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2019年12月

2019年12月31日 (火)

令和元年末のご挨拶

 早いもので令和元年も大晦日となりました。今年も一年間多くの皆さまにお支えをいただき、どうにか年末を迎えることができました。今年の前半の取り組みについてはこちらをご覧いただくとして、9月13日に厚生労働副大臣に再び就任してからのことを少し記します。

 まず、この令和元年という御代替わりの年に副大臣を務めていることは、誠に名誉で光栄なことでした。即位礼正殿の儀や大嘗祭といった宮中行事に参列する機会をいただき貴重な体験をすることができました。これは国会に送っていただいている地元倉敷・早島の皆さまはじめ、ご支援ご指導いただいている皆さまのおかげであり、篤く御礼申し上げます。

●地域の医療提供体制について

 さて今回の副大臣は医療・介護・福祉が主な所管となりました。全世代型社会保障会議や、介護保険の見直しなど、負担と給付に関わる議論も省内検討会や官邸の会議で議論されており、メディアを賑やかしていました。ただこちらは加藤勝信厚生労働大臣がきちんと対応しておられましたので、僕は適宜フォローしていたくらいの関わり方でした。

 一方、地域医療の提供体制についてはしっかり考えさせられる時期でした。厚生労働省は、9月26日の「地域医療構想に関するワーキンググループ」の第24回会議において、公立・公的病院の地域医療構想への対応方針に関する再検証要請対象の病院名を公表しました。もちろん、こうした公表をすることは事前に聞いていたものの、ここまでの取り上げられ方をするというのは個人的にも読み誤りました。結果として多くのご批判をいただき、そのフォローをすることとなりました。10月4日に第一回「地域医療確保に関する国と地方の協議の場」が開催され、長谷川岳総務副大臣とともに政府側として出席し、平井鳥取県知事、立谷相馬市長、椎木周防大島町長から、厳ししいお話を承りました。この席上、全国ブロックごとに意見交換会を行うことを表明しましたが、初回の福岡市における意見交換会に出席し、公表に丁寧さを欠いたこと、分析に限界があること、合併統合などを強制するかのように受け止められてしまったことの三点に触れ、反省していることを申し上げました。その後も意見交換を重ね、令和2年度の予算編成においても支援策も盛り込み、12月24日の第三回の協議の場終了後、平井知事から「議論の正常化の道筋が立ったのではないか」というコメントがいただけたことで、いささか胸をなでおろしたところです。

 ただ、年が明けて、実際に再検証要請を行ってからが本当の正念場となります。それぞれの医療機関での検証や地域医療構想調整会議において、それぞれの地域の事情を踏まえた議論が行われることが最も大事です。また、重点支援地域の指定も年明けになります。これについては、もちろん支援の上乗せ等もありますが、むしろ厚生労働省職員が各地域の現場に入り、自治体や地域の方々とともに汗をかいて地方自治の現場を学び、今後の施策検討に生かすことも、重要な意味だと思っています。引き続き、持続可能かつ地域のニーズに即した地域医療体制へのバージョンアップをそれぞれの地域で進めていただく必要がありますが、そのためには国と地方の協議の場において随時緊密に意見交換をしながら、地域医療構想・医師の働き方改革・医師の偏在是正のいわゆる「三位一体」のみならず、タスクシフト/シェアの議論、医師養成課程や専門医制度のあり方など、さまざまな政策のバランスに細心の注意を払い必要に応じて調整しながら進める必要があるものと思っています。

 11月に厚生労働省に設置された省内関係局横断組織「医師等医療機関職員の働き方改革推進本部」の本部長も仰せつかっています。厚労省内外の方々とよく意見交換しながら、来年も取り組んでまいります。

●ハンセン病元患者およびご家族への偏見差別の解消

 6月28日の熊本地方裁判所におけるハンセン病家族国家賠償請求訴訟判決を受け、7月12日に安倍総理は控訴しない旨の決定をし、「かつて採られた施設入所政策の下で、患者・元患者の皆様のみならず、家族の方々に対しても、社会において極めて厳しい偏見、差別が存在したことは厳然たる事実であります。患者・元患者とその家族の方々が強いられてきた苦痛と苦難に対し、政府として改めて深く反省し、心からお詫び申し上げます」とする総理大臣談話を公表しました(この決定は、歴史的なものとして評価されるべきだと個人的には思います)。それを受け、原告団の方々と政府の議論や関係議員連盟の活動等の成果として、11月15日に「ハンセン病元患者家族に対する補償金の支給等に関する法律」が全会一致で成立しました。ハンセン病元患者のご家族についての補償は、法に基づき厚生労働省としてしっかり取り組まなければなりません。

