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2015年10月

2015年10月23日 (金)

外交部会長への就任にあたり

 このたび橋本がくは自由民主党政務調査会の外交部会長を拝命しました。

 部会長とは自民党の政務調査会に概ね省庁ごとに13設けられている会の責任者であり、外交部会長はその名の通り外交政策全般を所掌します。

 これまで総務部会長代理、厚生労働大臣政務官という役職をお預かりしており、外交というイメージは薄いかもしれません。しかし平成17年から衆議院テロ対策・イラク人道支援特別委員会に所属し、第二次安倍政権時にはその後を継いだ衆議院海賊・テロ特別委員会の理事を務めました。世界の平和維持や人道支援のために日本が海外において貢献してきた活動に関し、国会において見守ってきたというささやかな自負はあります。

 現在、安倍政権は積極的平和主義を唱え、安倍総理自ら各国を訪問しアベノミクスや安全保障面での理解や協力を得るいわゆる「地球儀を俯瞰する外交」を強力に展開しています。

 日米安保を基軸とした東アジア地域の安定の維持、TPPや各国とのEPA/FTAなどの経済連携、そして「人間の安全保障」と呼ばれる世界の貧困対策、感染症対策、災害救援など多方面にわたる国際協力など、世界の中で日本の果たすべき役割は極めて大きいものがあります。

 また近隣の国々との領土や歴史認識をめぐる諸課題にも、十分留意をしなければなりません。

 日本国憲法前文に以下の一節があります。憲法そのものにはいろいろ議論はありますが、この一節については日本の外交かくあらねばならぬという理想を示しており尊重すべきものと個人的には考えています。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 もちろん現実はなかなか理想通りにはいきません。

 日本年金機構に対するサイバー攻撃事案では、目に見えない分野では平和どころか実際に熾烈な攻撃を受けている現実に改めて直面しました。ユネスコ記憶遺産の問題など私たちの想いが世界に通じていない面もあると認識せざるを得ない状況もあります。それぞれ適切な対応が必要です。

 しかしなお「世界の平和に貢献する日本外交こそ日本の国益に資する」という理想の旗は掲げ続けながら、職務に臨みたいと考えています。引き続きご指導ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

Johnkey

<写真:5月に訪問したニュージーランドにて、ジョン・キー首相と>

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2015年10月12日 (月)

平和安全法制について

 さる9月19日に成立した平和安全法制について、なおさまざまなご議論があります。賛成した与党の一員として、今後も私なりに思うところを引き続き申し上げなければならないと考えています。むしろ、10月9日の内閣改造に伴い厚生労働大臣政務官の職を解かれ政府の中の人ではなくなりましたので、一衆議院議員として思うところを述べることができるようになりました。ご議論の多い点二点に絞って、思うところを記します。ご参考にしていただければ幸いです。

◆平和安全法制の必要性について

 今回の法制にて改正した点は多岐にわたりますが、最大の論点は自衛隊法における防衛出動の要件として「存立危機事態」を追加した点と思われますので、そこに話を絞ります。この追加により、従来から存在する「日本への直接的な武力攻撃またはその明白な危険が切迫している」際に加え、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」においても自衛隊の防衛出動が可能となり、必要な武力を行使することができるようになりました。この点が、従来は「個別的自衛権しか行使しない」としていた政府見解を転換し「集団的自衛権の行使にあたる場合がある」とすることに基づく部分です。

 さて、ここで日本の現況を眺めてみると、今の日本は、日本の国土および国民だけを守っていれば平和と言えるわけではありません。産業もエネルギーも食糧も、海外との輸出入に頼るところ大であり、日本に暮らす人々が今の生活と安全を続けようとすれば、世界が平和でなければならないということは多くの方が認めるところでしょう。同時に、近隣に邦人の拉致やミサイル発射等の不穏な動きをする国や、近隣国と領土紛争を抱える島を勝手に埋め立てて基地をつくってしまう国を抱えながらも、日米安保条約の下で米軍と自衛隊で日本の周囲の防衛を行っていることも、一つの現実です。

