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2018年8月20日 (月)

平成30年西日本豪雨災害の初期対応に関する備忘録(倉敷市から見えたことを中心に)

●はじめに

 まず、平成30年7月西日本豪雨災害においてお亡くなりになった方々に対し深くご冥福をお祈りするとともに、被災された方々に心よりのお見舞いを申し上げます。

 7月5日ごろから降り続けた豪雨により、6日晩から7日未明にかけ、中部地方から西日本各地において、そして岡山県内でも各地で水害や土砂崩れが発生しました。岡山県西部においては、高梁川や小田川が氾濫したことにより、流域各地が洪水に見舞われました。中でも倉敷市真備町では、建物約5,800棟(総社市下原の工場爆発による被災を含む)が被災し、約60名が亡くなる惨事となりました。多くの方が住居を失い、8月13日現在で避難所に避難している方だけで約1,600名に上ります。もちろん、その他にも親戚の家等に避難している方や既に借上げ仮設住宅などに移っておられる被災者も大勢おられるものと思われます。

 発災から一か月以上が経過し、全国の多くの皆さまの温かく力強いご支援により、被災者の救助、避難生活のサポートや改善、災害ボランティア受け入れ、被災インフラの復旧、災害がれきの処理といった問題がそれぞれに進捗しつつあり、徐々に生活や生業の再建というフェーズに移りつつあります。

 その間、全国各地から多くの方々が災害ボランティアとして被災された方々に力を与えていただいていることに、心から感謝申し上げます。8月13日までで、倉敷市では累計約3万人の方がボランティアに参加していただきました。政府の対応も東日本大震災や熊本地震等の経験を踏まえた迅速なものとなっていると思いますし、全国の自治体からの支援も心強いものです。

 ただ、被災前のように、お一人おひとりの住民の方にとって「みんな安心して住み働き続けることのできる真備町」を取り戻すという復興への道のりは、まだまだ長く苦しいものと思われます。まず、誰もが安心して真備で生活していただけるように、小田川や高梁川の堤防強化や付け替え等の工事の見通しを早期に示し、前倒しに実現しなければなりません。その上で、単に元通りに復元するのではなく、真備町が前向きに再建されるビジョンを倉敷市が示し、さまざまな主体が力を合わせてその実現に取り組むような動きが必要でしょう。被災された方々の気持ちを慰撫するようなイベントも考えられるべきでしょう。また、タイミングを計る必要はあるかもしれませんが、どこかで「倉敷市は元気である!」という発信を行い、風評被害を封じる取り組みも必要になるものと思います。いずれにしても、引き続き、被災された方々や地域に心をお寄せいただくようお願い申し上げます。

●橋本がくの活動

 さてこの間、橋本がくも、地元選出与党国会議員の一人として、主に国(政府および自民党)と岡山県や倉敷市との連絡調整、被災者や企業、支援団体等との連絡調整等にあたりました。

 災害対応は市町村が主体となって行うものであり、都道府県そして国がそれを支えるという体制になります。しかしこれまであまり大きな災害に見舞われたことのない岡山県下各市町村は、必ずしも災害時の対応に慣れていません。そこで、大臣を含む各省庁や、伊原木知事や伊東市長、あるいは関係団体や企業まで含め、日頃から直接電話できる人間関係を構築していることを生かし、市役所等のサポートにあたり彼らの活動を円滑ならしめることが与党の国会議員としての役目であると考え、主にそのような観点での活動に徹しました。もちろん真備町の現地や、避難所などにも足を運び自分の目で現場を見、直接被災された方々のお話を伺うこともしましたし、その知見を活かして、ものを進めることに役立てました。なお、注文を出したり繋いだりすることでいくつかのことが実現しましたが、多くの方々のご協力あって実現したことばかりですので、自分の活動成果のような形で具体的な内容を記すことは控えたいと思います。