 さらに宿題として、元患者の方々やご家族の方々に対する差別偏見の解消のため、政府として普及啓発等の対策を強化することに取り組むことになり、10月2日に厚生労働省・法務省・文部科学省および原告団の方々協議の場に出席しました。席上、改めてご家族や元患者としての辛い体験談を伺い、この機会になんとか偏見差別の解消に近づかせなければならないと決意しました。

 この問題は、少なくとも近世以降においては、らい予防法という法律に基づいた、政府の誤った政策および全国的な「無らい県運動」などのキャンペーンが国民に偏見差別の種をまく原因を作ったものですから、当然ながら政府が主体となって取り組まなければなりません。一方で、最終的には国民一人一人の方々に、仮に偏見の気持ちがあるならば考えを改めていただく必要があることであり、教育や啓発活動は大事です(ご参考:厚生労働省「ハンセン病に関する情報ページ」)がそれだけではなかなか難しく、もっといろんな方々を巻き込んでいく知恵も必要です。また単に議論するだけはなく、本当に分け隔てのないことを自ら実践して見せていくことも重要なのだろうと思いました。まずはその手始めとして、12月12日に香川県高松市の国立療養所大島青松園を訪問し、お話を伺い施設を見学することに加え、自治会長の森さんや全原協の竪山さんと一緒に入浴をし、報道に公開しました。ご協力いただいた皆様に感謝申し上げます。こうした取り組みは、来年も続けていくつもりです。

●そのほか

 やろうと思ってできなかったこともあります。まず一つめは、国会における質問通告時間の公表です。これは、6月の厚生労働省改革若手チームの提言に含まれており、しかし各方面との調整が求められるためあれこれとお話を重ねていましたが、残念ながら先の臨時国会では前に進めることはできませんでした。来年の通常国会では、一歩でも前に進められるように取り組みたいと思っています。

 いま一つ、今年実現できず残念に思っていることは、重度身体障害者の方の経済活動中の介護支援の実現でした。障害保健福祉部および職業安定局はしっかり知恵を絞っていたのですが、残念ながら成案を得ることができませんでした。来年度は現在の制度の強化にとどまりますが、年末にれいわ新選組の木村英子参議院議員にご示唆頂いたことを含め、これも来年度以降前進できるよう力を尽くします。

 また昨年の平成30年豪雨災害等に続き、今年も強力な台風が相次いで被害をもたらしました。その対応等にあたったことに加え、昨年からの課題の一つであるところの発災後の福祉のあり方について、自見はな子大臣政務官らと議論を重ねています。これもまだ成果が出たわけではありませんが、粘り強く取り組まなければなりません。参議院厚生労働委員会において山本香苗参議院議員にご指名で釘をさされた災害ボランティアセンターの制度化も、まだ宿題。

 今後に向けて厚生労働省内にて、ポリファーマシー対策の問題や地域共生社会の新たな展開などに取り組むべきと思っています。これらは来年に議論を進め、成果を出していきたいものです。

 地元倉敷・早島に目を転じると、昨年の災害からの復興に関して、災害応急仮設住宅の期限延長にめどが立ちましたが、高梁川・小田川合流点付替え工事の実施や復旧・復興に向けてなお気持ちを入れて取り組まなければなりません。また、国道2号線の岡山―倉敷間の渋滞解消に向けた事業や水島港のさらなる整備等も来年も取り組んで参ります。

●年末のご挨拶

 今年の臨時国会およびその後「桜を見る会」の件が大きく取り上げられたことに加え、閣僚の辞任や同僚の逮捕などがあり、政治や政権への信頼が大きく損なわれました。「桜を見る会」については、父・橋本龍太郎が総理だった頃でも総理によるご招待はあったとは思うのですが、一方で第二次安倍政権以降招待者がどんどん増加していたのは、公務と政務のけじめがどんどん緩くなっていたという批判を免れることはできないものと考えます。自民党および政府の一員として、改めて厳しく気を引き締めなおして自省し、信頼を再びいただけるよう新たな年に臨まなければなりません。

