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2018年8月

2018年8月20日 (月)

平成30年西日本豪雨災害の初期対応に関する備忘録(倉敷市から見えたことを中心に)

●はじめに

 まず、平成30年7月西日本豪雨災害においてお亡くなりになった方々に対し深くご冥福をお祈りするとともに、被災された方々に心よりのお見舞いを申し上げます。

 7月5日ごろから降り続けた豪雨により、6日晩から7日未明にかけ、中部地方から西日本各地において、そして岡山県内でも各地で水害や土砂崩れが発生しました。岡山県西部においては、高梁川や小田川が氾濫したことにより、流域各地が洪水に見舞われました。中でも倉敷市真備町では、建物約5,800棟(総社市下原の工場爆発による被災を含む)が被災し、約60名が亡くなる惨事となりました。多くの方が住居を失い、8月13日現在で避難所に避難している方だけで約1,600名に上ります。もちろん、その他にも親戚の家等に避難している方や既に借上げ仮設住宅などに移っておられる被災者も大勢おられるものと思われます。

 発災から一か月以上が経過し、全国の多くの皆さまの温かく力強いご支援により、被災者の救助、避難生活のサポートや改善、災害ボランティア受け入れ、被災インフラの復旧、災害がれきの処理といった問題がそれぞれに進捗しつつあり、徐々に生活や生業の再建というフェーズに移りつつあります。

 その間、全国各地から多くの方々が災害ボランティアとして被災された方々に力を与えていただいていることに、心から感謝申し上げます。8月13日までで、倉敷市では累計約3万人の方がボランティアに参加していただきました。政府の対応も東日本大震災や熊本地震等の経験を踏まえた迅速なものとなっていると思いますし、全国の自治体からの支援も心強いものです。

 ただ、被災前のように、お一人おひとりの住民の方にとって「みんな安心して住み働き続けることのできる真備町」を取り戻すという復興への道のりは、まだまだ長く苦しいものと思われます。まず、誰もが安心して真備で生活していただけるように、小田川や高梁川の堤防強化や付け替え等の工事の見通しを早期に示し、前倒しに実現しなければなりません。その上で、単に元通りに復元するのではなく、真備町が前向きに再建されるビジョンを倉敷市が示し、さまざまな主体が力を合わせてその実現に取り組むような動きが必要でしょう。被災された方々の気持ちを慰撫するようなイベントも考えられるべきでしょう。また、タイミングを計る必要はあるかもしれませんが、どこかで「倉敷市は元気である!」という発信を行い、風評被害を封じる取り組みも必要になるものと思います。いずれにしても、引き続き、被災された方々や地域に心をお寄せいただくようお願い申し上げます。

●橋本がくの活動

 さてこの間、橋本がくも、地元選出与党国会議員の一人として、主に国(政府および自民党)と岡山県や倉敷市との連絡調整、被災者や企業、支援団体等との連絡調整等にあたりました。

 災害対応は市町村が主体となって行うものであり、都道府県そして国がそれを支えるという体制になります。しかしこれまであまり大きな災害に見舞われたことのない岡山県下各市町村は、必ずしも災害時の対応に慣れていません。そこで、大臣を含む各省庁や、伊原木知事や伊東市長、あるいは関係団体や企業まで含め、日頃から直接電話できる人間関係を構築していることを生かし、市役所等のサポートにあたり彼らの活動を円滑ならしめることが与党の国会議員としての役目であると考え、主にそのような観点での活動に徹しました。もちろん真備町の現地や、避難所などにも足を運び自分の目で現場を見、直接被災された方々のお話を伺うこともしましたし、その知見を活かして、ものを進めることに役立てました。なお、注文を出したり繋いだりすることでいくつかのことが実現しましたが、多くの方々のご協力あって実現したことばかりですので、自分の活動成果のような形で具体的な内容を記すことは控えたいと思います。

 また、発災直後は情報が錯綜していました。真備町にはいち早くテレビカメラが入り、全国から注目の的になっていました。倉敷市や総社市もツイッター等での情報発信は逐次行われていましたが、発災直後は必ずしも整理されてはいませんでした。倉敷ケーブルテレビやFMくらしきも地元では重宝な存在でしたが、全国から視聴できるわけではありません。そうした状況の中で、7月8日晩に自分のブログにて被災者支援者向け情報リンク集を作成しました。しばらく更新をサボっており普段数十PV/日程度のブログが、翌7月9日には7万PV/日となりました。タイムリーな情報提供により多少なりとも支援に役立っていれば、作った甲斐があったというものです。このリンク集は、幾度かの更新ののち、倉敷市や総社市のWebサイトが充実してきたことを踏まえ、7月21日に更新を終了しました。

