同じ性別同士の者の結婚を可能とすると、どう社会が変わるか(補論)
先日、ブログ「同じ性別同士の者の結婚を可能とすると、どう社会が変わるか」を記したところ、いくつかコメント等のリアクションをいただきました。ご覧いただき、誠にありがとうございました。また、週末を過ごして思うところもいくつかありました。そうした諸点をさらに議論の参考にしていただきたく、バラバラといくつか補いたいと思います。
日本の文化との折り合い
先のブログでは、主に法制度上の議論のみ行い、ただし信教の自由に関しては留保をするというスタンスで記しました。その後、我が母校慶應義塾が主催する小泉信三第47回小論文コンテスト(2022年実施)で小泉信三賞を受賞した作品「『全性愛論』~自由恋愛と異性愛規範を見つめ直して」をご教示いただき、読んで改めて頭の中をかき回され(読み物に歯ごたえを求める諸兄姉には、ぜひご一読をお勧めします)、作者の強烈な意志と、発想の囚われなさと、しかし理想の実現を100年先というかなり遠い先の話と感じさせてしまうむごさとを抱えながら世の中を見てみると、いろいろなものが目につくようになりました。
わかりやすいのが、3月3日の桃の節句に飾るひな人形とか、5月5日の端午の節句に掲げる鯉のぼり。お内裏様とお雛様は二人並んですまし顔ですし、大きな真鯉はお父さんで小さな緋鯉はこどもたちなのです。お母さんはどこに行ったのか?そもそも吹き流しの意味は?など気になりますし、そもそも端午の節句、すなわち休日法における「こどもの日」が事実上ほぼ男子の日であることも気になります。いずれにせよ、こうした「夫婦」「お父さん・お母さん・こども」といった家族観が当然とされる文化背景の中で私たちは育ってきたということが、改めて自覚されるわけです。法制度とは直接関係するわけではありませんが、「平等」「差別」といった概念をこの世界に普遍的に持ち込まれた際には、場合によっては排撃の対象とされるのかもしれませんし、しかし排撃したところで過去を書き換えるわけにもいきませんし、相当の摩擦も免れないでしょう。
ただ、昔は、鯉のぼりは真鯉一匹だったともされているようです(参考:東京新聞「赤い鯉はお母さん?子供たち? 童謡『こいのぼり』の不思議。」2022年3月15日)。若干話はズレますが、今や全国的に展開される節分の恵方巻の習慣も、私が子どもの頃は一部地域のものだったはずです(私が初めて知ったのは、中学生頃に読んだ小林信彦の小説『唐獅子源氏物語』だったような気がします)。そういう意味では、伝統的日本文化とされているものには、実は可塑性がかなりあるようにも感じますので、お互い硬直的に考えすぎず上手に折り合いをつけていく道を考えていく必要があるのではないかと考えます。国技大相撲が外国出身者を上手に受け容れつつ、なお存続しているように。あるいは源氏物語が、現在的視点で見るとかなりヒドイ話であるにも関わらず、古典として尊ばれさまざまな二次創作の源になり続けているように。
なお、キリスト教やイスラム教が厳格に同性愛を罪としていたことと比較して、日本においては比較的同性愛には寛容であったということも言われます。ただ概ね、武将とその小姓の関係といった形であり、日本における歴史・古典世界に同性「婚」という考え方があったのか、あまり私の知るところでは見覚えがない気がします。ここはより博識な方の登場を待ちたいと思います。
制度的な議論についての補遺
いくつか、制度についてもリアクションをいただきました。一つは、配偶者控除という税制について。私は先のブログでは、民法等改正により同性同士の婚姻を認めたとすると、当然に税制等もついてくるものと考えている旨記しました。これは、同性間の婚姻と異性間の婚姻について合理的に差を設ける理由が考えられないからです。ただし現在、少子化対策の観点から、子がいる家庭についてより税制的な支援も厚くすべきという議論があります。同性婚か異性婚かを問わず、そうした観点からの検討は行っても良いかもしれないとは思っています。また、遺族年金に男女で受給資格に差があることも、この際解消するべきでしょう。
子の嫡出に関して「生殖補助医療の提供等及びこれにより出生した子の親子関係に関する民法の特例に関する法律(令和2年法律第76号)」の第十条に関するコメントをいただきました。この条文は、夫の同意を得て妻が他人の精子等を用いた生殖補助医療により懐胎した子については、夫、子、妻は嫡出の否認ができないことを規定します。妻甲妻乙間で、同意により他人の精子等を用いて妊娠した場合も、この規定に準じることとするのは合理的だと考えます。
「性的指向・性自認の多様性に関する理解の増進に関する法律案」について
先のブログから、同性同士の婚姻を法律で認めることについて議論しています。一方で今国会では「性的指向・性自認の多様性に関する理解の増進に関する法律案」が成立するかどうかといった点がメディアで焦点とされています。これについては「自民党における性的指向・性自認の多様性に関する議論の経緯と法案の内容について」の後半で思うところを記していますので、ご覧いただければ幸いです。同性婚の議論を行うにしても、性的指向とはどういう概念か、共通理解を作らなければ議論にもなりません。そういう意味で、まずは第一歩を進むための法律となると考えますので、ぜひこの機運を活かして各議員がそれぞれしっかりと自分の頭で考えた意見を持ち、その中で成立に向かって合意形成が図られることを期待しています。
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コメント
平素よりお世話になっております。
記事を拝読致しました。同性婚につきましてはまず憲法24条の改正が大前提だと考えておりますが、その前提の下でしっかり議論を重ねた上での事であれば良いと思います。
一方、性自認の話についてですが、橋本先生は性自認と性同一性障害を同じカテゴリで扱っておられますが、それは間違いと考えます。両者は分けて考えるべきです。
そして今通常国会でLGBT理解促進法の成立を目指していると聞き及んでおります。その法案では性自認も含めた上で、そうした方々への差別は許されないという文言を入れようとされていますが、これについては断固反対です。
理由はマジョリティである一般の女性が非常に不利益を被るからです。例えば「自分は身体は男だが心は女だ」とする人が女湯に入る事を希望し、差別条項があるために銭湯が拒めないなら被害にあうのは女性です。これを導入した米国や英国では混乱が起きているし、日本でも自分が女だと主張する男が女性を襲う事件も起きています。そのような事件が法律制定により更に増加する事を考慮すると、とても賛同できません。
更に理念法とはいえ「差別」という言葉の定義を全くしていないのも問題です。要らない分断を発生させる可能性が高いです。
ついては性自認を認める事とそうした人に対する差別条項を入れる事は絶対にしないようお願い致します。
投稿: 柳沢 俊介 | 2023年2月21日 (火) 22時27分
平素よりお世話になっております。
2/21に橋本先生のブログの記事を拝読致しました。そして性自認について性同一性障害の方と性自認の方は分けて考えるべきであり、それらをひとまとめにしたままLGBT法案を今国会で成立させる事は反対である旨のコメントをさせて頂きました。
が、3日たちましたが未だに私が送信したコメントが掲載されておりません。これは記事投稿者である橋本先生が公開を止めているという事ですよね?まさかとは思いますが反対意見を封殺するためですか?もしそうであるならば国会議員にふさわしくない行動をとっておられると考えざるを得ませんが、この件について如何お考えでしょうか?
ご見解をお伺いしたく、よろしくお願い申し上げます。
投稿: 柳沢俊介 | 2023年2月24日 (金) 20時30分