 今年一年のご厚誼に深く感謝を申し上げるとともに、来年が皆さまにとり良い年になりますよう心からお祈り申し上げます。どうぞ良いお年をお迎えください。

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2019年12月30日 (月)

「いつでも、どこでも、誰でも、何度でもチャンスにアクセスできる国日本」-故宮川典子衆議院議員について

 今年(令和元年)9月12日、宮川典子衆議院議員が逝去されました。衆議院議員当選3回の40歳とまだまだ若く、乳がんと診断されてからほぼ誰にもそのことを明かさず実に3年半にわたりひそかに闘病を続けていたとのことで、同僚議員の誰もが驚愕する報せとなりました。改めて、心からご冥福をお祈り申し上げます。

 ここ数年で在職中に他界された衆参の議員は、町村信孝議員(平成27年6月1日)、鳩山邦夫議員(平成28年6月21日)、白石徹議員(平成29年3月17日)、木村太郎議員(平成29年7月25日)、長嶋忠美議員(平成29年8月18日)、園田博之議員(平成30年11月11日)、鴻池祥肇議員(平成30年12月25日)、北川知克議員(平成30年12月26日)、島田三郎議員(令和元年5月8日)、そして望月義夫議員(令和元年12月19日)と何人もおられます(丸かっこ内は没年月日)。それぞれの先生方とそれぞれに思い出があり、それぞれに悲しみを持っていますが、宮川先生はこの中では唯一の年下であり、外交部会や厚生労働部会、性的指向・性自認に関する特命員会などにおいてさまざまな仕事を共にしていたため、他界から3か月が経った今でも喪失感が癒えていないというのが、正直なところです。

 宮川典子先生の人となりは、今年11月12日に衆議院本会議中に行われた野田聖子議員による追悼演説にて余すところなく語られていますが、僕の目からみた彼女のエピソードをさらにいくつか記し残すことで、自分なりの追悼としたいと思います。

 第一印象は、「おお、これが参院のドンと闘った宮川さんか!」というものでした。9年前、民主党(当時)政権下における参議院議員選挙において、岡山県と山梨県は、それぞれ江田五月議員、輿石東議員というともに参議院民主党のビッグネームを相手とする選挙でした。そこで自民党岡山県連は新人の女性を候補者として擁立して戦い、自民党山梨県連は同じく新人女性の宮川典子先生を候補者として擁立しました。残念ながらいずれも落選となりましたが、しかし宮川候補は輿石候補をわずか4,000票足らずの差まで追い詰める堂々の大接戦を演じ、注目を集めたのです。その後しばらくして、自民党本部青年局による支部長勉強会(僕も落選中でした)で党本部の会議室で初めてお見掛けして先に書いた印象を受け、「すごい選挙でしたね!」とご挨拶して握手したことを覚えています。

 その後平成24年12月の衆議院選挙で宮川先生は当選され、僕も二度目の当選を果たし、国会および自民党において同僚として過ごすこととなります。

 会議では必ずピンと腕を伸ばして挙手をし、指名されるや朗々と響く声で、自分の言葉で、自分がオリジナルに考えたことを先輩同輩居並ぶ中堂々と説得力をもって主張する、同期当選119人いる中でも弁舌による存在感のある議員でした。あまりにも舌鋒が鋭すぎて、聞いているこちらが、そこまで言ったらカドが立ってしまうのではないかとヒヤヒヤするようなシーンもちらほらあったくらいです。

 たとえば新国立競技場の設計変更の議論の際に、とある先輩議員が「この際、ラグビーワールドカップくらい間に合わないのは仕方ない」という趣旨の発言をしたところ、慶應義塾體育會蹴球部でマネージャーを務めラグビーをこよなく愛する宮川先生は、血相を変えて即座に挙手し「ラグビーワールドカップくらいとはどういうことですか!」とすかさず言い返してタジタジさせていました。心待ちにしていたラグビーワールドカップ開催を目前にして他界されてしまったのは、さぞかし残念ではなかったかと思います。千の風になって、日本代表チームの活躍や大会の成功を見守ってくれていれば良いのですが。