 例えばミサイル防衛を例にとりましょう。日本海の先のどこかの国が日本領土に対しミサイルを発射する構えを示しているとします。日米安全保障条約に基づき、米軍のイージス艦と自衛隊のイージス艦が連携しつつ分担してミサイル防衛にあたることは考えられます。もちろん、その周囲に双方の艦艇や航空機が展開して護衛にあたることになるでしょう。そうした状況下で、仮に第三国の艦艇または航空機が自衛隊の艦艇を魚雷やミサイル等で攻撃してきた場合、米軍艦艇等は日米安保条約等に基づき、彼らが持っている集団的自衛権を行使して、第三国の艦艇等に反撃をすることができます。しかし、これまでの自衛隊法では、同様の状況下で米軍の艦艇等に対して第三国の艦艇等が攻撃をしてきた場合、自衛隊の艦艇等は反撃をすることができたでしょうか。米軍艦艇への攻撃を、「我が国に対する外部からの武力攻撃が発生」または「我が国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険が切迫」と見做すことは困難です。だとすれば、共同して日本の防衛の任にあたっている米軍艦艇が攻撃されても見捨て、或いは指をくわえて眺めなければならないことになります。これは国家間の信義上許されることではないと考えます。幸いなことに過去このような緊迫した状況に至ることはありませんでした。しかし今後もあり得ないと言いきることもできないと考えます。

 なお、いま現に発生していない事態だからあり得ない、必要はないというご意見もありますが、発生した事態に応じて法制度考えるのを「泥棒を見て縄をなう」すなわちドロナワと表現するのであって、安全保障は今発生しないことまでを想定するものでなければ間に合わないことを、改めて申し添えます。

 このように、一国の防衛を複数の国で協力して行うような事態に備えて、「自国と密接な関係にある他国への武力攻撃」云々という事態も想定しておく必要があると考えます。ですから、法整備を行うに至ったものです。もちろん、こうした不備の指摘は以前からありました。ミサイル防衛も今に始まった話ではありません。今回行った理由は、政権が安定した議席をお預かりしているタイミングでなければ政治的に実現することができなかったから、という現実的な理由だと僕は思います。第一次安倍政権以降、ねじれ国会や政権交代が続いたため、このような法改正は不可能でした。

 なお、PKO法における駆け付け警護や、在外邦人等の保護措置など、これまでの法制では穴が開いていた部分について今回法制化されました。このこともとても大事で必要な改正だと考えますが、本稿では割愛します。

◆平和安全法制の合憲性について

 そもそも日本国憲法9条は、以下の通りの規定です。

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 そして1946年6月26日衆議院本会議において、この憲法草案に関する質疑において吉田茂総理は、

 次に自衞權に付ての御尋ねであります、戰爭抛棄に關する本案の規定は、直接には自衞權を否定はして居りませぬが、第九條第二項に於て一切の軍備と國の交戰權を認めない結果、自衞權の發動としての戰爭も、又交戰權も抛棄したものであります、從來近年の戰爭は多く自衞權の名に於て戰はれたのであります、滿洲事變然り、大東亜戰爭亦然りであります、

 云々と答弁しています。要するに、自衛権の発動としての戦争も、憲法草案提案時の政府は否定しているのです。あえて記しますが、ここでは集団的とか個別的とかは何も言っていません。吉田総理は、その区別を問わず満州事変も大東亜戦争も自衛権に基づいて戦われたと明言しており、集団的自衛権が特に危険なのだなどとは発言していないことにもご留意ください。

 しかし自衛隊の創設にあたり、専守防衛の名の下に個別的自衛権なら行使できるとか、湾岸戦争後の掃海部隊派遣やPKO法制定の際に自衛隊の海外派遣をできるようにするとか、個々のケースは割愛しますが政府の憲法解釈は変遷を重ねて今に至っているのです。個別的自衛権は合憲だが集団的自衛権は違憲という見解も、ある一時のものに過ぎません。しばしば「憲法9条が戦後70年の日本の平和を守った」という表現が見られます。そういう見方をするのであれば、このような経緯も考慮すれば同時に「憲法9条の政府解釈を時宜にかなうように都度変更して戦後70年の日本の平和を守った」と表現することも差支えないのだと僕は思っています。