 TwitterやFacebookを利用して有用な情報の拡散にも努めました。倉敷市、総社市、岡山県、また厚生労働省や国土交通省、内閣府防災担当等の情報も有用でした。また岡山県議会や倉敷市議会の先生方が、それぞれに現地や避難所などに寄り添った活動をし、情報発信されていました。国会議員の先生方も様々な活動をしておられます。目に留まり必要と考えたものについては、所属政党に関わらず、リツイートやシェア等させていただきました。この場をお借りして、深く感謝を申し上げます。

●今後の災害対策の向上に向けて

 さてそのような活動をする中で、今回の災害の初期対応の経験を踏まえ、今後に向けて改善した方がよいのではないかと感じたことがいくつかありますので、備忘のために記しておきます。もちろんこれらは発災後1か月半ほど経過をした時点のものであり、今後も増えていくかもしれません。

(1)「備えよ常に」をいかにして実行するか

 「災害は忘れた頃にやってくる」というのは、今回しみじみと感じたことでした。小田川・高梁川合流点の課題については僕も知識として知っていましたが、しかし自分自身に「まさか」という油断があったことは決して否定しません。また、真備町が水没しているのをテレビで見て、冷静に対応をしなければと考えつつ、実は慌てて気が動転していたことも、恥ずかしながら告白しなければなりません(例えば、防衛省にタクシーで駆け付けた際に、支払うために財布を出すつもりで名刺入れを出していたとか…)。ただその中で、いくつかの経験やアドバイスが自分を助けてくれました。

 真備町の洪水被災を確認した直後、ある災害を経験した同僚議員から「内閣府防災担当の電話番号を確認すべき」というアドバイスをもらいました。連絡調整役をするためには連絡先の確認は当然に必要なことでありましたが、実際に本当に重宝しました。

 また、東日本大震災時のリーガルニーズを詳細に分析し、さまざまな立法等に繋げた岡本正弁護士のお話を以前勉強会で聞く機会があり、ご著書もご恵与いただき目を通していました(『災害復興法学』および『災害復興法学Ⅱ』、いずれも慶應義塾大学出版会)。結局すべての行政による災害対応は法に基づいて行われるものであり、その立法経緯等に事前にいささかでも触れていたことにより、発災後の展開を予見して、早めに対応することに繋がりました。

 東日本大震災の折、僕自身が遠野市の災害ボランティアセンター経由で釜石市箱崎地区にて側溝を掘る災害ボランティアを経験していたことは、今回の災害でも災害ボランティア受入れの重要性にすぐ思いを致すことに繋がりました。

 やはり、非常の際には、経験や知識が役に立つのです。

 今回の災害において、内閣府防災担当をはじめ中央省庁は、発災後相当スムーズに対応していたように感じています。安倍総理が激甚災害指定の見込みを早めに公表されたこと筆頭に、東日本大震災や熊本地震の経験を生かし、早期に大災害としての支援スキームの適用を決めていただけました(環境省・国土交通省事業による宅地土砂等の撤去費用の公費負担を半壊認定でも可能にしたこと、中小企業庁のグループ補助金制度の利用を可能にしたことなど、まだ詳細調整中のものもありますが「生活・生業再建支援パッケージ」は相当なレベルで努力していただいたものと感じています)。

 一方、自治体も一生懸命頑張っていたと僕は思います。ただ経験不足は否応なく感じざるを得ませんでした。例えば避難所の備品整備ひとつとってみても、災害救助法の解釈について議論を交わすことになりました。

 住民に対する避難訓練等も大事なことであることは、今回の災害でも再確認されたことと思いますが、あわせていざというときに現場指揮を執ることになる自治体幹部に対して、災害関係の法令実務を日頃から周知研修することは、必要なことなのではないかと思います。また国会議員としても、自分自身も今回のことがあって初めて災害関係法令をにわか勉強することになったことを反省しています。すべての議員の皆さまにも普段から勉強しておくことをお勧めします。ボーイスカウトの訓えの通り、やはり「備えよ常に」なのです。