 党内でリベンジポルノ防止法案の検討を行っていた際、僕は表現の自由との兼ね合いを主張し、懐疑論者で抵抗勢力状態でした。三原じゅん子女性局長の下、宮川先生は推進派の急先鋒であり、何度か会議で議論を戦わせたことがあります。何回目かの会議で、さすがに僕に直接説教するのははばかったようで、横の方に座っていた総務省の方に向かって(とばっちりで申し訳なかったです…)、「どれだけの女性が取返しのつかない被害を受けて辛い思いをしていると思ってるんですか!もっと真面目に考えてください!!」と叱りつけている宮川先生は、正直怖かったです。これ絶対僕に向かって言ってるよね…と悟った僕はその後論破されてしまい、その次の会議で妥協案を発言したところから議論は前に進みはじめ、成案を得るに至りました。他にも山下貴司議員など多くの方々の尽力で成立した法律ですが、まず頑固な抵抗勢力(僕ですが)を翻意させることに成功した宮川典子先生がMVPだったと個人的には思います。

 自民党道州制推進本部において、道州制を推進する法案に関して議論を行っていた際には、宮川先生は、「私は道州制には反対です。私が愛する山梨県が無くなるなど、考えられません!」という発言をされました。正直、道州制への反対意見としては必ずしも理屈になっていないとも思いましたが、しかしあまりのストレートさゆえに最も強く印象に残りました。下手な小理屈をこねられるよりも、よほど心を掴む反対意見でした。山梨県にお住まいの方々は、ここまで率直に地元愛を語る代議士を自民党本部および国会に送り込んでいたことを、誇られるべきではないでしょうか。

 自民党内で受動喫煙対策の議論が華やかだった時には、ややもすると愛煙家vs嫌煙家の対立に陥り膠着してしまう議論の状況を憂い、「煙草を吸う人にとっても吸わない人にとっても、全ての国民のための受動喫煙対策であるべき」という立論をし、理解のない状況に思い余って議員連盟を退会してしまう挙に出たこともありました。自分の頭でものを考え、自らが傷つくことをも厭わずに、自らの信ずるところを述べ行動する気迫が常にありました。

 役所や専門家など他人の意見を借りて発言をすることは、手っ取り早くもっともらしく間違いがない発言ができる安直な手段です。しかし宮川典子先生は、決してそうした楽なことはせず、必ず自らの見解や感情に基づくオリジナルな発言をする議員でした。これはとても勇気のいることで、なかなか簡単にできることではありません。おそらくは、そのためになかなか理解されなかったり、悪く言われたりすることもあり、陰で心の痛みをこらえることもきっと少なくなかったのではないかとも思います。しかしこの積み重ねが政治家としての実力をつける早道だと僕は思います。早逝が惜しまれる所以です。

 宮川典子先生のご発言には、弱い立場の方々、周囲の理解が得づらい方々、顧みられず人知れず辛い思いをしている方々、そして子供たちや若者への共感や期待のまなざしが貫かれていました。おそらく文部科学部会や衆議院文部科学委員会等でもそうした視点に基づく議論を重ねておられたものと思いますが、僕がそれを最も強く感じたのは、自民党性的指向・性自認に関する特命委員会での活動でした。自らの教員時代に同性の生徒から相談を受けたことをきっかけにこの問題に意識のあった宮川典子先生を事務局次長に迎えることができたことが、古屋圭司特命委員長のリーダーシップ、馳浩議連会長のバランス感覚とともに、決してこの問題に意識が高かったわけではない自民党政調内においてセンシティブな議論を続ける原動力となっていました。地道に汗をかくことを苦にせず、先輩方からも信頼の厚かった宮川先生にはとても助けていただきました。

 宮川典子先生の熱い話しぶりには各地にファンが多く、しばしば講演や選挙応援に呼ばれて全国に出かけておられました。小泉進次郎議員のように大勢の人やメディアを集めるわけではありませんが、リピーターが各地に根強くおられ、地方出張の頻度は若手ではおそらくダントツだったのではないかと思います。岡山県でも県連学生部創設時や、県連女性局の講演や街頭演説、3年前の参院選における小野田紀美候補の応援、そして2年前の衆院選では僕のためにもご来援をいただきました。改めて、心から感謝を申し上げます。

 さて、冒頭にも記しましたが、乳がんと診断されてから3年半の闘病生活でした。したがって、文部科学大臣政務官を務めておられた1年強の期間も含め、先に記したことはおおむね、がん治療をしながらであったということだと思われます。これは全く驚くべきことであり、強靭な意志のなせる業ではないかと言いようがありません。ただ振り返れば、今年の春ごろから、自動車に接触する事故にあったとしてやや痛々しそうな歩き方をしておられました。今にして思えば、あれは果たして何の痛みだったのか。あるいは、野田聖子議員による追悼演説でも、昨年5月には入院中であったことが述べられていますが、これも何のための入院だったのか。

