死亡または死産事例について、漏れなく然るべく調査が行われ、その結果が後世の医療安全のために生かされることです。
実は、もう一つの意味は、先に記したような「医療事故」の定義を行うことにより、管理者は普段から自院内における医療に係る死亡例についてすべて把握し、「医療事故にあたるかどうか」の判断をしなければならないという点にあります(また臨床においては、普段から患者や家族へのリスクも含めた説明を徹底することや、カルテへのリスクの記載を徹底することという意味もあるでしょう)。そのことは、平成28年の制度見直しの際に医療法施行規則第一条の十の二に「4 病院等の管理者は、法第六条の十第一項の規定による報告を適切に行うため、当該病院等における死亡または死産を把握するための体制を確保するものとする。」という項目が追加されたことで明示されました。またこの改正を補足するための厚生労働省医政局総務課長通知(医政総発0624第1号 、平成28年6月24日)では、「当該病院等における死亡及び死産事例が発生したことが病院等の管理者に遺漏なく速やかに報告される体制」と、より具体化されています。
要は、医療事故調査制度の運用の前提として、病院の管理者は院内すべての死亡または死産を漏れなく速やかに知る必要があり、そのための体制整備をしてくださいということです。事故かどうかを問わず管理者は知る必要があるので、基本的には主治医または診療科の責任者から管理者に死亡または死産の報告がされるという体制となるものと思われます(必要であれば、上記課長通知にその旨を追記することも考えられます)。またその際に、患者や家族への説明内容やカルテ記載内容についても報告があれば、管理者の判断に資することでしょう。
ここからは制度創設に関わった者としての願望になりますが、仮に赤池市民病院にこうした体制が整い、趣旨に則った運用が行われていれば、case4の患者が亡くなった時点で、院内での死亡例として、古荒科長経由で院長に報告が速やかに行われます。そして院長により竹田くんの患者や家族への説明内容やカルテの記載内容が確認され、竹田くんおよび医療安全委員会の意見聴取が行われていたことでしょう。医療事故に該当するか否か、どう判断されるかはわかりませんが、仮に医療法上の医療事故にはあたらないという結論となったとしても、院長が竹田くんに執刀させることについて問題意識を持つことができたかもしれず、その時点で指導や注意その他の適切な対応に踏み込むこともできたかもしれません。そうすると、それ以降の展開は違っていたかも…とも思ってしまいます。
このように、医療事故調査制度の意味は、調査実施そのものにのみあるのではありません。こうした体制を整え、手順を日頃から踏んでおくことにより、院内の風通しを良くし、事故調査以外にも医療安全向上のために必要な措置を講ずる機会をつくり、医療安全の向上に繋げることにもあるのです。
院長が指導や注意その他適切な対応をより速やかに行っていたとしても、漫画中の竹田くんの行動からして、無視したり抗議したり訴訟を起こしていた可能性は、あります。しかしそもそも、院長にしても古荒科長にしても竹田くんに対しては雇用関係上の上司ですから、本来、手術禁止を含む職務に関する注意、指導、指示命令を行う権限が当然ありますし、竹田くんはそれに服する義務があるのです。漫画のような勤務態度であれば、古荒科長や院長が十分な根拠を揃え、順をおって丁寧にエスカレーションさせていけば、最終的には地方公務員である竹田くんには、勤務実績や職務への適格性という観点から、地方公務員法第二十八条に基づく分限免職処分までできたのではないかと個人的には思います。仮に訴訟を起こされても勝てたでしょう。結果として患者の安全を守ることに繋がるのであれば、そもそも上司がそこまで毅然と対応すべきだったのではないでしょうか。
なお、以上はあくまでも漫画「脳外科医 竹田くん」のフィクション世界の話です。個人的に不思議なのは、現実の「赤穂市民病院ガバナンス検証委員会報告書」(令和5年3月、赤穂市民病院ガバナンス検証委員会)が、法に基づく医療事故調査制度を完全に無視していることです。委員会としては諮問されていないということかもしれませんが、医療法第六の十二に基づく院内マニュアル等の遵守の有無のみを検討対象とし、その直前の条文に規定されている制度を遵守しているかどうかを見事に閑却しているのは如何なものかと感じます。報告書で引用されている医療法第六の十二には、前の条文を忘れられないように「前二条に規定するもののほか」とちゃんと書いてあるのですが。