 そのような観点に立った場合、今回、上記の必要に応じ、昨年の閣議決定および今回の平和安全法制により憲法解釈の変更を行ったことが、過去に類を見ないほどの変更とは思いませんし、政府による閣議決定と国会の議決を経ているわけで、これ以上の手続きはありません。もちろん、今後最高裁で違憲判決が出た場合は、政府は速やかにそれに従うことになりますが。

 振り返ってみれば、憲法制定時と現在と、70年も経ていれば全く世界情勢は変化しています。大戦が終わり連合国(=United Nations、すなわち国連)が世界の秩序を守ることが期待されていた時代から、米ソの冷戦期を経て、そのバランスの崩れからテロやイスラム国のようなものが国家の脅威となる時代になりました。国連は機能していないとは言いませんが、必ずしも理想通りにも機能してもいません。核も拡散し、ミサイル等の兵器も長足の進歩を遂げました。人海戦術の時代はとうに過ぎ去っています(だから徴兵制などナンセンスです)。自衛隊も、PKO活動やイラク人道復興支援、テロ特措法に基づく補給・輸送支援、ソマリア沖海賊対策など、平和維持活動に従事して高い評価を得るに至っています。そうした経験を踏まえ、今回の憲法解釈の変更と法改正があるのです。

 なお前文等を含め、日本国憲法は、1946年当時の時代背景を色濃く残していると僕は感じます。これを時代に合わせて改正するのが本来の筋だという議論には僕は賛成します。しかしながら憲法改正は過去一度も発議可能な状況になったことがない程度にハードルが高く、また憲法9条を書き換えようとした場合、両院の2/3のみならず国民の過半数の賛同を得られる改正案は、現実的予見可能な時間の中で実現できる状況にあるとは思いません。そのため憲法解釈の変更を積み上げて今日に至っているし、今回もその手法を取らざるを得なかったものと思います。

 今回の法制度が憲法違反だ!と断じる向きもあります。ご意見はご意見として尊重しますが、その方々は、平和安全法制成立以前の自衛隊法等の法制度は、合憲だと思っておられたのでしょうか?何故、今回の法案審議に際して突然違憲と論じられることになったのでしょうか?集団的自衛権の行使はダメだが個別的自衛権の行使はよい、という主張をされるのであれば、個別的自衛権の合憲性と集団的自衛権の違憲性を、政府見解に依らずに(政府は信用できないという前提でしょうから)、どのように論じられるのでしょうか。自衛権を認めた砂川事件最高裁判決には個別とも集団とも書いてありませんし、個別的および集団的自衛権を定めた国連憲章よりも後ですから、否定する根拠にもなりません。個人的には、吉田茂総理の答弁通りに、自衛隊から個別的自衛権から全部違憲なのだというご意見は、現実的かどうかはさておき、それはそれで筋だけは通った議論だと思います。あるいは、先ほど述べた通り、政府の憲法解釈の変更は現実的にありえることとする立場をとれば、今回の法制度だけが違憲という根拠は無くなります。中途半端にこれはよくてあれはダメ、という議論を現実を離れて行うことは、結局のところ水掛け論でしかない印象が僕にはあります。なぜならば、結局のところ憲法9条には上記のこと以外は書いていないのですから。

◆おわりに

 以上、平和安全法制について思うところを二点記しました。ただ、本当に大多数の方が感じているのは、もっと漠然とした「大丈夫なのかなあ…」という不安なのではないかと個人的には思います。これは、最終的にはその時々の内閣およびその長たる内閣総理大臣が、どのように事態を判断するのかという、今後の法制度の運用に係る問題だと思います。どんなに良い包丁でも、使い方によって美味しい料理も作れますし、人を害することもできます。法律も同様です。今後の運用が、本当のポイントなのです。

 その点は、国会や政党の機能にもよることにもなりますし、最終的には、有権者たる国民の皆さまが、本当に信頼できる方を選んで頂けるかどうかにかかっています。民主主義の国なのですから。もちろん選ばれる立場の者は、そうした信託を頂くに足るように常に研鑽を積まねばなりません。

