金融庁報告書を巡るあれこれ、または政治家はもっと「福祉」を積極的に語ろう
令和元年6月3日、金融審議会市場ワーキング・グループ報告書「高齢社会における資産形成・管理」(以下「報告書」と呼びます)が公表されました。そこからさまざまな議論が巻き起こされたことは多くの方がご承知の通りです。たまたまこの問題をめぐって、何回かBSテレビ番組や『文藝春秋』誌における対談などを通じて野党の方々とも意見交換する機会に恵まれ、自分なりに思うところもありますので、このブログで整理したいと思います。ただ問題が多岐にわたりまた年金制度が複雑だったりすることもあり、少々長くなることはお許しください。
●報告書の何が問題だったか
この報告書についてあれこれ論評はありますが、僕が問題だったと思うのは、65歳以上の高齢者世帯の多様さを捨象してしまい一概に平均値でものを語ってしまったことと、また老後に備えた貯蓄の取り崩しを「赤字」ないし「不足額」と表現したことの二点だと思います。
前者については、「不足額については各々の収入・支出の状況やライフスタイル等によって大きく異なる」と記されている(報告書p.21)ものの、一方で「毎月の不足額の平均は約5万円」「不足額の総額は単純計算で1,300万円~2,000万円」という数字も明記したことで、その数字が独り歩きする結果を招いてしまいました。そして「老後に2,000万円も必要といわれても、貯められない人はどうするんだ!」というツッコミを招くことになりました。こちらの記事(「金融庁の報告書が実はとんでもない軽挙のワケ―年金制度改革の努力を台無しにしかねない」権丈善一)でも指摘されていますが、統計上、ある群における値の分布を把握する方法には平均値だけではなく中央値や最頻値を計算する、その前に度数分布表を作るといった手段がありますが、平均値は外れ値に引きずられやすいという特徴があり(少数のものすごいお金持ちがいることで数字が高めに引っ張られる)、それだけで高齢者世帯全体を把握したつもりで語るには少々乱暴だったということです。
なお、平成28年10月21日の衆議院厚生労働委員会では、現在立憲民主党代表代行の長妻昭議員が、原田憲治総務副大臣(当時)に家計調査の結果を紹介させた上で(なおその答弁では原田副大臣も収支の差を「赤字」と表現しています)、「2014年、初めて高齢世帯の一ヶ月の赤字が六万円を超えたと。」云々として類似した趣旨の発言をしていることは、付言しておきます。見方によっては、長妻議員の問題意識に対して遅れること3年にして金融庁がやっと追いついたというようにも見えますし、BSフジ「プライムニュース」にて長妻議員が報告書について「前半は素晴らしい」と評価していたのも、そういうことなのだろうなと思っています。ただ、ざっくりした把握にとどまり、精緻な議論ではなく、特に政府の報告書としては貧困世帯等への目配りが無かったといえるでしょう。
「赤字」「不足額」の表現については、報告書p.10グラフ【高齢夫婦無職世帯(夫65歳以上、妻60歳以上の夫婦のみの無職世帯)】の読み方の問題ともいえます。実収入と実支出を比較すると、確かに差額が月々約5万円あります。そして本文では「高齢夫婦無職世帯の平均的な姿で見ると、毎月の赤字額は約5万円となっている。この毎月の赤字額は自身が保有する金融資産より補填することとなる」と記しています。しかし、その金融資産とは、おそらく退職金を含む老後の備えの貯蓄が大勢を占めるのではないでしょうか。老後のための資産を、まさにその老後のために計画的に取り崩すことを、「赤字額は自身が保有する金融資産より補填」と表現することは、間違いではありませんが、とても違和感を覚えます。
先の平均値の罠に目をつぶって、仮にこのp.10グラフの状況の高齢者無職世帯が存在するとしてみると、フローについては実収入209,198円/月に対して実支出が263,477円/月となり収支差マイナス54,298円/月となります。しかし実はその横には「高齢夫婦無職世帯の平均純貯蓄額2,484万円」と記されており、約40年分の貯蓄があることになっているため、まあ人生100年時代に十分な備えがあるね、という話で特に問題もありません。子孫に十分な遺産を相続させたいという希望があればまだ足りないかもしれませんが、そこまで政府が面倒を見ることではないでしょう。とある番組ではテレビ局が用意したフリップに、実収入と実支出のグラフだけ記載して平均純貯蓄額の記載が落としてあったので番組中わざわざ指摘をしましたが、フローとストックを両方ちゃんと見なければ意味のある議論はできません。
本来、老後のためのストックである金融資産形成について議論するための報告書において、「赤字」「不足額」というネガティブな印象を持たせる表現がむしろフローのみに着目した議論を助長してしまい、結果として高齢者の収入の柱である年金制度について信用をいたずらに毀損することに繋がったのは、不用意のそしりは免れえないものと思います。ただ、先に触れた通り実は政府は以前からこの表現を使っており、その時はスルーされていました。今後は改められるべきです。
なおそもそもこの報告書は、長寿化し、またライフプランが多様化した社会を俯瞰し、必要な個々人の心構えや金融サービスのあり方、そして環境整備として資産形成・資産承継制度の充実や金融リテラシー向上策、アドバイザーの充実、高齢顧客保護のあり方などについて記したものであり、誠に時宜を得た内容でした。個人的には、麻生金融担当大臣には、「受け取らない」で済ませてしまうのではなく、審議会からワーキング・グループに対して必要な見直し等を指示し、後につなげるような対応をしていただくべきではなかったかと思っています。
●老後2,000万円問題?
