自民党における性的指向・性自認の多様性に関する議論の経緯と法案の内容について
さる5月28日の自由民主党総務会において、「性的指向・性自認の多様性に関する国民の理解の増進に関する法律案」が議題とされ、その時点で想定される国会日程上成立が困難であるとの森山裕国会対策委員長・末松信介参議院国会対策委員長の見通しを踏まえ、取り扱いは党三役(二階俊博幹事長、下村博文政務調査会長、佐藤勉総務会長)の協議に委ねられることとなりました。
筆者は、自民党において性的指向・性自認に関する特命委員会が設置された平成28年から、政務官・副大臣を務めていた時期を除いて事務局長を務め、一貫して議論に携わってきました。その間さまざまな議論と経緯を経てここに至っていますが、ここにきて残念ながら必ずしも正確とは言い難い認識に基づく意見や記事も見かけるようになりました。さまざまな視点に立った議論が存分に交わされるのはわが党の良い点ではありますが、願わくは、過去に積み重ねてきた議論を十分に踏まえたものであってほしいものと思います。
そこでこの機会にあらためて、自民党における性的指向・性自認の問題に関する議論の経緯を整理しておきます。
●特命委員会の設置
特命委員会は平成28年2月に設置されました。当時の稲田朋美政務調査会長の指示により、古屋圭司衆議院議員が委員長となり、私が事務局長を拝命してスタートしました。なお稲田朋美議員は委員会設置当初から、いわゆるLGBTの当事者の方々が直面する問題を人権問題として捉えており、委員長に就任した現時点に至るまでその姿勢は一貫しています。
当時は党内においても今よりもなお一層この問題に関する認識の薄さがありましたが、当事者や有識者の方々からのヒアリングや、政府や企業の取り組み状況のヒアリングなどを重ね、理解と議論を深めました。その成果として「性的指向・性自認の多様なあり方を受容する社会を目指すためのわが党の基本的な考え方」等をとりまとめ、同年5月24日に総務会で了承を得ました。その中では、
- 性的指向・性自認に関する広く正しい理解の増進を目的に、今後、議員立法の制定を目指す
- 委員会で取りまとめた「政府への要望」に掲げる措置を速やかに講じることを政府に要望する
という二つの目標が「目指す方向性」として記され、これが自民党として正式決定された方針となりました。
また、性的指向・性自認に関する広く正しい理解の増進を目指すとしても、何が「広く正しい理解」なのかについて、自民党としての案を持っている必要があると考え、この問題に関するQ&Aを編集し、公表することとしました(下記)。なおその頃、橋本自身もこの議論に関する個人的な整理を自分のブログに「自民党性的指向・性自認に関する特命委員会「議論のとりまとめ」等について」として記していますので、あわせて参考にしていただければよいかと思います。
●性的指向・性同一性(性自認)に関するQ&Aの編纂
特命員会では、上記「わが党の基本的な考え方」の決定後、ただちに「性的指向・性同一性(性自認)に関するQ&A」の編集作業にとりかかり、6月に公表しました。この平成28年6月公表版は、24問のQ&Aおよび付録「困った時の相談先一覧」から構成される34ページの文書でした。
この当時から、Gender Identity を意味する日本語として「性自認」とするか「性同一性」とするかはかなり迷いました。既に「性自認」という言葉の方が、政府や一般での使用例は多かったと思われますが、「性同一性」という言葉は「性同一性障害者の性別の取り扱いの特例に関する法律」として既に法律用語になっている(もっとも、実は「性同一性障害者」という言葉しか法律上の定義はされていない)ため、その点との整合を図る意味で、最終的には「性同一性」という表記となった経緯がありました。しかしこのQ&Aのタイトルでわかるように、両方の言葉が同義で存在しているものと認識されており、内容にも「両者の意味は同じであり、今後も『性自認』を用いることにも差し支えはないものと考えます」と記されています。
このQ&Aは、令和元年6月に内容を更新しました。現在の自由民主党のWebサイトに掲載されているものは、この時点の版です。この版では「実際にはあまり厳密な区別なく『性自認』『性同一性』が使用されている状況です」と但し書きをつけつつ、「『性同一性』は、ある性別に対する社会的かつ持続的なまとまりの感覚に関することを意味するため、自分の性別の認識という意味である『性自認(gender self-recognition)』とはニュアンスがやや異なります」と、二つの言葉のニュアンスの差に留意しました。こうした議論の積み重ねが、今回の法案における言葉の定義に繋がっています。
令和元年度版Q&Aは、28問のQ&Aおよび付録「困った時の相談窓口一覧」から構成される41ページの文書です。今回の法案をめぐる議論を踏まえ、今後さらに内容の更新を図る必要があるものと考えています。
●政府への要望申し入れとフォローアップ
先述の文書「性的指向・性自認の多様なあり方を受容する社会を目指すためのわが党の基本的な考え方」には、別紙として「性的指向・性自認の多様なあり方を受容する社会を目指すための政府への要望」が添付されています。これは平成28年の特命委員会における議論等をもとに、現行の法制度の範囲において取り組むべきさまざまな施策について、「教育・研究」「雇用・労働環境」など7分野33項目にわたって抽出したものであり、5月の総務会決定を経て政府に申し入れを行いました。この活動は、自民党が与党である利点を生かした独自のものであり、現実的に政府のさまざまな取り組みを促す効果があったものと自負しています。