(2)災害ボランティアセンターの法的位置づけ

 倉敷市では、倉敷市社会福祉協議会が中心となって、7月11日には倉敷市災害ボランティアセンターが立ち上げられました。そして全国から多くの方々が駆け付けていただきお力をいただいていることは前述の通りです。災害対策基本法には、国および地方公共団体はボランティアと連携するよう努めるべき旨の条項があり、実際にその通りになっていることは素晴らしいことです。運営も日を追うごとに改善され、充実したものになっていると感じています。

 ただ、実は災害ボランティアセンターには法律的な位置づけがありません。そのため、財政的な裏付けについて不安がぬぐえないまま今に至っているという実情もあります。

 例えば、真夏の作業で当初は対策も十分ではなかったため、7月13日からの連休では熱中症によるボランティアの方の救急搬送が残念ながら相次いでしまいました。その中で災害ボランティアセンターの拠点となっている中国能力開発大学校の体育館にはクーラーがなく、酷暑の中、熱中症で体調が悪化した方を救護スペースで一生懸命うちわで扇いでいたような状況がありました。避難所には既にクーラー設置が進んでおり、ボラセンにも同様の対策を要望したところ壁に当たりました。被災者のための避難所にクーラーを設置することは災害救助法に基づいて可能だが、災害ボランティアセンターは避難所ではなく被災者が利用するわけでもないから法の対象ではなく不可、というのです。厚生労働省に掛け合った結果、中国能力開発大学校を運営している独立行政法人高齢者・障害者・求職者雇用支援機構(JEED)がクーラーを設置してくださることに落ち着きました(迅速な対応に感謝申し上げます)。また同時期に立憲民主党は、高井たかし衆議院議員が中心となり、災害ボランティアセンターのサテライトに経口補水液を届ける活動をしておられました。立派でタイムリーな活動だと思いますが、できれば運営側が用意するべきことなのではないかという思いは残ります。

 最近、行方不明の2歳児を発見したボランティアの方のストイックな在り方が称賛されています。「ボランティアは手弁当が原則」ではあるのです。しかし、今回のような規模の災害で、災害ボランティアの人手が多数必要なことが明白、しかも気象的にも酷暑の中での活動を求めざるを得ない時に、「手弁当」をあまりにも厳格に求めるのは正直現実的ではありません。もちろん災害ボランティアセンターの運営においては、地域の方々などの人手や物資や募金にも頼っていますし、行政においても柔軟に対応していただいている面もかなりあります。しかしなお「どこまでやってよいか、不安です」という運営者の声もぬぐえてはいないのです。

 今回に関しては、政府に対して特別交付税などの措置を要望しているところではありますが、今後の課題として、災害ボランティアセンターなどに関して何らかの法的位置づけを与えることにより、行政がきちんとバックアップをできるようにし、災害ボランティアの方々に不安なく力を振るっていただけるようにする必要があるのではないかと考えています。

(3)避難所の設置・運営について

 今回、救助された多数の避難者の方を、主に小中学校などの体育館を避難所として当座の生活拠点としていただくことになりました。この際、災害関連死を減らすために被災者全員分の段ボールベッドの導入を、避難所・避難生活学会の要請を受けて倉敷市がかなり早期に決定したことは、建築家・坂茂氏の紙管による間仕切りとあわせ、避難所の風景を一変させた画期的なことと言えます。こうした設備が今後の日本の避難所の標準となることを期待します。また、暑さ対策としてクーラーが早期に設置されたことも、熱中症などによる二次被害を防ぐことに繋がっているのではないかと思います。

 なお、これらの導入にあたり、経済産業省のプッシュ型支援と岡山県・倉敷市からの依頼とがバッティングし、現場で混乱がありました。後日検証し必要であれば改善されるべきとは思いますが、プッシュ型支援というのは多少の混乱発生は覚悟の上という側面もあります。あまりその点を声高に非難すべきではないでしょう。慎重になってモノが届かないことこそが最悪の事態を招くのですから。

 また必要な物資に関しては、避難所設置からしばらくは混乱が各地でありましたが、現在では、必要な物資が適切に供給されるよう、タブレット端末を利用した注文システムと、真備総合公園体育館を物流拠点とした配送体制が構築されています。現時点では、不足したものを入力すれば、早ければその日のうちに届くようになっています。また品目も要望にあわせて追加されているようです。