この報告書に対して、様々な批判がありました。まず代表的なのは、「総理、日本は、一生懸命働いて給料をもらって、勤め上げて退職金をもらって、年金をいただいて、それでも六十五歳から三十年生きると二千万円ないと生活が行き詰まる、そんな国なんですか。」という6月10日参議院決算行政監視委員会における蓮舫議員の質問に代表されるような反応です。そもそも、蓮舫議員がおっしゃったようなケースで退職金がもらえたのであればそれなりの金額になるでしょうから、さらに追加的には2,000万円は不要な気がします。あるいは、この質問は、先に述べた高齢夫婦無職世帯の平均純貯蓄額が2,484万円あるという現実(ただし平均で、ですが)を無視しています。おそらくその貯蓄額はほぼ退職金なのだと思います。いずれにしても、蓮舫議員はフローしか目が向いていません。しかし、ご自身がどうかとか今後がどうかとかはさておき、現在の高齢者世帯の約4割は2,000万円以上の金融資産を保有しているという事実は指摘しておきます。もちろん無資産で貧困状態の高齢者世帯もそれなりの割合で存在し課題なのですが、それが全てでもありません。だから「オレオレ詐欺」が犯罪として成り立つのです。なお、蓮舫議員は5分で報告書が読めるそうですが、50ページもある報告書を5分で読むのは驚異的な速読術というべきで、僕には無理です。自分ができるからといって(蓮舫議員ともあろう方が、嘘をついているとかオーバーに煽っているなどということは、まさかまさかないでしょうから…)当たり前のように語らないでほしい。
報告書において、貧困世帯対策が触れられていないという指摘もありました。先に記した平均値の罠もあり、確かに報告書にはそうした目線や配慮はありません。しかし政策的には厚生労働省が対処すべき政策であり、金融庁に貧困対策を求めるのは所管違いとしか言いようがありません。むしろ資産形成が可能な層を意識した報告書なのであって、そこを十把一絡げに扱ったことは反省すべきですが、それは金融庁が行うつみたてNISAや厚生労働省が行うiDeCoといった資産形成が可能な層に対する政策や、報告書の付属文書2で述べられているような金融サービスへの提言などを否定する理由にはなりません。
麻生金融担当大臣が報告書を受け取らなかったことについても、衆議院本会議における麻生大臣不信任決議案や内閣不信任決議案の提案理由説明や討論においてたびたび指摘されました。先に記した通り、個人的にはワーキング・グループに差し戻して改めて受け取るような対処法もあったのではないかと思います。ただ、「受け取らない」という形で報告書に対して政府が責任を負えないという表明をしたということであって、報告書自体は6月30日現在でいまだに堂々と金融庁Webサイトに掲載されています。「隠蔽」だの「消えた報告書」だのといった極端な批判はあたりません。Webサイトに掲載され続けているものが「隠蔽」と呼ばれる方がびっくりです。それどんな杜撰な隠蔽やねん!
