厚生労働副大臣退任にあたり(二年ぶり二回目)
●はじめに
8月28日に安倍晋三総理が体調を理由に辞意を表明され、昨日9月14日に新たな自民党総裁として菅義偉官房長官が選ばれました。明日16日に安倍内閣が総辞職し、直ちに衆参両院で首班指名が行われ、組閣ののち菅内閣が誕生します。私は昨年9月13日に厚生労働副大臣に就任しましたが、安倍内閣総辞職に伴い、明日退任することとなります。
厚生労働大臣政務官退任時以来、それぞれのタイミングで振り返りをしてブログを書いています。今回も記してみます。
<振り返りシリーズバックナンバー>
・厚生労働大臣政務官退任にあたり(2015.10.8)
・外交部会長を振り返って (2016.8.2)
・厚生労働副大臣退任にあたり(2017.8.7)
・厚生労働部会長を振り返って(2018.10.3)
・この一年を振り返って(2019.9.7)
●新型コロナウイルス感染症対策における副大臣の役割
この間の最大の出来事は、やはり新型コロナウイルス感染症の蔓延です。厚生労働省在職三回目でこれまでもさまざまなトラブル等に直面しましたが、世界レベルの危機に直面したのは今回が初めてです。大臣政務官在職時にエボラ出血熱疑い患者発生の対応経験はありましたが国内での感染や蔓延という事態には至りませんでした。普段から厚生労働省健康局結核感染症対策課は感染症の突然の発生に備える体制を持っていますが、このレベルになると全庁的対応が必要となります。そこで、新型コロナウイルス感染症対策推進本部が一月下旬に立ち上げられました。加藤勝信厚生労働大臣のご英断により、副大臣・大臣政務官も担務に関わらず全員が新型コロナウイルス感染症対策を担当すべきこととされたため、稲津久副大臣、小島敏文・自見はなこ大臣政務官とともに、皆で対応にあたることとなりました。こうした中でしたので、副大臣としても、意識して普段とは異なる活動をしました。どのようなことを意識していたか、以下に記しておきます。
1) 指示命令系統の一本化と円滑化
危機にあって組織に必要なことは、指示命令系統が乱れないことです。「船頭多くして船山に上がる」のことわざ通り、いろいろな人が別々の指示を組織に出す状態は混乱のもとであり、避けなければなりません。またトップの指示が末端まで浸透するように留意も必要です。組織における伝言ゲームは事故のもとです。「副大臣は役人ではなく政治家なのだから、政治的意思決定をしてほしい」というコメントをいただいたことはありますが、厚生労働省において意思決定権者は唯一加藤厚生労働大臣なのであって、ナンバー2たる私以下の全ての職員は加藤大臣の意思決定を支え、あるいは決定されたことを実現するために動くべきものです。特に非常時においてはなおさら意識しなければなりません。
そのため、大臣室で行われる新型コロナウイルス感染症対策関係の打ち合わせに極力毎回同席するとともに、対策本部の班長会議も予定がなければ毎回出席し、大臣指示が省内に浸透しているかどうか、進捗しているかどうかを確認することとしました。また、専門家の先生方による会議、すなわち厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボードの会議や、政府新型コロナウイルス感染症対策本部分科会などの会議、また全国知事会や医療関係団体との協議にも極力出席し、議論を聞きました。3月~5月頃が最も厚生労働省が忙しかった時期だと思いますが、例えばその頃の日程は早朝から予算委員会や厚生労働委員会の答弁の予習、昼間は委員会質疑対応、夕方から数時間にわたる大臣室での打ち合わせ、23時頃から対策本部班長会議、その後また打ち合わせや省内ラウンド(後述)といった日程になることが普通でした。もちろん対策本部の皆さんも昼夜を分かたぬ仕事ぶりでした。新型コロナウイルス感染症対策では厚生労働省から事務連絡が多数発出されていますが、ひとつひとつがそうした協議の積み重ねの上に作成されたものです。
なお決してすべての会議に出席していたわけではありません。総理官邸での打ち合わせや省庁横断的な連絡会議、またWHOやILOといった国際機関、G7など他国とのミーティングは、加藤大臣や事務次官、医務技監などにお任せしていました。また国会対応も、大臣の代わりに予算委員会での答弁を稲津副大臣とともに担当していた時期は一時ありましたが、予算委員会や厚生労働委員会での答弁はおおむね大臣が対応し、他委員会での答弁は副大臣または大臣政務官という一般的な分担で対応しました。
2) 万一の際のバックアップ