 先の通常国会末、衆議院における内閣不信任案の趣旨説明において、民主党の枝野幸男幹事長は、ヒトラーは選挙によって選ばれたのだ、という趣旨のお話をされました。歴史的事実としてはその通りです。しかし、当時のドイツの有権者と現在の日本の有権者を同列に扱うことは、現在の日本の有権者の皆さまにとても失礼なことだと感じました。歴史は学ばれているものと、僕は強く信じています。

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2015年10月 8日 (木)

厚生労働大臣政務官退任にあたり

 10月7日、第三次安倍改造内閣が発足しました。岡山の先輩・加藤勝信代議士の一億総活躍大臣としての入閣など、政権の安定性とともに経済・社会対策を前面に押し出す姿勢を示した改造だったと思います。慣例により閣僚人事に伴い副大臣・政務官も人事異動が行われます。橋本がくも、昨年9月4日付で医療・介護・福祉担当の厚生労働大臣政務官に着任しましたが、おそらく今回で退任する見通しです(追記:10月9日に後任が閣議決定されたので、無事退任となりました)。

 この一年間を振り返ってみると、厚生労働省の幅広い仕事に関わらせて頂きとても勉強になりました。また私からもあれこれ注文をつけた部分もあるので、何がしかのよい影響を厚生労働行政に残すことができたら嬉しいなと思っています。私が主に関わってきた仕事について、いくつか振り返りをしてみたいと思います。

◆医療事故調査制度

 10月1日、医療事故調査制度が施行されました。これは昨年6月に成立した医療介護総合確保法において制度化されましたが、もとをたどれば十数年にわたる厳しい議論があり、政権交代前には別の方式で法案化一歩手前まで行ったものの棚上げされ、民主党政権下で再出発して自民党政権もその方針を引き継ぎ今回制度化に至ったものです。

 政務官着任時には法律は成立していましたが、制度の詳細を決める省令等の内容を検討する必要がありました。昨年11月4日から今年の2月25日にかけて6回にわたり「医療事故調査制度の施行に係る検討会」が開催されました。第1回冒頭のご挨拶で「一度起きてしまった不幸な事態について、きちんと調査をして教訓を学ぶということで、同じような誤りを二度と起こさないようにする。そのことを通じて医療事故を1件でも減らし、国民が安心して医療を受けていただけるようにすることがこの制度の目指すところです。そこにぜひ狙いを定めて御議論をいただければありがたい。」と申しました。激論がありましたが、最終的にはそのような趣旨に則ったまとめを検討会の皆さまにまとめて頂きました。

 また、複雑な経緯をたどったこともあり今回の制度のねらいをより正しくご理解いただけるよう、Q&Aを作成して公開しています。ご参考にしていただければ幸いです。

 長年の議論の着地点に参画することができたことに感謝するとともに、今回の制度が目指すものが今後実現してゆくことを願ってやみません。

◆厚生労働省まち・ひと・しごと創生サポートプラン

 ちょうど昨年、私が厚生労働省に着任した内閣改造で、石破茂・地方創生相が誕生しました。地方創生は日本の将来にとって極めて重要な意味を持つ政策だと考えていますが、なんとなく厚生労働省内では他人事感が漂っていました。しかし、国民のくらしや仕事に直結する所管分野を持つ厚生労働省がそれではダメで、むしろ地方創生を牽引するのは厚労省だ!というくらいの気概が必要だ!と考え、省内で若手検討チームを立ち上げ、厚生労働省としてもビジョンを定めることにしました。

 その結果今年3月にまとめたものが「厚生労働省まち・ひと・しごと創生サポートプラン ~頑張る地方を応援します~」です。各自治体や地域のみなさんに参考にしていただきたいと思いますし、このプランの中で課題となった「人口減少下での福祉サービスはどうあるべきか」という命題は、後述する「新たな時代に対応した福祉の提供ビジョン」に引き継がれることとなりました。