●で、いよいよ年金について
さて、以上の批判はあえて年金制度に関するもの以外の批判を記しました。いよいよ年金に関するご批判についてコメントします。
まず、「100年安心」という言葉がやり玉にあがりました。例えば「政府は100年安心というが、老後2,000万円必要というなら全く100年安心じゃないじゃないか!」というものです。この批判には、ふたつのポイントがあります。まず、そもそも「100年安心」という言葉は、平成16年の年金制度改革の際に使われはじめた言葉だということです。それまで年金制度は、少子化・高齢化が進む中で、給付水準を維持するために保険料を上げ支給開始年齢を遅らせる改革を繰り返してきました。しかし現役世代の保険料負担にも限界があるため、いよいよそのままでは「年金制度が破綻する」ことが懸念されていたのです。
そこで平成16年の年金制度改革で、発想の転換を行いました。具体的には(1)基礎年金国庫負担割合を1/3から1/2に引上げ財政的に安定させる、(2)保険料の上限を決め、若者世代の負担をそれ以上増やさない、(3)現役世代の減少に対応するように給付水準を引き下げる「マクロ経済スライド」を導入する、の3つの改革を行い、給付水準をだんだん下げていくことで、年金制度の持続性と現役世代の負担維持を両立させ、もって年金制度の安定を図ったのです。また、保険料が固定されるため人口動態と経済状態を想定すれば年金制度の将来見通しが立てられるようになることから、5年に1度財政検証を行い、100年間を見通して積立金を計画的に取り崩しつつ年金制度が安定的に運用できるようPDCAサイクルを回す仕組みも組み込まれました。それが平成16年当時に言われた「年金の100年安心」の意味です。政府がこの言葉を使う時は、年金制度の安心という意味で使っており、平成16年以降まったくブレることはありません。
ただ、ここ2年くらいで、長寿化により「人生100年時代」という言葉で社会保障政策が語られることが増えました。これは「個々人の人生が100年あるかもしれない長寿社会」という意味でつかわれているわけです。先の批判は、あえてその二つの「100年」を、わざとかうっかりかはわかりませんが混同をして、なんとなくもっともらしい批判にしているものと言わざるを得ません。
それでも「そもそも年金で生活が成り立たないなどおかしいじゃないか!」という向きもあると思います。どういう老後生活を想定しているのか、どういう年金加入歴なのかといったことにとても左右されますので、もうちょっと具体的に批判してほしいところではありますが、仮に基礎年金の満額受給者を想定しているとすると、平成28年11月16日衆議院厚生労働委員会で、塩崎恭久厚生労働大臣(当時)は、長妻昭議員の質問に対して「年金の支給額はどこまで賄えるかということについては、基礎年金で全てを賄うことは難しく、ある程度の蓄えはやはりお願いをせざるを得ない」と答弁しています。続けて、「単身世帯では、基礎年金額65,008円が基礎的消費支出72,109円をおおむねカバーしている」と具体的な数字を挙げて答弁しており、おおむねカバーということはすなわち完全にはカバーしきれてはいないという状況を既に答弁しています。それを受けて長妻議員も「私も、生活を丸ごと全部できるんですかなんて聞いてないわけで、貯金とかそういうことでないと丸ごとの生活はできない」と述べておられるのです。なお長妻議員は、BSフジ「プライムニュース」でご一緒したときも、同旨の発言をしておられました。したがって、今更「老後生活が年金だけで成り立たないなんてケシカラン!」という向きは、長妻議員の議論をもうちょっと思い出してほしいなと思うところです。
もうひとつ、平成16年改正におけるマクロ経済スライド導入もやり玉にあがりました。将来的に、現役世代の所得代替率を下げていくことになることは、これはそういう制度改正をしたわけですから事実です。特に基礎年金についてはこの影響がそれなりにあります(物価との比較や名目額で話をするとまた少し違う見え方になりますが)。ではこれをなくせばどうなるか。現在の年金水準が維持され保険料も上げないとなると、高齢世代は増加し現役世代の減少は続きますから、そのうちに積立金が尽きて年金水準を守れなくなるか、または増税ないしは保険料増に再び(しかも早期に)手を付けなければならなくなるという話です。安倍総理が、国会閉会後の記者会見において年金制度について「打ち出の小槌はない」とおっしゃったのはまさにその通りで、年金水準を守るために増税をするのであれば、結局現役世代に過重な負担を押し付けるということに繋がるような気がします。