 政治家という仕事の宿命として、病気であることを公表することは慎重にならざるを得ません。自分の生命と政治生命を天秤にかけなければならない場合も十分に起こります。特に宮川先生の場合、山梨県が定数減となりコスタリカ制の対象であったこと、またお隣の山梨2区では前回衆院選挙において自民党元職と自民党現職が二人とも立候補して選挙を戦い、当選した現職が追加公認される形で同様の問題の解決が図られていたことも踏まえると、宮川先生がなかなか他人に弱みを見せることができなかった事情も想像するのはそう難しくありません。そのプレッシャーの中で山梨と東京を往復し、東京では公務や政務をこなし、山梨では地元活動を行い、さらに地方出張まで行ってひまわりのような笑顔でニコニコと過ごすのは、どれだけ辛いことだったのか、身体を痛めつけることだったのか、簡単に推し量ることを許しません。今夏の参議院議員選挙の応援中にドクターストップがかかり、最後の入院となったようです。壮絶の一語に尽きます。働き方改革の一環として「病気治療と仕事の両立」が唱えられることがありますが、そんな簡単に言ってしまってよいのかと9月13日以降、いささか悩んでいます。もっと身体を労わってもらうことはできなかったのかと、つい思ってしまいます。とにかく、宮川典子先生は、病との闘いにおいても、本当によく頑張りました。

 衆議院本会議にて登壇する機会があったことは、一つの救いだったと思います。国会議員であっても、特に自民党所属の場合は、なかなか衆議院本会議で登壇し、演説する機会は与えられません。衆議院議員になれば、本会議で登壇し、議事録に自分の言葉を刻みつけることが最初の目標のひとつになりますが、しかし早くて当選2回から、今の当選3回生は機会に恵まれず未経験の方もまだ多いのが実際です。その中で、今年(平成31年)3月14日の衆議院本会議において、宮川典子先生は「大学等における修学の支援に関する法律案」(内閣提出)及び「学校教育法等の一部を改正する法律案」(内閣提出)の趣旨説明に対し、自由民主党を代表して質問に立たれました。結びの数段落を引用します(全文は議事録をご覧ください)。

 「いつでも、どこでも、誰でも、何度でもチャンスにアクセスできる国日本、これこそ今後の日本が目指すべき国のあり方だと私は考えます。人生百年時代を迎えようとも、自分の生きがいを見つけるチャンスがあふれていれば、この国に生きる人々は喜びがどんどんふえていく。日本は資源に乏しい国だとよく言われますが、それならいっそ、日本の資源はいつでも誰でもアクセスができるチャンスの数々だと胸を張れる国になるべきです。
 その国づくりを引っ張っていくのは、間違いなく教育改革です。もし今の日本が閉塞感に覆われているというならば、未来を切り開く力の源、教育で日本を立て直していけばよいのです。
 政治が強い意志を持ち、毅然と改革に取り組んでいくことこそが、子供たちや若者たちの希望を確かなものにすると私は信じております。この改革の歩みを決してとめることのないよう、議場の皆様に強く訴えて、私の質問を終わります。」

 決して整った言葉なわけではないかもしれない。理想論でしかないのかもしれない。動画を見直してみると、決して本調子ではなさそうにも見えます。でも間違いなく、宮川典子先生の40年に及ぶ人生が、これらの言葉に美しく結晶しているように、僕には思えてなりません。結果として遺言のようになってしまった、しかし日本国がなくなる日まで国会の議事録に刻まれているこれらの言葉を、文部科学省の方々および全国の教育に携わる方々には今後ずっと励みにしていただきたいですし、政治の道にあるものは改革の歩みを止めることのないよう、遺志を継いでいかなければなりません。

 主に仕事面のことを記しましたが、個人的には、飲み会で僕がひどく泥酔してしまい松本洋平議員とともに宿舎まで肩に担いで帰ってもらったとか、編笠山や北岳など山梨県内の登山に行った際には宮川事務所の皆さまやお母様や弟君ともどもご歓迎いただいたとか、大学の先輩後輩のよしみでとてもお世話になりました。重ねて感謝を申し上げるばかりです。宮川典子先生、本当にありがとうございました。