◆新たな時代に対応した福祉の提供ビジョン

 厚生労働省は高齢者・障害者・児童・生活困窮者など、さまざまな必要を持つ方々に対して公的に提供される福祉を所管しています。それぞれの分野ごとに課題を抱えつつも着実に充実させてきたものと思いますが、一方で縦割りの弊害も日々感じていました。特に、昨年9月に千葉県銚子市で発生したシングルマザーが無理心中を図ろうとして中学生のお嬢さんを手にかけた事件に関し今年6月に懲役7年の地裁判決が出された報道を見た時には、本当に愕然としました。これまで発展してきた各福祉分野の専門性を生かしつつ、もっと包括的に支援を必要とする人や世帯にアウトリーチし、寄り添える仕組みを考えるべきではないかと思いました。また「まち・ひと・しごと創生サポートプラン」の関係で石川県の社会福祉法人佛子園の各施設を見学させていただき、さまざまなサービスや機能を一体的に提供している姿に感銘をうけたことも引き金になりました。「まち・ひと・しごと創生サポートプラン」からの課題も引き継いでの検討が必要でした。

 そこで6月末に、鈴木社会・援護局長、三浦老健局長、安藤雇用均等・児童家庭局長、今別府政策統括官(社会保障担当)、藤井障害保健福祉部長(肩書はいずれも当時)による省内横断プロジェクトチーム及び幹事会を結成していただき、議論を重ねて9月にまとめていただいたのが「新たな時代に対応した福祉の提供ビジョン」です。

 既にこのビジョンに基づいて概算要求も行っていますし、今後各論の具体化を、行程表を作成して進めるよう指示を行いました。引き続き見守ってゆきたいと思っています。

◆医療等分野における番号制度の活用等に関する研究会・クラウド時代の医療ICTの在り方に関する懇談会

 医療や介護等の分野で、ICTを活用して施設間や保険者等の情報連携を行うことにより検査や投薬の重複を排除し、より効果的な治療を行うような仕組みの実証実験が各地域で行われています。これを全国的に進めるためには個人を認識するための番号制度がカギとなります。厚生労働省ではかねてから医療等分野における番号制度の活用に関する研究会を行っており、昨年12月に「中間まとめ」を発表しました。かねてから医療等分野のICT化は関心を持っており、また私の大学院時代の指導教官であった金子郁容・慶大教授が座長を務めて頂いていたこともあり、出席させていただいていました。プライバシーへの配慮や情報漏えい等への対策を前提としつつ、よりよい医療や介護の提供のために避けて通れないテーマです。

 その後、総務省の長谷川岳大臣政務官よりクラウドやモバイルなどを前提とした勉強会をしようとお声掛けいただき、両省で「クラウド時代の医療ICTのあり方に関する懇談会」を開催しました。こちらでもさまざまな議論がありましたが、私からは診療報酬上の評価を検討すべきではないかといった意見を申し上げました。

 医療等ICT化は、塩崎厚労大臣がリーダーシップをとってまとめられた「保健医療2035」でも取り上げられていることもあり、今後は塩崎大臣のもとでより積極的に進められるものと思います。

◆難病等の対策

 昨年の6月に難病医療法等が成立しました。この法案の作成にあたっては、自民党難病対策PT事務局長として携わっていましたし、当選一回生の頃から関わっていましたので感無量でした。よって9月に着任してからは、法律に基づく医療費支援の施行に向けた病気の指定や、法律に定められた「基本的な方針」を定めることが厚労省の主な仕事となりました。今年9月15日に「難病の患者に対する医療等の総合的な推進を図るための基本的な方針」が告示され、医療支援のみならず就労支援等を含む生活全般に対し支援を行う方針が決まりました。今後この方針に沿って具体的な施策が充実することが期待されます。

 また、指定難病に含まれなかった疾病の方々からもさまざまなお話を伺いました。ひとつひとつ担当と話をしながらできる対策を講じますし、前述の「新たな時代に対応した福祉の提供ビジョン」はそういった方々も意識してはいますが、まだ宿題も残っています。繊維筋痛症の患者会の方からお預かりした「体験セット」がまだ政務官室に置いてありますが、そのまま次の厚労大臣政務官に引き継いで頂くつもりです。