 こうした点は、東日本大震災で僕が見たいくつかの避難所と比べると、長足の進歩を感じる部分でした。

 一方、避難されている方の食事の環境については、もう少し工夫ができたのではないかと感じるところはあります。もちろん避難所開設直後はおにぎりやパン、インスタント食品等に頼るのは致し方ありません。また、今回は真夏のことですので、食中毒の発生を防ぐ必要があるためやむを得ない面もありました。また、真備町内の3つの避難所など、2~300人が同時に避難している場所などでは、物理的な限界もありました。

 ただ個人的な思いを言えば、ちゃんとした温かい給食を食堂で食べることができる環境も、避難所に設けられるともっと良かったのではないかと思います。数日のことならともかく、数か月にわたり弁当での生活を続けるというのは、栄養面のみならず精神的にも相当な苦痛ではないでしょうか。ただでさえ自宅を失うなど厳しい状況にある方々ですから、せめて日々の食事はその活力を沸かせるものであってほしいと願います。もちろんボランタリーな炊き出しや、防衛省のチャーター船『はくおう』の支援がその役割を担っている面はありますが、本来は災害救助法上で手当て可能なことです。毎日でなくてもよいかもしれませんし、避難所ではなくてどこか食堂にお連れをする形でもよいかもしれません。

●まとめ

 まだ今回の災害に対する行政の対応の評価をするには早いのかもしれません。ただ岡山県ではそうした検討を開始したように聞いています。また、このブログに書いたことはあくまでも橋本がく個人の感想であり、他にもさまざまな評価や感想がありうべきことと思います。

 他にも記すべきことはあります。倉敷市が保健所を中心に真備町の全戸ローラー作戦を展開し、在宅の世帯における支援ニーズの把握に努めていること、災害発生当初からDMAT等の医療支援チームが活動したことに加え、この5月に厚生労働省が通知を出したばかりの災害福祉支援チーム(DWAT)も初めて活動を行ったことなどは、後日適正に評価されるべき点でしょう。

 安倍総理を筆頭に閣僚や各省政務が幾度となく被災地の視察に訪れていただくこと、自衛隊および愛知県・奈良県・滋賀県からの緊急消防援助隊によるボートやヘリを使った救援活動(および特に名古屋市消防局の力強いツイート)、国交省のポンプ車による迅速な排水や堤防の仮復旧、自衛隊の災害がれき片づけや入浴支援、各省庁からの多数のリエゾンの派遣など挙げればキリがありませんが国やさまざまな自治体からの支援は、とてもありがたいことです。そして何よりも全国からかけつけてくださる災害ボランティアの方々、また義援金などの形でお心を寄せていただく皆さまには、何度感謝してもしきれないような思いです。

 今回誠に残念なことに、豪雨により多くの方々を亡くしてしまい、多くの被災者を出してしまいました。復興にしっかり取り組むとともに、今後の減災への教訓とすることによってしか、その犠牲に報いる方法はありません。引き続き努力して参ります。

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2018年8月 8日 (水)

厚生労働省分割反対論

●はじめに

 日本経済新聞の8月2日付朝刊に「厚労省の分割検討 政府・自民20年にも」という見出しの記事が1面トップに掲載されました。同紙2面の関連記事、3面の「きょうのことば」欄においても関係する記事があります。これらによると、自民党行革本部が中央省庁再編を検証し、8月中に首相に提言を行うとのことです。

 実のところ個人的には、党行革本部のある役員からこの件が検討テーマに上がっている旨教えていただいてはいました。しかしこうして表に出ると唐突感は否めません。さまざまに思うところはありますし、賛成もできません。そこで、自民党政務調査会にて厚生労働部会長の職を預かるものとして、意見を整理しておきます。今後、党本部における平場の議論においては、本稿の趣旨に基づき発言を行います。また同僚諸兄姉にもご参考にしていただければ幸いです。

 なお万が一、自民党総裁選の論点に浮上した場合には、この記事の見解を念頭に行動を考えることを申し添えます。8月6日に党本部事務局にこの件に関し資料がないか確認したところ、「ない」との返事でした。これから議論するにしても、総裁選で公約とされ選挙で結果を決めるには、内容が賛同し難いことに加え、事柄の重みに対してあまりにも拙速であり、しかし選挙を経ることで党内議論を封じかねないものであるからです。また公式な資料がないため、8月2日付日本経済新聞によって議論を進めざるを得ないことも付記します。