同時にそうした場合に考えなければならないのは、加藤大臣に急病等万一の事態があっても厚生労働省の動きを止めてはならないということです。当然ながらその際には別の方が大臣に任命されることとなりますが、支障なく引き継ぐために経緯等を新大臣にお伝えしなければなりません。場合によっては臨時に代理を務めなければならないかもしれません。前述の会議等の同席にあたっては、内心ではそういう想定も行っていました。幸いにしてそのような事態は発生することなく退任を迎えられそうなのでホッとしています。野球の試合中に控え選手がベンチ裏で素振りをするようなものですから出番がなければめでたいことですが、それも緊急時における副大臣の仕事だと考えます。なお大臣室での打ち合わせにおいて垣間見た、激務の最中における加藤大臣の明晰さ、カツンとした決断力、忍耐強さとタフさには深く感服しましたし、本当に勉強になりました。
3) 省内ラウンド
省内の対策本部は、大部分の班が2Fの講堂に集まっていますが、一部別の会議室などにいる班もあります。また時期により班構成の変更もありましたし、人の入れ替わりも少なからずありました。そうした中で班長会議だけでは把握できない各班の課題や職員の方々の状況を把握するため、省内の各班を歩いて巡りました。これは病院勤務経験のある自見はなこ大臣政務官の発案で、しばしばセットで省内を歩き回りいろんな方に声をかけてはあれこれお話を伺っていました。これもその時々で大変勉強になりました。
4) 現場対応の責任者
横浜港におけるクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」の支援にあたっては、現地対策責任者として3週間にわたり主に船内で対応にあたりました。現地対応が必要な場合、中央と出先でいかに意見交換を重ねてもどうしても温度差ができてしまいます。その際に私が現地にいることで、事務的に話が通じにくいことでも直接加藤大臣や各局長に判断を交えて意見具申を行い、大臣の的確な意思決定につなげてもらうことができたものと考えます。また8月中旬に沖縄県から看護師等派遣の要請があった際も、沖縄県庁において玉城知事や謝花副知事らとご相談しながら、全国知事会や防衛省といった支援側、沖縄県医師会や沖縄県看護協会さらには現地の医療機関など受援側を結び、スムーズな応援体制の構築の道筋をつける役割を果たせたと考えています。最高指揮官である大臣が本省を離れることは基本的にはできませんから、こうしたことも副大臣の仕事でしょう。
また直接現地に赴いてはいませんが、長崎県でのクルーズ船対応や6月初旬の北九州市での感染拡大対応などにおいて現地と本省の間で行われた遠隔会議などにも極力出席し、状況の把握と適切な支援の実施に努めました。
5) ICT関係の統括
ブログ「厚生労働省における新型コロナウイルス感染症対策に関するICTの活用」で記したように、新型コロナウイルス感染症の蔓延という危機への直面にあたり、厚生労働省は電話やファックスせいぜい電子メールといった情報ツールで臨んでおり、そのためさまざまなシステムを構築することとなりました。ただ、突貫工事で作ったシステムですから、現場への普及を進めるとともに改良も続ける必要があります。また法律や制度との整合も問われますし、変更にも対応しなければなりません。さらに各システム間で重複や縦割りに伴う無駄なども生じかねなかったため、そうした調整も行わなければなりません。これらはもともとICT人材に乏しい厚生労働省には非常に荷の重い仕事でした。そこで内閣官房IT室の力を借り、また6月からは神奈川県で医療危機対策統括官を務められていた畑中洋亮さんに健康局参与として厚生労働省の対策本部に入っていただき、厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策推進本部のCIO体制を整備して私が対策本部CIOとして各システムの作業進捗を管理し部署間やシステム間の連携を行う体制を設けました。今後も東京オリンピック・パラリンピックを控えた水際対策および入国者の支援、さらには新型コロナウイルスのワクチンの接種支援といった大規模ミッションが控える中、これらを支援するシステム整備も早急に具体化しなければなりません。引き続きこうした体制が継続することを期待します。
6) 情報発信