 どれだけ言葉を費やしても、もう再び議場などでお姿を目にすることがないのは、誠に残念で寂しいことです。せめて天上にて、早くに他界されてしまったお父様と再会され、肩の荷を下ろして、心安らかに過ごされていることを祈っています。

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2019年12月25日 (水)

いわゆるパワハラ防止法指針についての備忘

 今般、厚生労働省の労働政策審議会は、職場でのハラスメント対策を進めるためのパワハラ防止に関する指針(正式名称「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」)を決定しました。これについて、備忘のため思うところを記しておきます。なお、もちろん私は現在、厚生労働副大臣という立場ではありますが、担務ではない部署の業務でもあり、あくまでも個人的な感想文として記すものです。

 まず確認として、この指針の根拠になった法律の条文は、以下の通りです。

(雇用管理上の措置等) 第三十条の二 事業主は、職場において行われる優越的な関係を背景とした言動であつて、業務上必要かつ相当な範囲を超えたものによりその雇用する労働者の就業環境が害されることのないよう、当該労働者からの相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備その他の雇用管理上必要な措置を講じなければならない。

 この条文を踏まえ、指針では「職場におけるパワーハラスメント」とは、職場において行われる

 ① 優越的な関係を背景とした言動であって
 ② 業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、
 ③ 労働者の就業環境が害されるものであり、
 ①~③までの要素を全て満たすものをいうこと。

 とされています。なお「優越的な関係を背景とした」とは、上司だけでなく、同僚や部下も含む場合があることが指針で例示されています。また「労働者」はいわゆる正規雇用労働者のみならず、パートタイム労働者や契約社員、派遣労働者等も含まれることも明示されています。

 さて今回、法律で初めてパワーハラスメントを定義することとなりましたが、逆に言えば、少なくとも法律上は、この3要件のどれかを満たさなければ*法律上は*パワーハラスメントではない、ということになります。

 ここは難しいところで、法律で何らかの規制をかけるためにはその対象を定義しなければなりません。しかし、人間社会の出来事を明確に言葉で定義することは困難なことで、どうしても「これも規制するべきかもしれないけど、定義から外れてしまうよなあ…」ということが残ってしまうことはあります。しかしそうした場合、完璧な定義を求めて文学的な議論を続け、結果として規制がない状況をずっと続けることになってしまうのは、問題解決としては本末転倒と言わざるを得ません。とりあえずやらないよりマシと割り切り、しかし積み残しは今後の宿題と考えることが現実的な発想となります。実は、前回に厚生労働副大臣であった時に、担当者にパワハラ防止を法制化すべきではないかと議論したことがありましたが、その時の回答は「以前チャレンジしたことはあったが定義が難しいので困難」というものでした。したがって今回の法制化は、「あの時の議論は何だったのかなあ…」とも思いましたが、一方で「やればできるじゃん!」という感想もあります。全く規制に踏み出せないよりは、完璧ではないにしても、まずは足を踏み出すことが大事だと思います。もちろん、宿題については考え続けなければなりません(だから備忘を残すのです)。

 さて、この指針について、さまざまなご批判がなおあります。議論の過程でも事務局も調整に苦心した様子もうかがえましたが、報道等で指摘されている点も残っています。

 例えば、12月24日付東京新聞朝刊では「就活生ら対策義務見送り」といった見出しでの報道でした。実は就職活動の学生らをどう保護するかというのはなかなか難問です。そもそも、現在の日本の労働法制は、基本的には雇用契約を結んだ労働者の保護を念頭に置いたものです。就職活動中の方や、自由業ないしフリーランスの方は一般的には「労働者」の定義に当てはまらない場合が多い(ただし実態からそのように認定される場合もあります)のが現状です。法律の射程に入っていない規制を、その下位法規である指針で規定することはできません。そうはいっても、事業主の配慮の努力義務の対象として「求職者」も書き込まれていますので、全く無視しているわけでもありませんが、今回指針においてパブリックコメントの意見が多かったにも関わらず義務づけされていないのはそのような事情によるものです。カスタマーハラスメントも同様です。

