当選から一年、感謝の思いは変わらずに。
この12月16日で、二回目の衆院選当選から一年が経過します。バタバタ一生懸命走り続けているうちに、あっという間に…という感覚です。改めて、浪人生にも関わらずお支え頂き当選の栄誉をお与えくださった皆さまに深く感謝を申し上げます。
二期生となりますと、同じ国会や自民党本部でも一期生の時とはまた少し違う景色が見えるようになりました。特に一期生の際は、勉強してセットされた会議に出席し、意見を言うのが仕事のような感じでやや受け身的でしたが、二期生となり、衆議院の委員会理事や自民党政調や議連の事務局長といったのお役を多く預かったことで、政策立案プロセスの流れの中で会議の日程やスケジュールのセットから関わる機会を得、限られた分野ではありますが、いくつかの分野では先輩方のご指導を頂きつつ私自身の意志で主導的にプロセスを動かす立場の経験も頂きました。
当選から参議院選挙までの前半の半年間では、やはりインターネット選挙運動解禁のための公職選挙法改正に関し、平井たくや座長のもと自民党PTの事務局長を拝命し、党内手続きや野党を含めた各党協議会、そして衆参両院で法案提出者として答弁の機会を頂いたことが特筆されます。党内で根回しのご説明に歩いたことや、マスコミの方々との対応など、表に出ない仕事もさせて頂き、一つの法案を成立させるために必要な手順に一通り中心的に関与させていただけたことは、非常に勉強になりました。また同時に自民党ネットメディア局次長として、参院選における自民党のネット戦略にも参画させていただくことで、多面的に選挙に関わることができたのも、当選二回の若輩者としては貴重な体験でした。大きなトラブルや混乱もなく参院選が終了し、また自民党としても「あべぴょん」やソーシャルリスニングの活動に注目を集め、結果として参院選での勝利の一部に貢献できたかもしれないことは、誠に喜ばしいことでした。
また参院選後の臨時国会では、衛藤晟一座長のもと自民党難病対策プロジェクトチームの事務局長として、厚労省や患者団体からのヒアリングを重ね、自民党としての決議を取りまとめて大臣に提出するまで中心的に取り仕切りました。与党ですから、患者団体の皆さまからのご要望などをしっかりと受け止めつつ、厚労省と緊密に連絡を取りあい、実現可能なラインをぎりぎりまで探る必要がありました。緊張関係になった瞬間もありましたが、厚労省も頑張って下さり、最終的には患者やご家族の方々に、満点は頂けないにしても、まあとりあえず及第点が頂ける結果に近づけたのではないかと思います。来年度通常国会に法案が提出されますが、できれば与党はもちろん野党各会派の皆さまのご協力もいただき、早期の成立を期待したいところです。一期生の頃から難病対策は関わって来たので、二期生となって歴史的な法制化作業に携われたことは非常にうれしかったことです。
もう一点、時間と情熱を割いたのは、インターネットでの一般用医薬品販売に関する議論です。1月に最高裁にて規定無効の判決が出て以来、安全と利便性のバランスをとったルールの制定を目指し、インターネットでの一般用医薬品販売を考える議員連盟の事務局長として、尾辻秀久会長のご指導を仰ぎつつ、提言や法案(お蔵入りになりましたが)の作成を行いました。動き方としては厚労省の検討会の様子を見ながら、サポートや牽制を行うような活動でしたので、自分たちが主体的に成果を上げたわけではありませんが、結果として先の臨時国会で薬事法等改正案が政府から提出され成立しましたので、目標は達成です。6月の「日本再興戦略」の党内議論で、この件に関していささか感情的な発言をして新聞に掲載されるオマケも付きました。
それ以外にも、情報通信戦略調査会(川崎次郎会長)の取り回しや韓国電子政府視察、党総務部会長代理として部会(西銘恒三郎部会長)の仕切りや税制調査会への対応サポート、衆院総務委員会理事としての質疑者選定や委員確保などの裏方作業、法曹養成制度やロケット開発等の議連の事務局等に汗をかきました。与党のためあまり機会は多くないですが、特定秘密保護法についてや、倉敷駅周辺の連続立体交差事業等についてなど、委員会質疑にもポイントポイントで立ちました。また臨時国会からは、党国会対策委員会(佐藤勉委員長)にて副委員長を仰せつかり、国会の裏方として動かせていただいたことも、とても勉強になりました。
さまざまな活動を通じ、与野党を通じ多くの議員の先生方の知遇を得、またご指導を頂きました。また役所の方々(特に総務省、厚生労働省、法務省あたりが多かったですが)や、自民党や衆議院の職員として、それぞれの場面でサポートいただいた皆様とのチームワークにも恵まれて、様々な結果につなげることができたと感じています。いろんな団体・企業の方々ともおつきあいを広げさせていただき、勉強をさせていただきました。ありがたいことです。
総じて言うと、非常に充実した衆議院議員二期生の一年を過ごさせて頂きました。これもすべて、一度は落選したものの、再び国会に送ってチャンスを頂いた地元の倉敷・早島の皆様を始め、さまざまな形でご支援を頂いた多くの皆さまのおかげです。重ねて、深く深く感謝を申し上げる次第です。本当にありがとうございました。
ただ、心残りもないわけではありません。あまりの多忙のため、お役を頂きながらあまり主体的にコミットできなかった課題もいくつかあったのは残念で申し訳なかったこととも思っています。特に死因究明制度については、高市早苗政調会長じきじきに自民党PTの座長にご指名を頂きましたが、いまだ具体的な結果に結つびけられていないのは誠に申し訳ないことです。難病PTの方が肩の荷が下りたので、急ピッチで本腰を入れて取り組みたいと思います。また、地元での活動も、街頭演説や集会等も可能な限り行いましたが、もうひと工夫ふた工夫したいところです。
この一年、倉敷産のデニムスーツをずーっと地元でも東京でも着続けました。常に地元のあることをを肌身離さず忘れずに、という気持ちで自然と続けたことです。2年目も同様の想いで、皆さまのご期待に応えられるよう、さらにアグレッシブに!様々なことに挑戦を続けて参る所存です。引き続きましてのご指導・ご鞭撻を深くお願い申し上げます。
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