新型コロナウイルス感染症およびその対策については、時々刻々と状況は変化しますしまた国民の権利の制限に関わることもあり、まずそれ以前に健康は最大の関心事ですから、政府からの情報発信は大事なものです。公式には、安倍総理による折々の記者会見や西村大臣・加藤大臣の定期的な記者会見、また専門家会議や分科会後の専門家の方々による記者ブリーフィング、事務方による個別事業に関する記者ブリーフィング、そしてWebサイトやtwitterなどによる情報発信などが、随時行われてきました。ただ、それだけではマスメディア経由となり必ずしも全体像が伝わりきらないこともあること、特に当初は厚生労働省の情報発信自身もタイムリーさに欠けることもあったこと、あるいは手指消毒徹底や三密回避、偏見差別対策などとにかくしつこく繰り返してできるだけ多くの方々にお伝えするべきことを繰り返しにくいことなど、工夫の余地もあるように思われました。
そこで、私のブログやFacebookを通じて、折々に新型コロナウイルス感染症やその対策に関するさまざまな内容を記すことに取り組みました。そのため今年の2月以降8月くらいまでは、ほぼそれ以外の内容を記すことを控えました。ご参考までに、関係するブログのリストを以下に記しておきます。振り返って過去の記事を読むと今から思えばいろいろ感じることはありますが、その当時の認識として保存しておくべきことなのでしょう。
<新型コロナウイルス感染症対策全般>
・新型コロナウイルス感染症の現状と見通しについて(2/6晩現在)(2020.2.7)
・個人的メモ:新型コロナウイルス感染症対策の今後について(2020.7.10)
・秋以降の新型コロナウイルス感染症対策について(2020.9.6)
<個別の取り組みや状況について>
・新型コロナウイルス感染症に関するニューヨーク市、州の現状(2020.3.20)
・厚生労働省における新型コロナウイルス感染症対策に関するICTの活用(2020.5.22)
・新型コロナウイルス感染症のワクチンについて(2020.8.22)
<クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」関係>
・クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」について(2020.2.9)
・クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」について(その2)(2020.2.16)
・ダイヤモンド・プリンセス号の対応を終えて(2020.3.15)
・ダイヤモンド・プリンセス号現地活動の概要(2020.4.19)
ダイヤモンド・プリンセス号対応については、自見大臣政務官と連名の英語論文をGlobal Health & Medicine誌に投稿しています。
・Challenges of COVID-19 outbreak on the cruise ship Diamond Princess docked at Yokohama, Japan: a real-world story
なお、ブログやFacebookは個人的な活動として行っていますので、全て自分で記しています。またBSフジ「プライムニュース」において、厚生労働省の取り組み等についてお話する機会を何度も頂けたことは誠にありがたいことでした。一方、twitterに予断を与えうる投稿をして削除することとなったこともあり、危機時における情報発信の難しさも痛切に感じました。
以上のようなことを考えながら、日々を過ごしていました。1月下旬以降はほぼ新型コロナウイルス感染症対策のみに勤務時間を費やす状況が続きました。9月14日時点において累積の陽性者数は75,217人、亡くなった方が1,439人です。亡くなられた皆さまのご冥福をお祈り申し上げますとともに、感染された方やそのご家族のみなさまに、心からのお見舞いを申し上げます。この状況について現時点でのこの結果を軽々に評価をすることはまだ困難です。台湾や韓国など、より死者数等の少ない国々もありますが、欧米のような爆発的な感染者増加を起こさないで済んでいるとも言えます。何はともあれ、まずはご協力をいただいた全ての皆さまに、心からの感謝を申し上げます。
●地域医療構想と新型コロナウイルス感染症対策
ブログ「令和元年末のご挨拶」で記した通り、昨年は地域医療構想の関係で地方自治体代表の皆さまといろいろご相談を申し上げる機会が多くありました。とりわけ鳥取県の平井伸治知事とは何度もお目にかかっていましたが、今回の新型コロナウイルス感染症対策においても全国知事会の担当となられたため幾度も緊密に意見交換し、都道府県レベルでの対策の実態などをご教示いただきました。全国知事会としても会長の飯泉嘉門徳島県知事、黒岩祐治神奈川県知事、西脇隆俊京都府知事とは幾度もネット会議でお話を伺いました。