 また、発災直後は情報が錯綜していました。真備町にはいち早くテレビカメラが入り、全国から注目の的になっていました。倉敷市や総社市もツイッター等での情報発信は逐次行われていましたが、発災直後は必ずしも整理されてはいませんでした。倉敷ケーブルテレビやFMくらしきも地元では重宝な存在でしたが、全国から視聴できるわけではありません。そうした状況の中で、7月8日晩に自分のブログにて被災者支援者向け情報リンク集を作成しました。しばらく更新をサボっており普段数十PV/日程度のブログが、翌7月9日には7万PV/日となりました。タイムリーな情報提供により多少なりとも支援に役立っていれば、作った甲斐があったというものです。このリンク集は、幾度かの更新ののち、倉敷市や総社市のWebサイトが充実してきたことを踏まえ、7月21日に更新を終了しました。

 TwitterやFacebookを利用して有用な情報の拡散にも努めました。倉敷市、総社市、岡山県、また厚生労働省や国土交通省、内閣府防災担当等の情報も有用でした。また岡山県議会や倉敷市議会の先生方が、それぞれに現地や避難所などに寄り添った活動をし、情報発信されていました。国会議員の先生方も様々な活動をしておられます。目に留まり必要と考えたものについては、所属政党に関わらず、リツイートやシェア等させていただきました。この場をお借りして、深く感謝を申し上げます。

●今後の災害対策の向上に向けて

 さてそのような活動をする中で、今回の災害の初期対応の経験を踏まえ、今後に向けて改善した方がよいのではないかと感じたことがいくつかありますので、備忘のために記しておきます。もちろんこれらは発災後1か月半ほど経過をした時点のものであり、今後も増えていくかもしれません。

(1)「備えよ常に」をいかにして実行するか

 「災害は忘れた頃にやってくる」というのは、今回しみじみと感じたことでした。小田川・高梁川合流点の課題については僕も知識として知っていましたが、しかし自分自身に「まさか」という油断があったことは決して否定しません。また、真備町が水没しているのをテレビで見て、冷静に対応をしなければと考えつつ、実は慌てて気が動転していたことも、恥ずかしながら告白しなければなりません(例えば、防衛省にタクシーで駆け付けた際に、支払うために財布を出すつもりで名刺入れを出していたとか…)。ただその中で、いくつかの経験やアドバイスが自分を助けてくれました。

 真備町の洪水被災を確認した直後、ある災害を経験した同僚議員から「内閣府防災担当の電話番号を確認すべき」というアドバイスをもらいました。連絡調整役をするためには連絡先の確認は当然に必要なことでありましたが、実際に本当に重宝しました。

 また、東日本大震災時のリーガルニーズを詳細に分析し、さまざまな立法等に繋げた岡本正弁護士のお話を以前勉強会で聞く機会があり、ご著書もご恵与いただき目を通していました(『災害復興法学』および『災害復興法学Ⅱ』、いずれも慶應義塾大学出版会)。結局すべての行政による災害対応は法に基づいて行われるものであり、その立法経緯等に事前にいささかでも触れていたことにより、発災後の展開を予見して、早めに対応することに繋がりました。

 東日本大震災の折、僕自身が遠野市の災害ボランティアセンター経由で釜石市箱崎地区にて側溝を掘る災害ボランティアを経験していたことは、今回の災害でも災害ボランティア受入れの重要性にすぐ思いを致すことに繋がりました。

 やはり、非常の際には、経験や知識が役に立つのです。

 今回の災害において、内閣府防災担当をはじめ中央省庁は、発災後相当スムーズに対応していたように感じています。安倍総理が激甚災害指定の見込みを早めに公表されたこと筆頭に、東日本大震災や熊本地震の経験を生かし、早期に大災害としての支援スキームの適用を決めていただけました(環境省・国土交通省事業による宅地土砂等の撤去費用の公費負担を半壊認定でも可能にしたこと、中小企業庁のグループ補助金制度の利用を可能にしたことなど、まだ詳細調整中のものもありますが「生活・生業再建支援パッケージ」は相当なレベルで努力していただいたものと感じています)。