●そもそもなぜ厚生労働省なのか

 現在の厚生労働省は、平成13年の中央省庁再編によって誕生しました。その構想は、平成8年橋本龍太郎内閣の下で設置された行政改革会議によります。要約すれば、首相のリーダーシップを強化しつつ、国家公務員の総人員の削減などを行うことを目的としたものです。

 厚生労働省については、当時首相秘書官を務めていた江田憲司衆議院議員の著書『誰のせいで改革を失うのか』によると、「この二省の統合自体は、ほとんど反対もなくスムーズに決まった」とされています。そして、「一致団結、融合化し、来るべき超高齢社会への対応に万全を期してほしい。そして、日本の社会保障制度、雇用形態などの良いところは引き続き残し、官と民双方を視野に入れた最適な『日本型社会保障・雇用システム』を構築し直してもらいたいものだ」との期待が記されています。この期待そのものは、構想から20年を経た現在においても、全く通じるものであり変化するものではありません。むしろ長い熟成期間を経て、「一億総活躍社会」「働き方改革」などとしてようやく実を結びつつあるともいえます。

 日経新聞によると、「厚生労働省が取り組む課題は大きく変わってきた」と言われますが、むしろ20年以上前から「超高齢化社会が到来」「少子化対策が急務」といった記事は日経新聞においても頻繁にあったのではないでしょうか。同じ現象が着実に進行し、課題の深刻さが増しているだけです。もちろん20年以上克服できていないことは問題ですが、なのであれば必要な対策は「強化」なのであり、「できなかったのでやめます」という話ではありません。そういう意味で「子ども省」的な構想は検討の余地はあるでしょうが、働き方と育児支援は同時に考えるべきこととは思います。いずれにしても、少なくとも単に役所を「厚生省」と「労働省」に分割することは、問題解決には無関係です。

 「労働政策審議会の機能不全が目立つ」「人口減でも成長するには生産性の改革が必要で、そのための柔軟な働き方の議論が厚労省主導では進められないのが現状だ」という指摘は重く受け止めるべきです。しかし内閣官房に「働き方改革実現会議」を設置し、総理主導で使用者団体・労働組合を巻き込んで労働法制史上初の残業時間の罰則付き上限規制を導入できたことをあわせて考えれば、むしろ橋本行革で目指した「首相のリーダーシップにより政策を動かす」という方向性を安倍総理が体現したのであって、「厚労省主導で進まない」のは事実でしたが、問題とすべきことではありません。また分割して労働省に戻したところで公労使三者構成を変えなければ全く無意味です。そして労働者保護という労働行政の本旨を考慮すればこの構成は無くすべきではありません。杞憂であればよいですが「生産性革命のために労働省と経済産業省と合併させる」などという話が出てきかねなくなることを恐れます。

 日経新聞曰く、労働行政について「今は働き方改革に象徴されるように、日本全体に目配りした政策が求められる」とのことで、私も同感です。しかし労働省単独になったらそれができるようになるというロジックは明かされませんし、全く想像もつかないのです。

●不祥事の多発について

 日経新聞記事では、不祥事の多発も論点の一つとなっています。他の省庁にもあるような気もしますが、厚生労働省が過去多数の不祥事を起こしていることは事実であり、この点を看過することはできません。

 ただしその再発を防ぐためには、ひとつひとつの事案に対し原因をきちんと調査した上で、組織として課題を見つけて是正し続けることが重要です。例えば日経新聞に掲載されている不祥事例について、その原因を挙げます。

・消えた年金問題(平成19年発覚)
 (原因)厚生労働省および社会保険庁の責任感不足を背景とした、長年にわたり継続してきた杜撰な事務処理

・年金の個人情報流出」(平成27年発覚)
 (原因)外部からの攻撃。ただし事態の拡大を防げなかった背景には、ネットワーク設計の不備、サイバー攻撃に対する油断、不審な報告が上がらない組織体質があった(参考:日本年金機構における不正アクセスによる情報流出事案について

