LGBT理解増進法案をめぐる私見
5月13日、自民党性的マイノリティに関する特命委員会内閣第一部会合同会議が行われ、いわゆるLGBT理解増進法案が部会長一任となりました。その後16日には、政調審議会および総務会という自民党の党内手続きは完了しました。私は、後に記す理由により、最近の党内のLGBTに関する動きには一線を画しておりましたが、さはさりながらこれまで推進していた立場ではあった責任も感じたため、部会での法案審議3回目となった13日の会議には出席して、法案の目指す意図等についてお話しし、議論を進めてほしい旨意見をいたしました。その中で、いろいろ思うところがありました。
またその関係で、行橋市議会の小坪しんや先生のブログにて、私のブログを引用していただき、議論をしていただいたことに気が付きまして、そちらにもお返事しなければならないとも思いましたので、改めてこのブログであわせて思うところを記します(お返事が遅くなりまして申し訳ありませんでした…)。
なお、同法案については既に総務会で了承されたことから、法案の具体的な文言記述を修正したり、そのための意見をしたりする権限は私にはありません。よって語句や表現などについては具体的には申し上げません。今後、国会に提出されれば、両院での審議の機会などで議論されることになろうと思います。また、法案にあわせて性同一性という言葉を遣っていますが、Gender Identityの訳語という意味以上に何かがあるわけではありませんので、性自認という言葉で読み替えていただいても差し支えはありません。
◆「性的少数者への理解を広めるため」の法案ではない
今回の法案を巡る報道でいつも気になるのが、この法案について「LGBTなど性的少数者への理解増進を図る法案」(産経新聞)、あるいは「性的少数者への理解を広めるための『LGBT理解増進法案』」(朝日新聞)という表現をされることです。敢えてこの二つの新聞を取り上げていますが、多くのメディアで同様の表現をされます。
・「LGBT法案、自民が修正案了承 保守派に配慮、性自認→性同一性に」(2023年5月12日、朝日新聞)
・「LGBT法案一任 自民保守系から不満噴出」(2023年5月13日、産経新聞)
これらの表現は、いずれも【誤り】です。
今回の法案で国等に課している役割は「性的指向及び性同一性の多様性に関する国民の理解の増進」です。あくまでも、「性別」を構成する要素である「性的指向」および「性同一性」が多様であることという「知識」に関する国民の理解の増進を図るよう政府に求めているのであって、「性的少数者への理解」の増進を図るものではありません。そもそも、「同性愛やトランスジェンダーは病気であり治すべきもの」「自分の意志で選ぶもの」といった性的指向や性同一性に関する誤った理解が多くの当事者を傷つけていることに着目し、その対応として政府等に正しい知識の普及啓発を行うよう求めるのが、本法案の趣旨です。
それが、「性的少数者への理解」という話になると、「当事者の方々の置かれている心情や意見を理解しなければならない」という受け止めとなり、よって「女子トイレや女子風呂にトランスジェンダー女子の方が入れるようにしなければならない」ということを政府や自治体が進めるという懸念につながることとなります。先日の会議でも、そうした受け止めを前提に話をされる方が少なからずおられた気がします。
私はことあるごとにこの話をしていますし、ブログにも既に記していますが、未だに多くのメディアがそのように報じ、また一般の人はともかく議員まで同様の理解をしていることには、敢えて意図を持って誤解を拡げようとしているのではないかと疑いたくなるような気にもなります。ただ、プロの議員間の議論において誤解に基づいて賛否を述べられても、「それは違ってますよ」という親切な指摘こそあれ、賛否については無視されるのは致し方ないものかもしれないなあとは思います。また、誤解される恐れがあるというお話をされるのであれば、ただ反対するのではなく、「どうやって誤解を生まないように改善するか」をご提言いただけると、建設的であっただろうと思います(そういった観点に立ち、条文の見直しをすべきというご意見も会議ではありました。フェアなご意見だと私は受け止めています)。しかしそれをせずに「誤解を招くから反対」という主張は、ただ「反対するための反対」にも受け止められるようにも思いました。それが私の誤解であることを願っていますが。
また逆にこの法案は、さまざまな困難に直面している当事者の方々から、こんな法案じゃ役に立たない、差別を明確に禁止すべきという指摘もされます。そのぐらいに、誰かに権利義務を課したり制限したりする内容は含まれていません。ただ個人的には、正しい知識が普及することにより、困難が解消することも期待されるとは考えています。急がば回れ、です。なお法律で具体的に禁止されていても、あまり知られていないためになかなか効果が限定的である法律もあります。例えば身体障害者補助犬法においては、不特定多数が利用する施設の管理者は、身体障害者補助犬(盲導犬、聴導犬、介助犬)の同伴を原則的には拒んではならないこととなっていますが、残念ながら未だに飲食店や医療機関でも同伴拒否事例が散見される状況です。ですので、LGBTの方々が直面する困難の解消においても、法律による禁止の効果には限界があることも認識して、検討される必要があろうと思います。