 一方、自治体も一生懸命頑張っていたと僕は思います。ただ経験不足は否応なく感じざるを得ませんでした。例えば避難所の備品整備ひとつとってみても、災害救助法の解釈について議論を交わすことになりました。

 住民に対する避難訓練等も大事なことであることは、今回の災害でも再確認されたことと思いますが、あわせていざというときに現場指揮を執ることになる自治体幹部に対して、災害関係の法令実務を日頃から周知研修することは、必要なことなのではないかと思います。また国会議員としても、自分自身も今回のことがあって初めて災害関係法令をにわか勉強することになったことを反省しています。すべての議員の皆さまにも普段から勉強しておくことをお勧めします。ボーイスカウトの訓えの通り、やはり「備えよ常に」なのです。

(2)災害ボランティアセンターの法的位置づけ

 倉敷市では、倉敷市社会福祉協議会が中心となって、7月11日には倉敷市災害ボランティアセンターが立ち上げられました。そして全国から多くの方々が駆け付けていただきお力をいただいていることは前述の通りです。災害対策基本法には、国および地方公共団体はボランティアと連携するよう努めるべき旨の条項があり、実際にその通りになっていることは素晴らしいことです。運営も日を追うごとに改善され、充実したものになっていると感じています。

 ただ、実は災害ボランティアセンターには法律的な位置づけがありません。そのため、財政的な裏付けについて不安がぬぐえないまま今に至っているという実情もあります。

 例えば、真夏の作業で当初は対策も十分ではなかったため、7月13日からの連休では熱中症によるボランティアの方の救急搬送が残念ながら相次いでしまいました。その中で災害ボランティアセンターの拠点となっている中国能力開発大学校の体育館にはクーラーがなく、酷暑の中、熱中症で体調が悪化した方を救護スペースで一生懸命うちわで扇いでいたような状況がありました。避難所には既にクーラー設置が進んでおり、ボラセンにも同様の対策を要望したところ壁に当たりました。被災者のための避難所にクーラーを設置することは災害救助法に基づいて可能だが、災害ボランティアセンターは避難所ではなく被災者が利用するわけでもないから法の対象ではなく不可、というのです。厚生労働省に掛け合った結果、中国能力開発大学校を運営している独立行政法人高齢者・障害者・求職者雇用支援機構(JEED)がクーラーを設置してくださることに落ち着きました(迅速な対応に感謝申し上げます)。また同時期に立憲民主党は、高井たかし衆議院議員が中心となり、災害ボランティアセンターのサテライトに経口補水液を届ける活動をしておられました。立派でタイムリーな活動だと思いますが、できれば運営側が用意するべきことなのではないかという思いは残ります。

 最近、行方不明の2歳児を発見したボランティアの方のストイックな在り方が称賛されています。「ボランティアは手弁当が原則」ではあるのです。しかし、今回のような規模の災害で、災害ボランティアの人手が多数必要なことが明白、しかも気象的にも酷暑の中での活動を求めざるを得ない時に、「手弁当」をあまりにも厳格に求めるのは正直現実的ではありません。もちろん災害ボランティアセンターの運営においては、地域の方々などの人手や物資や募金にも頼っていますし、行政においても柔軟に対応していただいている面もかなりあります。しかしなお「どこまでやってよいか、不安です」という運営者の声もぬぐえてはいないのです。

 今回に関しては、政府に対して特別交付税などの措置を要望しているところではありますが、今後の課題として、災害ボランティアセンターなどに関して何らかの法的位置づけを与えることにより、行政がきちんとバックアップをできるようにし、災害ボランティアの方々に不安なく力を振るっていただけるようにする必要があるのではないかと考えています。

(3)避難所の設置・運営について

 今回、救助された多数の避難者の方を、主に小中学校などの体育館を避難所として当座の生活拠点としていただくことになりました。この際、災害関連死を減らすために被災者全員分の段ボールベッドの導入を、避難所・避難生活学会の要請を受けて倉敷市がかなり早期に決定したことは、建築家・坂茂氏の紙管による間仕切りとあわせ、避難所の風景を一変させた画期的なことと言えます。こうした設備が今後の日本の避難所の標準となることを期待します。また、暑さ対策としてクーラーが早期に設置されたことも、熱中症などによる二次被害を防ぐことに繋がっているのではないかと思います。