・(振替加算に関する)年金の支給漏れ」(平成28年発覚)
 (原因)年金機構と共済組合との間の情報連携不足、システム処理に起因するもの、機構の事務処理誤り、お客様の届け出漏れ。(参考:振替加算の総点検とその対応について

・裁量労働制のデータ不備(平成30年発覚)
 (原因)調査実施に対する軽視、確認不足など(現在、自民党厚生労働部会労働分野における調査手法に関するPTにて提言作成中)

 その他にも、医療・介護総合確保法案趣旨説明資料におけるコピペミス(平成26年発覚)、労働者派遣法案における罰則規定の誤記(平成26年発覚)、労働者派遣法案審議における「10.1ペーパー」問題(平成27年発覚)、社会・援護局職員による不正経理(平成29年発覚)、日本年金機構データ入力誤り(平成30年発覚)など、多数の事案がメディアを騒がせました。

 ただ、これらの件のいくつかの事案について、厚生労働大臣政務官または厚生労働副大臣として国会対応や再発防止策の検討に加わり、または党厚生労働部会長として報告を聞き、厚生労働委員会でも質疑を行った経験の中で、厚生労働省を分割することが再発防止に資すると思うことはひとつもありません。

 たとえば日本年金機構情報漏洩事件の際に対応を遅らせた原因は、現場レベルで不審メール情報のやりとりはあったものの、課長級(年金局事業管理課長、情報政策担当参事官)に報告が上がらず、当然ながら政務を含めた幹部も事態を把握しておらず省全体での対応ができなかったことにもあります。報告・連絡・相談という組織文化ができていなかったことが大きな反省点なのですが、組織を分割することがその対処法になるとは全く思いません。

 副大臣の折に、「厚生労働省業務改革・働き方改革加速化チーム」主査として「中間とりまとめ」の作成に関わりました。その際、他の業所管省庁(国土交通省、農林水産省、経済産業省)と比較して、職員一人当たりの国会答弁数、委員会質問数、質問主意書件数等がダントツで多いことを確認しています。もちろん不祥事の背景には様々なものがありますが、単純ミスについては、まさに日経新聞記事で「多くの厚生労働省幹部は頻発するミスの背景に『人が足りない』という構造的問題があると語る」と記されている通りなのです。

 もしかして、多くの方がごまかされているのかも知れないとまで思ってしまうのですが、組織を分割しても全体の仕事量に変化はない(もしかしたら増えるかもしれない)ですし、職員の総数も変わらないのであれば、職員一人あたりの仕事量も変わりません。ミスを減らしたり、長時間残業を削減したりするためには、職員を増やすか仕事を減らすかしか最終的な手段はないのです。組織をいじることではありません。

 ましてや日経新聞には「(分割によって)政策立案を強化し、生産性を高める」と書いていますが、組織が分かれたらなぜ政策立案が強化されるのか、生産性が高まるのか、僕には皆目見当もつきません。後述しますが、タテ割りに歯止めがかからず弱体化するように思えてなりません。

 また、同紙の「きょうのことば」欄に、「巨大官庁、予算規模は断トツ」と記載され、いかにも肥大化して仕事が多すぎる印象付けがされています。しかし予算が多いのは国民に給付される社会保障費用が計上されているからであり、この費用増は社会の高齢化や医療の高度化等によるものですから、とても予算の多い厚生労働省を分割しても、とても予算の多い厚生省(と、それなりの予算規模の労働省)ができるだけです。

 なお、法案が多いため国会審議が渋滞しがちという理由も考えられますが、それは国会改革の文脈で検討されるべきです。国会の委員会を二つにするために役所を二つにするのは、本末転倒です。副大臣や大臣政務官がもっと有効に活用されればよいのに、と個人的には思います。

●厚生労働省は、より一体化すべき

 大臣政務官または副大臣として厚生労働省の「中の人」になって感じたことは、まだまだ縦割りがヒドイということでした。

 例えば「障害者の就労支援」というテーマでは、障害保健福祉部、職業安定局、人材開発統括官といった組織が関わってきます。しかしとある制度改正に関し、連携せず個別に話を持ってくるため、塩崎大臣が命じて関係部署長を並べてレクチャーさせるようにしたことが、ありました。また災害の折に、健康局が被災自治体の上水道の状況を電話確認しかできず報告が要を得ないことにやはり塩崎大臣が業を煮やし、近くの労働局やハローワーク、労働基準監督署等の人員を派遣して直接確認させるように命じたこともありました(厚生側には出先機関が地方厚生局しかないので、機動的な対応ができないのです。ちなみにこの件は後に省内の災害対応マニュアルが改定され、デフォルトの対応になりました)。