●漫画「脳外科医 竹田くん」の恐ろしさ
話をフィクション世界に戻します。先に、赤池市民病院は、医療法第六条の十に規定されている医療事故調査制度について認識が不足しており、適切に運用されていない可能性を指摘しました。しかし実は同条(および第六条の十一も)には、罰則がありません。したがって、この点について院長が逮捕されたり刑事処分をされたりすることはありません。この制度は管理者に義務を課しているとはいえ、その良心に基づいて適切に運用することを期待しているのであり、罰によって強制力を持たせているものではないのです。
そういう意味で、漫画「脳外科医 竹田くん」の世界は、かなり恐ろしい世界です。漫画から解するに、竹田くんは自らの患者に自分の治療がもたらした結果に対して無頓着であるという欠点に加え、患者や家族、同僚に嘘をつき、また虚偽内容の事故報告書や学会向けの症例報告を作成します。古荒科長も、「竹田くんを育てたい」「辞職されると困る」といった事情はあったものと想像はしますが、内容が虚偽であることを知りながら報告書に捺印してしまい混乱の原因を作ってしまいます(おそらく、同僚の山崎医師も同様だろうと思われます)。院長は手術禁止令を出して竹田くんの被害者を増やさないための措置は講じますが、他方、既に発生した事故について個別に院内医療事故調査委員会を開催する等の手順をとらず、かつ医療法に基づく医療事故調査制度については全く検討されたフシがありません。また、赤池市および病院新執行部も、メディア等に対してその場しのぎの虚偽答弁を重ねて学会の信用を失うに至ってしまいます。
竹田くんという特異な人格の持ち主の存在が最大の不幸要因とはいえ(でもまあこういうタイプの人たまにいますよね…)、ここまでその周囲が良心を失い、患者やその遺族、そして市民に対して不誠実な対応を続ける環境下において、良心に依拠する制度が適切に機能する訳がありません。登場人物たちの、医療人という以前に社会人としての倫理観の欠如は、強く糾弾されるべきです。
あくまでもこのブログはフィクションの漫画に対する現実の制度の当てはめを検討しただけではあります。しかし現実のできごとをモデルとしていることも明らかです。もしこの制度を今のままで守りたいと考える組織団体があるならば、現実のできごとについて然るべく確認を行い、その結果に基づいて適切に対応させることが求められるものと考えます。ご関係の皆さまにはご賢察ありますよう、切に期待します。
●医療安全の本来の意味とは
日本語では「医療安全」と記しますが、英語では「Patient Safety」と記すと聞いたことがあります。この漫画で読む限り、赤池市民病院および赤池市当局は、病院や医療者のその時々の安全を守ることに全力を尽くし、患者の安全はほぼ置き忘れられてしまっていたように思えてなりません。もちろん、そのために行動した現場の方々(例えば竹田くん手術のボイコットに至った臨床工学技士たちなど)がいたことも、彼らの名誉のために記しますが、少なくとも幹部にその意識は感じられません。
そして漫画だけでなく、実は赤穂市のガバナンス検証委員会報告書についても同様の感想を持ちました。事故調査委員会は「過失の有無の判断」のため開催と書いてあります(p.20)が、謝罪や補償のためにその判断が必要なのであってそれは事故対応として求められることではありますが、「同じ事故を再び起こさないように検証し医療を改善する」という医療安全の本来の意味について、すなわち将来の患者の安全性向上について全く思慮が及んでいないことに現れています。残念ながら報告書では触れられてすらもいない医療事故調査制度が、なぜ過失の有無を問わないこととしているのか、よくよく考えられるべきでしょう。単にマニュアルを整備し守ることが医療安全ではないのです。
漫画「脳外科医竹田くん」が、医療が誰のためにあるのか、医療安全が誰のためにあるのか、関係者の方々が立ち止まって考えるきっかけになれば、おそらく作者の方や被害に遭われた方々も、いささかでも報われることになるのではないかと思います。またそのためにこのブログが少しでも役に立てば、望外の喜びです。
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