 ただ、だからといって放置しておいてよいということだとは思っていません。労働者には労働組合もありますし、労働局や労働基準監督署に相談したりする保護や救済の仕組みがあります。もちろん労働局や労働基準監督署は求職者の相談にも応じるはずですが、一方で求職中であるがゆえに、自分の名前を出して相手先企業の処分を求めたりもしにくいという弱い立場にあります。また、学生であれば学校が支援することもあるでしょうが、学校も必ずしも企業に対して立場が強い場合ばかりとも限りません。今回の議論を聞いていて、就職活動中の学生などが不当な取り扱いやハラスメントを受けた際に、その保護や救済を図る法制上の根拠も組織も乏しいということは、個人的に改めて認識しました。これは、厚生労働省のみで取り組むことが良いかどうかも含めて、宿題だと思っています。

 また、女性にパンプスやハイヒールなどを強制することについても、パワーハラスメントに該当し得ると記載すべき、ないしは禁止して罰則を設けるべき、というご意見もありました。いわゆる#kutooの問題です。こちらも、今回の指針においては、まず上記と同じ理由により禁止や罰則は困難です。その上で、三要件に当てはまるかどうかが問題となるものでしょう。すなわち「業務上必要かつ相当な範囲を超えている」か、「労働者の就業環境を害している」かが、個々のケースによって判断されることになります。

 ただ話をここまでややこしくしたのは、ヒールやパンプスが実際に履くと痛かったりマメができたりしてしまい履くと苦痛なものである(と娘も言っていました。私は履いたことがないのですが)ということ。また、妊婦さんは危険だから履くべきではないという話もあります。仮にそうだとするならば、怪我する履物を履くよう強制されるのは、苦役の禁止を定める日本国憲法第18条だとか、労働者の健康と安全を確保する事業主の責務を定めた労働安全衛生法第3条と照らしてどうなのかという議論になるのかもしれません。そもそも、靴屋さんが奮起して安全快適なヒールやパンプスを作ってくれるべきなのかもしれないという気もします。いずれにせよ、パワーハラスメントかどうかという観点を超えたアプローチも考えられるべきではないかと思います。

 どのような服装等を労働者に義務付けるかは、まずは事業主と労働者(および労働組合)の合意による事業場の自治の問題です。しかし往々にして事業主側はヒールやパンプスを履いたことがない人が少なくなく、苦痛を訴えても感度に乏しいことがあるでしょう。そういう人たちに理解されにくい問題だからこそ社会問題になったという点は、心に留めておかなければないと思います。

 性的指向・性自認に関するハラスメントやアウティングについて明記すべきというご意見は、議論過程の際から承っていました。例示などにおいて見直しを行い、一定のご評価をいただいている(例:LGBT法連合会「『事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針』の諮問答申に対する声明」)ように思っています。ただ、法律による規制を具体的にわかりやすくするのが指針の目的とはいえ、特定の要因による差別等のみをことさらに取り上げるとかえって他の要因が見えにくくなってしまうという問題もあり、指針のような内容となりました。今後のパンフレット等による周知啓発の際にも意を酌むべきこともあるでしょう。またそもそも、一般論として差別偏見をどうやってなくすのかというアプローチを進める必要も改めて感じた次第です。

 該当する例や該当しない例など、わかりやすく例示をしようとするとどうしてもその是非が論点になってしまいます。しかしどの例示も限定列挙ではなく、個別の事案の状況によって判断が異なる場合もあるとされています。あくまでも例示は例示でしかなく機械的には受け止めないでいただきたいものであることは、改めて記しておきます。

 以上、さまざま感想を記しましたが、何せこの法律および指針は、日本ではじめてパワーハラスメントへの対策を法制化して法律および指針です。一歩を踏み出したことは少なからぬ意義があるものですが、一方でこれでパワーハラスメントが絶滅できるのかと問われれば、正直、それほど簡単な話ではないと考えます。しかし仮に例えば「パワーハラスメントを罰則付きで禁止します」という法律を今突然作ったとしても、同様でしょう。ずいぶん以前から道路交通法があり交通警察が全国に整備されている交通違反すら、未だ根絶されていないのですから。

 大事なことは、職場に限らず社会において、相手に対して自分の言動が不当に不快なものでないか常に皆がちょっと気をつけるような意識を一人ひとりが持ち、あるいはそうと指摘されたら改めていこうとすることを通じて、より快適に誰もが過ごせる日本社会や職場を実現することではないかと個人的には思います。ゴールは遠いですが、勇気をもって踏み出すことが大事。この法律や指針などが、まずはその一歩になることを願っています。

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