またマクロ経済スライドには誤解があり、ずーっと続いてどんどん年金水準が下がることが決められているというものではなく、調整期間を短くすることが可能です。将来の労働力人口を増やすこと、現役世代の賃金を伸ばすことの二つが実現すれば、年金財政が安定し早期に調整が終了し、年金水準が下がりすぎることを食い止めることができます。そのカギは雇用政策と経済成長です。だから自民党はアベノミクスを推進し、最近は「支えられる側」と「支える側」のリバランスを唱え、高齢者が働く環境をより長く整えようとしているのです。詳細なメカニズムはこちらの記事(「ミスター年金『年金制度破綻は大嘘だ』香取照幸」)に譲りますが、年金水準が下がることに対応するために年金制度を改革する!という発想は短絡的と言わざるを得ません。年金制度も、他の社会保障制度同様に、経済社会の中で維持されているものなのです。
また、こうした選択肢を示すのが財政検証とそのオプション試算であり、「前回は6月に公表されたのになぜ今回はまだ出ないのだ!もう本体試算くらいは出せるだろう!」という向きもありますが、逆にいえば「今後どうすればいいか」を考えるオプション試算抜きで本体だけを公表するというのもいたずらに不安をあおることに繋がるので、避けるべきことだと考えます。選挙の有無とは関係なく、厚生労働省にはきちんとオプション試算まで含めて計算して速やかに提出していただきたいとは思います。ただ、あまり焦らせて変な前提を置いてしまったり、計算間違いやコピペミスなどがあったりしたらそれこそ目も当てられない大惨事になるので、そこは見直しなども含めてむしろ丁寧に仕事をしていただきたいところです。
なお、年金制度を積み立て式にしてはどうかとか、ベーシックインカムにしてはどうかといった議論もまだ行われているようです。現在賦課方式の年金制度を積み立て式にする場合、どのように移行するか、特に現在賦課方式で受給している高齢者を支えつつ、自分たちの分の保険料を納め続けなけなければならない現役世代の二重の負担はどうなるのかについて、具体的に考えてからご提案いただきたいと思います。また、ベーシックインカムについても、具体的な一人当たりの金額、それを配る対象とその人数、およびその予算の調達方法をセットでご提案いただきたいものです。例えば比較的ベーシックインカムに好意的なこの記事(「日本は「ベーシックインカム」導入で変わる―AI時代到来でBIは欠かせなくなる。」中村陽子)では、1人8万円の給付、財源は国民年金・基礎年金、生活保護の生活扶助費、雇用保険の失業保険費や、“強者の年金”といわれる厚生年金(これ財産権を巡る訴訟になりますねきっと)を充てるとしつつ、さらっと消費税率は15%にするとしています。いずれにしても思いつきのアイディアみたいなことを言って「対案を示した」と胸を張られても困るのです。なお党首討論で枝野幸男立憲民主党代表が触れられた総合合算制度は、マイナンバーも導入されたことで環境が整いつつあることもあり、財源があれば低所得者対策として検討には値すると思います。ただし、すでに低所得者の保険料軽減等が行われていること、医療と介護は既に合算する制度があることにはご留意いただくべきです。
●では、年金制度には問題はないの?
いえ、そうは思いません。現在の年金制度は、老化に備えて世代を超えて支えあう保険制度です。その限界はあるとは思っています。例えば、就職氷河期世代対策です。
現在45歳で就職できずにずーっと家に引きこもっている方を想定しましょう。おそらくは親が健在で、今まではその支えで暮らしておられるのでしょう。結婚もしていないとします。さて仮に、急にさまざまな支援の結果、フルタイムとはいかないまでも週20時間以上働くパート等で働き厚生年金加入もできたとします。その場合、そのまま65歳まで働き続けそこで年金受給をしようとすると、いくら受給できるでしょうか?