◆日本年金機構不正アクセスによる情報流出事案

 今年の6月1日に塩崎厚労相が発表した標記事案には、多くの皆さまにご心配とご迷惑をおかけしたことをまずお詫び申し上げます。犯人による執拗な攻撃の結果とはいえ、約100万人の方々の年金番号や氏名等の情報を外部に漏えいしました。この責任をとり塩崎大臣以下、私も含めて政務三役(大臣、副大臣、大臣政務官)は全員給与自主返納を行うとともに、村木厚子次官(当時)および水島藤一郎日本年金機構理事長以下、多数の職員が処分を受けました。

 本件の対応には相当時間を割くこととなりました。実は年金局は僕の担当ではありません。そのため事案を知らされたのは大臣が記者会見して発表する一時間前という有様でした。しかしなにせ厚生労働省にはサイバーセキュリティはおろかICTの専門家がCIO補佐官以外はほとんどおらず(そこも問題点の一つなのですが)、私も決して専門家とは言えませんが、後述のように衆議院厚労委員会対応を行わなければならなかったためかなり口を挟ませていただきました。

 特に厚生労働省が9月18日に発表した「情報セキュリティ強化等に向けた組織・業務改革―日本年金機構への不正アクセスによる情報流出事案を踏まえて―」をまとめる上では、塩崎大臣より命を受け作業に参加しました。再発防止のためにはまず自らを反省し総括する必要がありますが、この部分はかなり厳しく筆を加えました。特に、問題発生時に表面化する厚生労働省の「悪い報告が上にあがらない」体質は、早急に是正しなければなりません。9月30 日にワシントンD.C.に出張し、アメリカの状況をヒアリングしてきました。同地でも政府機関からの大量情報流出があったため、サイバーセキュリティへの危機感の高さを肌で感じてきました。今後の再発防止策の実現にあたり、こうした経験が次に繋がることを期待しています。

◆国会対応など

 衆議院厚生労働委員会では、厚生労働省代表として理事会の陪席を務めました(ちなみに参議院厚生労働委員会は官房長が陪席)。昨年の臨時国会および今年の通常国会は、労働者派遣法改正案、戦没者等の遺族に対する特別弔慰金支給法案、国民健康保険法改正案、医療法改正案など、重要な議案が目白押しで、その上に日本年金機構不正アクセスによる情報流出事案やいわゆる「10.1ペーパー」問題も重なり、両院厚生労働委員会の皆さまには長時間にわたり極めて真摯にご審議を賜りました。結果、今年の通常国会では、衆議院では会議回数および審議時間で厚生労働委員会がトップ(40回、148時間)という記録を達成しました。委員会のセット等を議論する理事会や理事懇談会も、委員会前後に開かれることが通例のようになっており、他委員会よりも委員長や理事の皆さまのご負担も大きかったと思います。私が理事会で発言する回数もかなり多かったのは遺憾ですが(陪席が発言する機会は、多くが政府答弁の補足説明や謝罪等なので…)、たくさん勉強させていただきました。感謝申し上げます。また答弁に立つ機会も多くいただきました。

 また、当選1~2回の自民党の若手議員の皆さまに声をかけて、厚労行政勉強会を行っていました。最終的に18回を重ね、厚生労働省が所管する各分野についてディスカッションする機会を持ちましたが、将来的にこの中から日本の厚生労働行政を背負って立つ方が現れることを期待しています。

◆その他

 エボラ出血熱疑いの患者さんやMARS疑いの患者さんの発生があった場合には、毎回大臣以下私にも連絡が入っていました。今年の夏のデング熱も含め、結局国内において患者の発生がなかったのは幸いなことですが、引き続き緊張感を持って対応しなければなりません。

 東日本大震災復興支援から、広島県の土砂災害、御嶽山の噴火、茨城県等の水害に至るまで、災害対応もありました。緊急医療派遣チーム(DMAT)の派遣や上水道の確保、避難者のケア等、厚生労働省の役目も重いものがあることを改めて確認しました。