特命委員会では、この申し入れに基づき実際に政府がどのようにこの問題に取り組んだのかフォローアップを行っており、令和元年には先ほどの令和元年版Q&Aの付録として「『性的指向・性自認の多様なあり方を受容する社会を目指すための政府への要望』(平成28年5月)に関する政府の対応状況」として整理しました(自民党「性的指向・性同一性(性自認)に関するQ&A」ページに【性的指向・性同一性(性自認)に関するQ&A(令和元年版)付録】として掲載されています)。
平成28年の最初の申し入れから既に5年を経過しており、フォローアップの継続に加え、そろそろ要望の内容にもブラッシュアップが必要なようにも思われます。今後の宿題と考えています。
●「性的指向及び性自認の多様性に関する国民の理解の増進に関する法律案」の検討経緯
自民党の方針として、性的指向及び性自認の多様性に関する国民の理解の増進に関する法律案の成立を目指す旨は平成28年5月に総務会決定されましたが、その進捗は難航しました。実はその直後に現行案と概ね同旨の法案要綱まで作成し、内閣部会と特命委員会の合同会議に諮りましたが、さまざまな意見があり了承を得るに至りませんでした。
その後も特命委員会の役員が中心となって検討を続けましたが、政府においてどの省が主管するか決着がつかず、数年間の足踏みを余儀なくされました。法務省、内閣府、文部科学省などと粘り強く交渉を続けましたが、どの省も「協力はするが自分が主管する政策ではない」といういわゆる消極的権限争いを展開し、いたずらに貴重な時間を浪費しました。政府内ではしばしば見かける光景ではありますし、理由のないことでもないことは理解しますが、現実にさまざまな困難に日々直面している当事者の方々のことを全く眼中に置かず、とにかく自省の仕事を増やさないことに躍起になる各省の活動は、正直見苦しいものでした。当然これは特命委員会に力が無かった結果でもあるため、深く反省しています。
風向きが変わったのは、菅義偉政権が誕生してからです。令和3年3月に稲田朋美特命委員長や谷合正明参議院議員らとともに加藤勝信官房長官に面会し主管省庁について調整を依頼したところ、後日「法案成立後の担当大臣は坂本哲志内閣府特命担当大臣とする」旨の返答をいただきました。それも踏まえ、橋本が5月10日に衆議院予算委員会でこの問題に関する政府の憲法解釈を質した際には坂本大臣が答弁を行い、公知の事実となりました。
ここから法案の検討は一気に加速します。4月8日の特命委員会会合において、稲田委員長から議員立法の状況について報告を行い、4月26日には内閣第一部会と特命委員会との合同部会を開き、「性的指向及び性同一性の多様性に関する国民の理解の増進に関する法律案(仮称)要綱」を示して野党との協議に入る了承を得ます。ここで舞台は超党派のLGBTに関する課題を考える議員連盟(馳浩会長)に場所を移し、稲田朋美議員と西村智奈美議員に与野党間の調整を一任。両議員による精力的な交渉を経て、5月14日に取りまとめられた案が超党派の法案として了承され、各党の党内手続きに付されることとなりました。そして5月20日および24日の内閣第一部会・特命委員会合同会議で法案審査が行われ、国会で質疑を行うことを国対委員長や議運委員長に要望することを条件として了解を得ました。そして5月27日に政調審議会を経て28日の総務会に諮られ、冒頭記述の結論となりました。
●法案の内容について
自民党の内閣第一部会・特命委員会合同部会で了解され総務会に諮られた法案の概要および法案をこちらに掲載しておきます。法案は条文14条附則3条の短いものであり、さっと目を通していただけるシンプルな内容です。
【性的指向および性自認の多様性に関する国民の理解の増進に関する法律案】(概要・法案)
内容は、性的指向や性自認の多様性について、未だ国民の理解が十分に進んでいないことが、いじめや差別などの原因となりやすい現実があることを踏まえ、性的指向や性自認の多様性に関する国民の理解の増進を図ろうとするものです。法案の目的や基本理念、言葉の定義を定めた上で、国や地方公共団体、事業主、学校等の役割や努力を記した上で、毎年1回政府による施策の実施状況の公表(上記の要望フォローアップのようなものを想定)すること、政府が基本計画を策定すること、調査研究や知識の着実な普及、相談体制の整備、民間団体等の活動の促進を行うべきことを定め、また各省横断的な連絡会議を設けることを定めています。
この法案にはいくつかのポイントがあります。
ひとつは、この法案で理解の増進をする内容は「性的指向・性自認の多様性」で一貫していることです。そもそも性別という概念は、単に男性か女性かを二分するだけのものではなく、戸籍上の性別、身体的特徴による性別、性的指向、性自認、場合によっては服装など外見上の性別など、複数の要素により構成されるものです。その中で、特に誤解が少なくない「性的指向」および「性自認」の二つの要素について、それが多様である(単に「男性」か「女性」のみに二分されるものではなく、グラデーション的であったり他のカテゴリがあったり不明あるいは謎であるとする人もいる)という「知識」を普及させよう、というのが本法案の趣旨です。仮にこの法案が成立したら、当事者の方々の「意見」や「主張」を全て正しいものと理解しなければならないのではないか、などと受け止めておられる方がいるとすれば、これは全くの誤りです。一方で、この法案は当事者の困難の解消に繋がらないのではないかという懸念も聞かれますが、正しい知識の普及はいたずらな偏見を防ぎ、当事者の方々もそうでない方々も共に暮らすことのできる社会の実現に、必ず結びつくものと考えます。