今回の新型コロナウイルス感染症対策では、新型インフルエンザ特措法の施策体系からしても、各都道府県知事の責任と権限が強いものであり、実際に都道府県独自の取り組みや緊急事態宣言、各知事の発言などがこれほど注目された機会もなかったと思います。また実際に、医療提供体制の整備などは都道府県が主体となって行っていただいたため、上記のように厚生労働省としても緊密な連携を行いました。
昨年は、地域医療構想・医師偏在是正対策・医師の働き方改革で「三位一体の改革」と称して取り組んでいましたが、専門医制度や地域枠のあり方なども含め、引き続き地域医療の提供体制については議論が続いています。新型コロナウイルス感染症対策が仮にひと段落したとしても、今後も各都道府県知事や全国知事会の存在は、厚生労働省にとって一層重視しなければならないものとなったのではないかと考えます。
●ハンセン病元患者・家族への偏見差別対策と新型コロナウイルス感染症対策
もう一点、やはり「令和元年末のご挨拶」において記していた内容で、ハンセン病元患者およびご家族に対する偏見差別の解消の問題があります。こちらについて今年も引き続き協議などが行われる予定でしたが、残念ながら中断しており進展をさせることができませんでした。
一方で新型コロナウイルス感染症の関係でも、感染者やクラスターが発生した施設、さらには対応にあたる医療機関やその従事者にいたるまで、不当な偏見差別にさらされることとなりました。目に見えない未知ウイルスへの恐怖という感情は誰にでもあるものですが、だからといって思いがけず感染してしまった方やましてや対策に従事している方そしてその家族までいたずらに忌諱しても、社会にとっても本人にとっても辛い中に鞭を打たれるような感覚になるだけで、何も良いことはありません。こうしたことがまた繰り返されてしまった状況は、本当に残念としか言いようがありません。私たちは改めて、ハンセン病の歴史から正視しなおす必要があるものと考えます。私自身も今後どのような立場にあっても、引き続き何らかの形で取り組みたいと考えています。
●その他
そもそも昨年9月の厚生労働副大臣就任は、台風で千葉県等に大きな被害が出た直後でした。続けてさらに別の台風にも襲われ、長野県や埼玉県、福島県、宮城県などで洪水も発生しました。今年も7月に熊本県や鹿児島県で豪雨災害が発生し、先日も大型台風の通過がありました。災害被害からの復旧復興を行わなければなりませんが、さらにコロナ禍の中ということで災害ボランティア等の活動が制約されるという新たな状況も発生しました。平成30年豪雨災害以来取り組んでいる避難所の環境改善について、昨年の災害でも福島県伊達市などの避難所に出張しダンボールベッドなどが導入されている様子を拝見しました。また先日、災害ボランティアセンターに関する自治体の人件費等について国費が支出される方針になったと聞いています。引き続き平成30年7月豪雨の際の教訓を具体化しなければなりません。
国際的には、昨年10月にマニラで行われたWHO西太平洋地域委員会会合 、岡山市で行われたG20保健大臣会合(レセプション・視察)、11月にビエンチャンで行われたASEAN+3社会福祉大臣会合 、今年2月にバンコクで行われたPMAC2020/UHCフォーラム2020 に出張しました。それぞれの会にて、各国の保健衛生や医療福祉の状況を学びまた日本の状況をお伝えすることに努めました。なお2月中旬以降はこうした国際会議はすべてオンラインとなり、加藤大臣が対応されています。これまで国会対応等で大臣がなかなか出張できず、副大臣対応となることが多かったので、日本のプレゼンスを高める意味では良かったかもしれません。
なお私ごとになりますが、家族についても触れます。進学の関係で、今年の4月から倉敷にいた次女次男を上京させ、社会人になった長女とともに衆議院宿舎で同居しています(大学生の長男は都内で一人暮らし)。2月から3月にかけて、ちょうどダイヤモンド・プリンセス号の対応をしていたり健康観察期間として宿泊施設で過ごしていたりしたため、準備には知人友人や事務所スタッフの助力や長女長男の働きによるしかなく、いろいろご迷惑をおかけしました。しかし結果として4月以降の緊急事態宣言下の時期を宿舎にて子どもたちと一緒に過ごすことができたのは、父親としての私にとっても子供たちにとっても、タイミングがよかったなと思っています。倉敷で子どもたちがお世話になった方々に深くお礼を申し上げるとともに、ありがたいことに皆で仲良く元気にそれぞれ会社や学校に通って過ごしていることをご報告申し上げる次第です。