まず、加入期間は20年間ですから、基礎年金、厚生年金とも満額の半分になります。また厚生年金は、現役時代の給与所得が平均所得の半分程度だったとすると、さらにその半分となります。ここに今年10月の消費税引き上げとともに制度化される年金生活者支援給付金が加わりますが、これも半額。さらにここにマクロ経済スライドによる水準引き下げがかかってくることになります。そうこうしていると、おそらくは年金受給額は生活保護水準を下回ってしまうのです。本来、生活保護にはミーンズテストがあり年金受給と金額だけで比較すべきものではありませんが、仮に65歳時点で親も亡くなり遺産もなく天涯孤独の身となってしまうなどという想定を付け加えれば、もうこれは生活保護の方が断然オトク、という世界が開けてしまいます。だとすれば、何のために45歳から働き始めたのかという話になってしまうのです(もちろん「人はパンのみにて生きるにあらず」であって、自己肯定感を高め社会的孤立を防ぐといった金銭面以外の要素も考慮されるべきですが)。
ちょっと極端な例に聞こえたかもしれませんが、それでも今回の「骨太の方針」では就職氷河期世代を支援すべきこととしており3年間で100万人を正規雇用にする目標を立てているわけで、でもその結果が単に低年金者を作り出すことになってしまうことに過ぎなかったということなのであれば、かなり悲しい未来像と思わざるを得ません。
ではこれを年金制度で救うべきか。例えば長妻昭議員は、この解決策として「最低保証年金」の創設をしばしば唱えておられます。ただ、仮に財源問題を棚上げしたとしても、保険である以上、保険料を払うことのできなかった人に対して一定額でも給付をする制度を作ってしまうと、保険料を納めるインセンティブが落ちる結果を招きます。もし財源対策としてクローバックなどを考えようものならなおさらのことです。
個人的には、ここは福祉制度として考えるべきことではないかと思います。例えば、就職氷河期世代を国が支援することの背景は、人数の多い世代が不況期に卒業することになってしまい、雇用の調整弁としてこの世代が犠牲になった構造的な問題の結果で、本人たちの責任ではないという考え方があります。だとすれば、さまざまな事情で年金保険料が納められなかった人の老後を福祉的思想に基づき支援するということは、考えられてもよいはずです。先ほどの例で、現行の制度を基にしていえば、実は45歳から就職し年金保険料を納めるようになったことで、年金財政には好影響を与えます。また、あまり多くないとはいえ年金を受給しつつ生活保護を受ければ、生活保護財政も年金受給額分返上されるので助かります。現在の制度上、楽にならないのは本人だけなのです。だとすれば、三方一両損的に、年金受給をしつつ生活保護を受給することに本人にもプラスになるような上乗せを認め、仮に生活保護受給者となっても可能な方は仕事を続けるインセンティブになるような解を考える余地は、あるのではないかと思うわけです。また、現在でも生活保護になる手前の人向けに生活困窮者自立支援制度があるわけですが、その中で必要な人に対して、ライトな生活保護的な現金給付を行うようなことを考えてもよいかもしれません。もちろん大前提として、財源問題どうするのか問題をクリアする必要はありますが。いずれにしても、これは社会保障制度の問題というよりも、社会福祉が解決すべき問題だと思うのです。もっと政治は福祉政策を語るべきです。あ、もちろん雇用政策も関係してきますが。
なお、もちろん健康でさえあれば、より長く働くことにより年金受給開始年齢を繰り下げ、年金受給額を増やすという選択も可能です。もしかしたら、高齢であっても生計を共にする連れ合いができれば、さらにより豊かになる可能性も広がり得ることは付言します。
この話はあくまでも就職氷河期世代が年金受給者になる時期、早くとも今から15年くらい先に顕在化することです。もちろん、現時点でも類似の例、特に中高年単身女性世帯などが同様の経緯をたどることはあり得るとも思います。したがって、いつの時期にこのような問題意識に則り財源も含めた検討を行うのかは、ちょっと落ち着いて考える必要があります。少なくとも、まず消費税が10%に引きあがらなければ、さらなる負担増につながる話は政治的にはしにくいというのは正直なところです。
いずれにしても先にも述べたように、年金制度がフォローしきれない課題について、年金制度を見直すことだけで解決しようとするのは、いささか無理があると思います。適切に課題を切り分けて、柔軟に対応を検討する姿勢が必要でしょう。年金制度は、長期間にわたり国民の大多数が関わる制度です。この問題について議論するためには、いたずらに政争の具にすることを避け、できるだけ多くの政党が、一定のルールの中でそれなりの時間をかけて議論をし、共同責任をもって国民に選択肢を示すような枠組みで議論をすることが個人的には望ましいと思っています。
●ちなみに
文中、長妻昭議員のお名前を何回も書きました。最近のテレビ出演や「文藝春秋」での対談でご一緒してゆっくり議論する機会に恵まれたこと、厚生労働副大臣として臨んだ平成28年の臨時国会、年金額改定ルールを見直す法案等の審議の際にも、さまざまな議論を行われ大変勉強になったことが主な理由です(正直、今回の報告書問題で提起された批判は、長妻議員に限らず多くがすでにその際に論じられたことの繰り返しが多かったように思います)。対談相手としてはとても手強くとても疲れる相手なのですが、真面目な勉強家であることについては、僕は尊敬できる方だと思っています。とはいえ、おかしいことをおっしゃる時もあるのでその時はしっかり反論しますが(^^;
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