 また戦後70周年の節目の年に、援護行政を担当することができたのも光栄なことだったと思います。収集したご遺骨のDNAデータベース化や、日本武道館で8月15日に行われる全国戦没者追悼式に若い方に参加して頂いたり、献花の順番についてご遺族を先にするよう変更させて頂いたりしたことも、細かいことですが後世に残るといいなと思います。

    ―◇―  ―◇―  ―◇―  ―◇―  ―◇― 

 以上、振り返ってみれば、いろんなことに手を出すうちに、あっという間に一年が経ってしまった気がします。もちろん塩崎恭久大臣はじめ永岡桂子、山本香苗両副大臣、高階恵美子大臣政務官のご理解とご指導あってできたことですし、村木厚子前事務次官、原勝則前厚生労働審議官(橋本龍太郎厚生大臣と直接重なっている最後の現役の方でした)以下厚労省幹部および職員の皆さまにご苦労を沢山おかけして、ご協力を頂いてなしえたことです。厚く感謝申し上げます。特に「まち・ひと・しごと創生サポートプラン」や「新たな時代に対応した福祉の提供ビジョン」などでは、若手の方々が中心になって(もちろん幹部もそれをしっかり支援して)仕事をまとめていただき、霞が関の次代に希望が持てることを確信しました。…というのは同じような世代か僕の方が年下なのでちょっとエラそうで、言い方を変えれば気軽にいろいろムリを言って聞いていただいた方々ということで、森真弘(政策統括官付社会保障担当参事官室政策企画官(当時))、熊木正人(社会・援護局地域福祉課生活困窮者自立支援室長(当時))、三浦明(大臣官房総務課企画官(当時))の各氏のお名前を代表としてあげ、その他多くの方々とともに深甚なる感謝(と若干のお詫び)の意を表します。また最後に、政務官室の水村主任秘書官、遠坂秘書官、斎藤さん、運転手の村松さんにはとても暖かくサポート頂きました。おかげさまで快適に大臣政務官生活を過ごすことができました。ありがとうございました。

 なんとなく引退の辞のようになってきましたが、別に政治家を引退するわけではありません。まだ今後どうなるかわかりませんが、引き続き新たな立場で、国民の「ひと、くらし、みらいのために」仕事する厚生労働行政に関わってゆきたいと思います。

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2015年10月 4日 (日)

参院選候補予定者・小野田紀美(おのだきみ)さんについて

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 10月4日、自由民主党岡山県連総務選対合同会議が開かれました。来年の参議院選の岡山県選挙区の自民党公認候補予定者として【小野田 紀美(おのだきみ)】さんを公認申請することが決まりました。瀬戸内市邑久町出身の若き女性候補で、昨日付けで東京都北区議会議員を辞職して岡山にUターンし、新たなチャレンジに臨みます。近日中に自民党本部より追加公認される見通しです。

 記者会見では、理不尽な教育格差を解消し、ワークライフバランスを整え、日本に住んでて良かった!と言っていただけるよう全力を尽くす旨、熱く抱負を語られました。また、基礎自治体議員としての経験から、政治を誰にとってもより身近なものにしたいとの気持ちを抱き続けられています。

 自民党岡山県連としても、議席奪還が悲願。橋本がくも県連会長として微力ながら一人でも多くの方に本人を見て頂き、新しい岡山の代表として選んで頂けるよう努力します。

<小野田紀美さん プロフィール>
・昭和57年12月生まれの32歳、女性。
・本籍地および出身:岡山県瀬戸内市邑久町。
・旧邑久町立裳掛小学校、私立清心中学校、私立清心女子高等学校卒業
・拓殖大学政経学部政治学科卒
・会社勤務等を経て、平成23年5月から東京都北区議会議員(2期、平成27年10月3日辞職)
・TOKYO自民党政経塾5期生
・小さいころから不正・不義の無い社会をつくりたいと考え、国会議員を志す。
・お父様がアメリカ人、お母様が日本人のハーフ。しかし1歳から高校卒業まで旧邑久町在住の、根っからの岡山っ子。


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