 なお、これらの導入にあたり、経済産業省のプッシュ型支援と岡山県・倉敷市からの依頼とがバッティングし、現場で混乱がありました。後日検証し必要であれば改善されるべきとは思いますが、プッシュ型支援というのは多少の混乱発生は覚悟の上という側面もあります。あまりその点を声高に非難すべきではないでしょう。慎重になってモノが届かないことこそが最悪の事態を招くのですから。

 また必要な物資に関しては、避難所設置からしばらくは混乱が各地でありましたが、現在では、必要な物資が適切に供給されるよう、タブレット端末を利用した注文システムと、真備総合公園体育館を物流拠点とした配送体制が構築されています。現時点では、不足したものを入力すれば、早ければその日のうちに届くようになっています。また品目も要望にあわせて追加されているようです。

 こうした点は、東日本大震災で僕が見たいくつかの避難所と比べると、長足の進歩を感じる部分でした。

 一方、避難されている方の食事の環境については、もう少し工夫ができたのではないかと感じるところはあります。もちろん避難所開設直後はおにぎりやパン、インスタント食品等に頼るのは致し方ありません。また、今回は真夏のことですので、食中毒の発生を防ぐ必要があるためやむを得ない面もありました。また、真備町内の3つの避難所など、2~300人が同時に避難している場所などでは、物理的な限界もありました。

 ただ個人的な思いを言えば、ちゃんとした温かい給食を食堂で食べることができる環境も、避難所に設けられるともっと良かったのではないかと思います。数日のことならともかく、数か月にわたり弁当での生活を続けるというのは、栄養面のみならず精神的にも相当な苦痛ではないでしょうか。ただでさえ自宅を失うなど厳しい状況にある方々ですから、せめて日々の食事はその活力を沸かせるものであってほしいと願います。もちろんボランタリーな炊き出しや、防衛省のチャーター船『はくおう』の支援がその役割を担っている面はありますが、本来は災害救助法上で手当て可能なことです。毎日でなくてもよいかもしれませんし、避難所ではなくてどこか食堂にお連れをする形でもよいかもしれません。

●まとめ

 まだ今回の災害に対する行政の対応の評価をするには早いのかもしれません。ただ岡山県ではそうした検討を開始したように聞いています。また、このブログに書いたことはあくまでも橋本がく個人の感想であり、他にもさまざまな評価や感想がありうべきことと思います。

 他にも記すべきことはあります。倉敷市が保健所を中心に真備町の全戸ローラー作戦を展開し、在宅の世帯における支援ニーズの把握に努めていること、災害発生当初からDMAT等の医療支援チームが活動したことに加え、この5月に厚生労働省が通知を出したばかりの災害福祉支援チーム(DWAT)も初めて活動を行ったことなどは、後日適正に評価されるべき点でしょう。

 安倍総理を筆頭に閣僚や各省政務が幾度となく被災地の視察に訪れていただくこと、自衛隊および愛知県・奈良県・滋賀県からの緊急消防援助隊によるボートやヘリを使った救援活動(および特に名古屋市消防局の力強いツイート)、国交省のポンプ車による迅速な排水や堤防の仮復旧、自衛隊の災害がれき片づけや入浴支援、各省庁からの多数のリエゾンの派遣など挙げればキリがありませんが国やさまざまな自治体からの支援は、とてもありがたいことです。そして何よりも全国からかけつけてくださる災害ボランティアの方々、また義援金などの形でお心を寄せていただく皆さまには、何度感謝してもしきれないような思いです。

 今回誠に残念なことに、豪雨により多くの方々を亡くしてしまい、多くの被災者を出してしまいました。復興にしっかり取り組むとともに、今後の減災への教訓とすることによってしか、その犠牲に報いる方法はありません。引き続き努力して参ります。

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