◆トイレや風呂等について
「実際にジェンダーレストイレが新宿にできたじゃないか」とか「海外でトラブルが起こっているじゃないか」といったことを言われます。小坪先生のブログにおける「地方議員としてのアンサー」も、その点についての懸念が根っこにあるものと受け止めています。
まずこの問題は、社会において「性別」を決める要素に「身体的特徴による性別」と「性同一性(または心の性、性自認等と表現されるもの)」(他に、服装による性別、戸籍上の性別等が考えられます)があるという状況の下で、これまで「身体的特徴による性別」により区分されていたトイレや風呂、更衣室といった局面について、多くの方の場合身体的特徴による性別と、性同一性が一致していることを前提に作られているため、身体的特徴による性別と性同一性が異なる方がいるという課題をどう解決するか、ということだと理解しています。同様の局面は、スポーツの世界でも課題になり得るものと思っています。そして場合によっては、当事者の方々とそれ以外の意見の対立という構図にもなり得る問題であり、社会として無視できない、向き合わなければならない課題であるというのはご指摘の通りだと思います。
まず、LGBT理解増進法案は、この点に関しては敢えて【触れていない】【ニュートラルな立場】であることは申し上げます。上記のように、知識啓発を求めるに留まっており、どちらに肩入れするか、どちらを優先すべきかについては述べていません。それは結局、そうした問題を議論するための共通の知識である性同一性の概念について共通理解が広がらないと、議論がかみ合わないからです。まず議論の土台をつくってから、議論しましょう、という整理によるものです。
その上で、個人的な見解はこちらのブログ(「LGBT理解増進法案と銭湯について」)に記した通りです。要は、男女の区別がある場所において身体的性別に拠り区別されるべきか、性同一性に拠り区別されるべきかは、管理者の権限により当事者の方もそれ以外のことも考慮にいれて判断されるべきだと考えているということです。その上で小坪先生のご指摘に応えるとするならば、公衆トイレの話の場合、現時点において、その場に管理人がいてチェックしているようなものはなく、結局身体的特徴でも性同一性でもなく、本人の意志によって自主的に区分されている実態を踏まえ、それを変える必要があるのかないのかということがまず論じられるべきではないかと個人的には思います。ただ公衆浴場やプール等の更衣室の場合は、人前で裸になる(トイレは、なりません)場面があり、管理人が入場をチェックしているという施設の性質上、身体的特徴による性別で区分されるという現行の一般的な取り扱いを特に変更する必要はないものとも考えます。何故か、身体的なものよりも精神的なものが優位であると考えられる傾向があり、それ故にこの件についても身体的特徴による性別よりも性同一性による性別を優先させるべきと主張する向きがあったとしても、正直その根拠は薄いと思われます。そもそも何故区別が必要なのかを考えて、トイレや風呂、更衣室等の性別の区分について検討されれば差し支えないものと考えます。なお重ねて記しますが、LGBT理解増進法は、性別には性同一性と身体的性別とがあるという知識を普及させることが眼目であり、性同一性が身体的性別に優先されるとはどこにも書いてありません。
その上で敢えて「理解増進法案」の精神に則って申し上げれば、誰でも利用可能な公衆トイレの話ではなく、職場等限定的な局面において、トランスジェンダーの方で悩んでいる方がいれば、人事担当者はその悩みを馬鹿にしたり些事であるなどと軽視したりせず誠実に受け止めて、個別に対応を適切に考えていただくことが望ましいでしょう。特定の職員の方が、職場の周りの方々も含めてご理解が得て、ご自身の望む性別のトイレの利用を認めることは、別段何も差し支えないものと考えます。経済産業省のトイレ利用に関する訴訟は、あくまでも、職場のトイレという限定的な場面における個別の当事者の方の相談に対する人事担当者の対応が適切であったか、そもそも性同一性に対する無理解により本人を傷つけてしまっていたのではないかということが問われているものであり、公衆トイレまで含めて社会全体の一般通念に対して異議申し立てをするようなものではないと考えます。
小坪先生のブログの文脈から解するに、LGBT理解増進法案が、マジョリティへの権利侵害や不利益処分と認識される可能性を導き得るのではないかという見解かと思われますが、これは先に記した「性的少数者への理解」という誤解に基づいて解釈されればそういう方向になり得るかとも思われますので、まずはそうではないということを、共に社会に普及していただけるとありがたいことだと考えます。その上で、男性女性の区分けを維持しつつ、マジョリティvsマイノリティという構図ではなく、個別に丁寧に解決を考えるべきものではないかと考えます。冒頭に記したように、LGBT理解増進法案の個別の文言には触れませんし、まさに「理解増進法」という枠組み上あまり法文でその内容に踏み込むのは慎重な方が良いのではないかとは思いますが、例えば国会質疑における答弁等で、立法者の意図を何らかの形で説明させ議事録に残すということは考え得るかとも思います。また公衆浴場については、公衆浴場法があり厚生労働省が所管していますので、見解を質して議事録に残すことも可能でしょう。