 僕自身も、大臣政務官の折に「新たな福祉サービスのシステム等のあり方検討プロジェクトチーム」を立ち上げ、「誰もが支え合う地域の構築に向けた福祉サービスの実現 -新たな時代に対応した福祉の提供ビジョン-」というレポートを作成しました。その背景には、人口減少社会を控え、高齢者福祉、児童福祉、障害者福祉、生活保護・生活困窮者自立支援といった形で様々に専門分化していた福祉サービスについて、連携して包括的な体制を構築して対応しなければ乗り切れないという問題意識がありました。このペーパーが源流となり後に「共生社会づくり」として施策化されていくわけですが、例えば生活困窮者自立支援を議論するためには就労支援と連携しなければなりませんし、医療とも連携すべきでもあります。また自殺対策や虐待対策とも結びつけて考えられるべきです。だとすれば過労死対策としての労働基準行政やハラスメント対策まで考えなければなりません。また一方で育児・介護休業の取得やワーク・ライフ・バランスの支援は、児童福祉や高齢者福祉の充実と切り離して考えることもできません。年金と高齢者雇用の関係も、結び付けて考えられるべきでしょう。「医療現場の働き方改革」も、厚生労働省が一体だからこそ手を付けられたテーマだと思います。そして今後直面する社会保障の課題のひとつは、担い手の確保なのです。

 要するに、善く生活することと善く働くことは、切っても切り離せない関係なのです。「分割すると政策強化に繋がる」などという議論は、ただの机上の空論でしかありません。

「厚生労働省なんでしょ!もっと一緒に考えようよ!」という叱責を飛ばした記憶が、僕にも何度もあります。僕の知る限り、厚生労働省におけるタテ割り弊害をどうにかこうにか克服する努力をしていたのは、どちらにも目配りしなければならない大臣・副大臣・大臣政務官の政務三役でした。そして政務がしっかり意思とビジョンを示せば、各部署もそれに応える努力をしてくれていたと思っています。分割したら、誰がその役をするのでしょうか?内閣総理大臣または内閣官房長官は論理上可能ですが、本当にそこまで目配りできるのでしょうか?甚だ疑問です。タテ割り行政の継続で不幸になるのは、国民です。

●まとめ

 ひとつだけ思うのは、「厚生労働大臣は担当分野が広くてとても大変そう」です。これは、分割すれば、楽になるかもしれません。ただ近年でいえば田村憲久大臣、塩崎恭久大臣、そして現職の加藤勝信大臣と、いずれもしっかりと職責を果たしておられます。適材適所の人事を行えば済む話です。

 正直、単に厚生労働省を厚生省と労働省に二分割するだけなら、看板をもう一枚かければ済む話なので、それなりのコストで実現できるかもしれません。ただ、縷々述べたように全く積極的な理由を欠く上に、大臣ポストを増やし秘書官やら官房各課やらも増えますので、実はいわゆる「行革」とは正反対の行為です。不祥事を減らすことにも全く繋がりません。

 日経新聞によると、「行革本部幹部は提言について『厚労省の現体制は限界に来ている』とのメッセージを送るのが主眼と説明」したようです。僕もその認識は共有します。厚生労働省の業務環境は、残念ながらおせじにも良いとは思いません。何人も、メンタルを痛めて異動になった人を知っています。いささか極端な、感覚的な表現をお許しいただければ、「死屍累々」です。本当に限界なのです。しかしそうであるならば、不要な省再編により不要な業務を増やして負担をかけ職員のモチベーションをぶち壊すのではなく、まず定員増をぜひお願いします。本当に。

 このタイミングでこの話が急浮上した背景はよくわかりませんが、察しがつかないわけでもありません。しかし、政治的な思惑により、頑張っている職員の心をヘシ折るような話をすることは、僕にはとても許せるものではありません。

 以上の理由により、「旧厚生省と旧労働省の業務の2分割による新体制を発足する計画」などというものに、橋本岳は反対します。各位におかれましては、何卒ご賢察ありますように。

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