●謝辞
今回のコロナ禍において、厚生労働省は全力で対応にあたりました。その結果を評価するにはまだ早いですし、少なくとも全てが上手くいったわけでもないとも思いますが、それでも持てる力を結集し一丸となって対応にあたっていたことは紛れもない事実です。こうした中で、加藤勝信厚生労働大臣を筆頭に、稲津久厚生労働副大臣、小島敏文厚生労働大臣政務官、自見はなこ厚生労働大臣政務官それぞれが持ち味を生かして対応に当たられました。この難局にあたりご一緒できたこと、さまざまご指導いただいたことに、深く感謝申し上げます。
また、厚生労働省職員の方々(出向先などから臨時復帰された方々、他省からの派遣の方々も含めて)には、本当に昼夜を分かたぬ激務を通し、新型コロナウイルス感染症対策推進本部の内外を問わず今回の対応にあたっていただいたことに、心から敬意と感謝を申し上げます。映画「シン・ゴジラ」の巨災対のようにドラマティックな展開を遂げるわけでもないし、ひと握りのヒーローヒロインが何かをきっかけに解決策をひらめくような美しいものでもありません。現実はとても泥臭く電話かけや書類作成をひたすらし続けていたようだったかもしれません。しかしその一つ一つの仕事の積み重ねこそが、この日本を新種のウイルス蔓延から防ぎ続けているのだと私は信じています。幹部から若手まで、それぞれの場面でそれぞれの個性を発揮して、各方面の対策を同時並行的に進めるさまは、さながら群像活劇を見るが如きものでした。すべての方々の名前を記して活躍を残したいところですが、紙幅の都合上お二人の名前を代表として挙げます。水谷忠由さんは毎日の大臣室打ち合わせおよび班長会議を粘り強く仕切り、ありとあらゆる案件をバランス良く捌き続けられました。寺谷俊康さんは対策本部地域支援班の一員として、北九州市、新宿区、そして沖縄県庁と感染が深刻化している自治体に率先して派遣され、各地での受援体制構築に汗をかいていただきました。お二人をはじめすべての方に拍手喝采を送ります。もちろん、内閣官房コロナ室やIT室、防衛省、総務省など、さまざまな形で他省庁の方々にもお力をいただきました。篤く御礼申し上げます。
今回の対応で、感染症対策の専門家の先生方のお話を直接伺う機会をたくさんいただいたことは、本当に勉強になりました。ダイヤモンド・プリンセス号内の現場にて、また厚生労働省アドバイザリーボードや新型コロナウイルス感染症対策分科会など会議の場にて、素人の私にもわかりやすくしかし重要な議論を伺うことができたことは、今後の大きな糧になるものと思います。DMATの先生方にも、それぞれの現場で熱意をもってお力をいただき本当に心強く感じました。ありがとうございました。日本医師会をはじめとする医療関係団体の皆さまにも、さまざまな場面で相談させていただき、お世話になりました。もちろん民間企業の皆さまにもお世話になりました。特に今回は、水害対応からダイヤモンド・プリンセス号でのスマホ配布、さらには大規模調査まで、LINEさんには大きくお力をいただきました。
そうしたあれこれができたのも、副大臣室のスタッフの皆さんあってのことです。大坪審議官から「占部さんはクールぶってるよね」と指摘され「”ぶってる”ってなんですか!」と目をむいていたクールに見えて本当は熱い男・占部秘書官を筆頭に、石川主任秘書、小澤さん、運転手の山賀さんの温かいお支えあって、なんとか副大臣としての任期を全うすることができました。深く感謝申し上げます。
またもちろん、こうした仕事をすることができるのも、地元倉敷・早島の皆さまが私を国会に送っていただいているおかげです。とくに今回は半年近くも地元に戻ることができず、大変ご心配をおかけしてしまい誠に申し訳ありませんでした。そして変わらずご支援をいただいていることに、心から御礼申し上げます。ありがとうございました。
二回目の副大臣として厚生労働省に戻った際には、このような一年を過ごすとは全く予想だにしていませんでした。しかし国の危機に際してチーム厚生労働省の一員として対応の一端を担う経験をでき、人生においても間違いなく忘れ難い任期となりました。この先どのような立場をいただくかわかりませんが、いただいた経験とご縁を大事にして引き続き努力して参ります。
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