なお、LGBT問題特にトランスジェンダーの方の問題とジェンダーレス化を混同して語る向きがありますが、これは似てもって非なる問題です。トランスジェンダーの方は、むしろ「男性」か「女性」かいずれか確固としたアイデンティティを確立されています。その上で「男性として生きたい、ただし身体的特徴が女性だ」とか、「女性として生きたい、ただし身体的特徴が男性だ」という悩み方をされているのがトランスジェンダーの方なのです。したがってその悩みの解決に「社会の方が性別差を無くしてしまおう」というのは誤りであり、むしろせっかくどっちかの性別で生活したいと望んでいる方の希望を無にしているようなものです。例えば学校の制服であれば、「私は男の身体だけどかわいいスカート着て生活したい」とか「僕は女の身体だけどかっこいいブレザーを着て生活したい」という性同一性を持つ生徒さんがいるとして、その解決策は、身体的男子がセーラー服を着たり、身体的女子が学生服を着たりする選択肢を校則上ないし個別に認めることであり、制服を男女共通のダサイ服にすることではありません。正直、この解決策は全員を不幸にすると思います。しかし実際に学校の制服でも「ジェンダーレス制服」と称して上記のようなことをしていたり、最近はトイレもジェンダーレストイレとかいうものがあったりするようです。重ねて言いますが、全く問題解決になりません。個人的には、敢えてさまざまなものを混同させて社会を変な方向に動かしたい方々もいるのかなあとも思うところです。こういうことを防ぐためにも、性的指向や性同一性に関する正しい理解が広がる必要があると強く思うところです。
◆そもそも何故自民党が取り組むのか
小坪先生のブログを拝見すると、「新潮45」休刊の経緯による影響を記しておられます。そもそも平成28年に自民党に性的指向・性自認に関する特命委員会が設置された背景にも、たしか統一地方選挙を前に、地方議員も含めた自民党所属の方々が、性的指向ないし性自認に関して問題とされる発言を行いメディアから何度も指摘されていたという背景があったなあということを思い出しました。ですので、古屋圭司委員長(当時)のご指導のもと、まずは党内向けにQ&Aを作成し、また簡単なリーフレットを作成して各都道府県連に配布したりしました。その後、国会議員でも問題発言と指摘される案件が何回かありましたが、そのたびに特命委員会としては、その議員の方々とお話をして役員に入っていただくなど理解を拡げる努力をしてきたところです。政治家は発言に責任を持つべきですが、無知そのものは罪ではありません。学んでいただければよい。
そうした積み重ねを地道にやってきた中で、6年前から同じような趣旨の法案について議論を続け、ようやく法案として国会提出しようかという段階になって、今まで会合で顔を見たことない方々が現れて「議論が拙速」とか「荒井秘書官の発言で動くのはおかしい」とか「今動く必要性が感じられない」いった今更な理由で反対意見が述べられたり、今なお事実誤認に基づく発言があったりするのは、長年議論を積み重ねてきたものとしては、いささかやりきれない気分になります。また、新型コロナウイルス感染症に関して感染者への不当な差別について法制化を頑張っておられて立派だなと思っていた方が、今回の件については差別について異なるご見解を持たれているようなことも見受けたりして、かなり不思議な気持ちにもなります。「今日はどんな議論があっても反対します」という単に議論を拒否する姿勢を示す方には議員としてどうかとも思うところもありました。とはいえ、先に少し触れたように、党外での議論も必ずしも納得できないようなものもあり、別段自民党だけの問題とも思いません。LGBTの問題を自分の商売のタネとしか考えていない方が仮にいるとすれば、ため息しか出ません。
個人的には、火災現場にかけつけてリスクを冒して消火活動する消防士が、遅れてやってきた見物人に「あいつが火を拡げる犯人だ!」と指摘をされるような目に一度ならず遭遇し、まあ政治家の仕事というものは得てしてそういうものですが、本件については、すこし疲れたという感覚を拭いさることもできません。ですので、ブログで思うところを記し議論の材料を提供したこと以外は、今回はほとんど私自身は議論に参加せず、会議で一度発言するにとどまりました。そうした中で、特命委員会創設から常に真剣に取り組み続けておられ、今回も法案の議論を主導されている古屋圭司先生や新藤義孝先生、稲田朋美先生には、本当に頭が下がる思いです。
本当に困難に直面する方々のことを真剣に考えて皆が議論し取り組めば、おのずから物事は上手くまとまってゆくものと信じています。
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