また、「性自認」という言葉の定義を行ったことも、ポイントの一つといえるでしょう。4月の法案要綱時点では、先述の議論を踏まえてGender Identityを表現する日本語として「性同一性」という言葉を遣っていましたが、与野党での協議を経て「性自認」という言葉をつかうこととなりました。これは他党からの要請があった経緯はありますが、同時に既に政府を含め幅広く「性自認」という言葉が一般的につかわれている現状を踏まえた判断でもあります。一方で、「性自認」という言葉そのものが独り歩きして、Gender Identityは本人が自覚的にコントロールできるもの、という誤解を招くことも懸念されました。そこで、定義について「自己の属する性別についての認識に関する性同一性の有無又は程度に係る意識」と記しました。ここでいう性同一性は、「自分は男性である」「自分は女性である」「自分はXである」「自分は男性か女性か問うている」といったアイデンティティそれぞれを指します。アイデンティティですから基本的には一貫するものですが、人によっては思春期に揺らぐこともあると言われていますし、無い場合もあるし、程度や割合として認識される場合もあります。それを「有無または程度に係る意識」として表現しています。そうした状況をも包含する広い概念として、この法律において「性自認」という言葉を定義しました(わかりにくくて申し訳ないのですが、そもそもアイデンティティという言葉に対応する日本語が無いことを、どうにかして日本語にしようとしている努力の現れと思っていただければ、ありがたいです。ジェンダーアイデンティティと書ければ良いのですが、日本の法律は日本語で書かなければならないのです)。もとより、法律における言葉の定義はその法律内のみ効力を持つものであり、一般に広く効果を与えるものではありません。しかし参照される対象とはなり得るものであり、むしろ法律で定義することにより「性自認」という言葉を自由勝手に使用されることを防ぐことになるものと期待しています。
与野党協議の中で第一条(目的)および第三条(基本理念)に、「すべての国民が、その性的指向又は性自認にかかわらず、等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであるとの理念にのっとり、性的指向および性自認を理由とする差別は許されないものであるとの認識の下」という表現が追加されました。このことは、日本国憲法第十四条に「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と記されていることを踏まえたものであり、実際の適用場面において具体的な法規範性を持つものではありません。憲法において「差別されない」と書いてある以上、差別はあってはならないし、許されてもならないことを確認したに過ぎません。なお、5月10日の衆議院予算委員会における橋本の質疑で、坂本大臣は「委員御指摘のとおり、憲法第十四条の趣旨に照らしましても、性的指向、性自認を理由といたします不当な差別や偏見は決してあってはならないというふうに認識をしております。政府といたしましては、このような認識の下、多様性が尊重され、そしてお互いの人権や尊厳を大切にし、生き生きとした人生を享受できる共生社会の実現に向けて、しっかりと取り組んでまいります。」と答弁しており(議事録)、この答弁内容とも整合的です。なお、「あってはならない」と「許されない」という表現については、令和2年11月13日衆議院法務委員会において上川陽子法務大臣が「新型コロナウイルス感染症に関連して、感染者あるいはそのご家族に対しまして、誤解や偏見に基づきましての差別は許されないことであると思っております。また、性的指向、性自認に関する理解の欠如に基づく偏見、差別についても、決してあってはならないと考えております」と並べて答弁しており(議事録)、また他にも用例があり、政府はこの二つの表現を意識して使い分けているわけではないものと考えています。また、「部落差別の解消の推進に関する法律」(平成二十八年法律第百九号)の第一条(目的)において、「部落差別は許されないものであるとの認識の下にこれを解消することが重要な課題であることに鑑み」という表現が既に存在することも、参照されるべきでしょう。なおいずれにせよ、目的や基本理念に立法の背景を詳しく記したとしても、法律の内容は依然「知識の普及」に過ぎず、差別解消を直接に図る規定が存在しないことには変化はありません。
●最後に
冒頭記したように、現時点において今国会での法案の成立の見通しが立っているわけではありません。とはいえ国会も生き物であり、明日には何が起こるかわからない世界でもあります。自民党でも総務会に議案がかかり続けている状態ですから、国会情勢が変化すれば即座に提出が可能です。性的指向・性自認に関する特命委員会としては、多くの方々のご協力をいただき、引き続き法案の成立に向けて努力を続けたいと考えています。引き続き、ご指導・ご鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます。
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