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2013年8月

2013年8月25日 (日)

なぜ社会保障制度改革が必要なのか?

 8月6日に社会保障制度改革国民会議が内閣に報告書(本文概要)を提出しました。それを受けて21日に安倍内閣はその中身をいつまでに議論して法案を国会に提出するかを定めたプログラム法の骨子を閣議決定しました。

 その内容について新聞等では個々具体的な点(特に負担増になる項目)が目立って取り上げられるのですが、この改革の意図や方向性についてなかなかきちんと触れられません。ここで思うところを記しておきます。その上で、上記報告にお目通しをいただければ幸いです。

 この報告書では日本の社会保障制度を「70年代モデル」から「21世紀(2025年)日本モデル」へ変える、としています。70年代とは、右肩上がりの経済成長という環境と、お父さんは正規雇用・終身雇用、お母さんは専業主婦で子供を育て、おじいちゃんおばあちゃんは離れた地元で元気に農業、というモデルがモデルとして機能していた時代でした。その時代でできる社会保障制度として、皆医療保険・皆年金制度が設計され、遅れて介護保険制度が追加されたという経緯があります。その頃子育ては社会保障ではなく、共働きの(当時の感覚で「恵まれない」)家庭のための福祉として保育園があり、児童教育のための幼稚園は社会保障の範疇ですらありませんでした。

 その中で「働く世代で高齢の方々に楽をしてもらいたい」という思いで各種の制度ができてきました。そのココロには、ただの敬老精神だけでなく「先の大戦の時期に辛酸を舐めてこられた先輩方に報いなければならない」という当時の現役世代の気持ちが必ずあった筈です。日本の社会保障制度は実は戦後処理の一環でもあったのです。

 父・橋本龍太郎は長く厚生族としてこれらの制度設計や運営に携わってきた一人でした。その当時にできるベストのものを作るよう努力する姿を子供心に誇らしく見てきましたし、例えば「介護保険制度は、ご主人様を戦争で亡くされて一人で高齢を迎えられた方々に国を挙げて老後を気持ちよく過ごして頂きたいという気持ちがあったんだ」という言葉を本人からも聞いたことがあります。そしていろんなご関係の方々のご努力により日本は世界でも長寿の国であり乳児死亡率の低い国として今があるのです。ありがたいことと思わなければありません。

 しかしそれから40年以上が経過し、子供の頃から「高齢化社会がいずれ来る」と予言されていたことに直面することとなりました。なってみると、父と少し下の年代(いわゆる「団塊の世代」)の方々が高齢者と呼ばれる年代に一気にさしかかり、一方で自分たち現役世代は、「そういえば僕たちから以降、だんだん小学校のクラスが減っていったよね」という記憶がある程度に人数が減る自覚があり、そして同級生や下級生でも結婚してない人がまだ珍しくなくおられる状況を見れば「少子化」という言葉もリアルに感じる今日この頃です。この中で、制度創設時期と同じように「働く世代で高齢者を支える」制度は絶対に立ち行くはずがありません。

 実はすでに立ち至っていません。国・地方の債務残高が1, 000兆円を超える事態となっています。毎年の国の予算で膨張しているのは公共工事でも防衛費でもありません。毎年1兆円の自然増がある社会保障費に他なりません。要は「お爺ちゃんの医療や介護にかかる費用を、お父さんお母さんが稼ぎきれずに子供や孫に前借して払ってる」というのが今の社会保障の姿なのです。国債は日本国内の個人や民間の債権だからバランスしているという議論もありますが、子孫まで永く使えるインフラならともかく、今の世代の医療や介護の負担を子や孫に借りるのはやはり不健全な姿と言わざるを得ません。

 したがって「21世紀型日本モデル」とは、世代の枠を取り払い、若者世代に対する子育て支援も社会保障の対象とする一方、高齢の方でも稼ぎのある人や資産のある人にももう少し負担してもらおう、という方向性は一貫しているのです。「年齢にかかわらず、サポートを必要な人に対して、サポートができる人が負担する」ということを目指すものです。その基本的な考え方を、これまでの「敬老精神」ではなく世代を超えた「お互い様精神」に基づくものに変える、という言い方もできるでしょう。

 敬老精神であれば、施設に入ってもらって末永く安楽に暮らしていただくべき、ということになります。日本の社会保障はそういう風にできていました。しかし「お互い様」精神であれば、困った状態が改善したらできるだけ地域の元の生活に近いところに戻りできるだけ自立してね、ということになります。高齢者でも、もちろん重度の方が施設から追い出されるようなことになってはいけませんが、軽度の方はできるだけ在宅で自立をという方向を目指さざるを得ません。「自助・共助・公助」とはカッコいい言葉ですが、反面甘えの余地のない厳しい言葉でもあります。

 また同時に東京はじめ都市部への人口集中の中で高齢化・人口減少を迎えるため、地域ごとに直面する課題は大きく異なります。単に「都市部は若く豊かで地方は高齢化していて貧しい」ということではありません。医療・介護でもすでに地方部は高齢化がそれなりに進んでおり今後さらに加速するというわけではありませんが、今後都心の方が急速に高齢化が進行するため受け皿の見通しは深刻でする。子どもも都心では待機児童が課題となる一方、地方部では子どもが減って保育園・幼稚園の経営が困難になっています。「全国一律」を維持するためにはムダが必ず生じますし、そんな余裕はありません。だから地方に権限を移し都道府県なり市町村なりの単位で政策を考えるという分権の流れとなります。「地方の切り捨て」とか「地域間格差」という言われ方もしますが、「全国一律が当たり前」という考え方は少なくとも社会保障についてはもはや贅沢といわなければなりません。

 また国民会議報告書でも示唆されていますが、これからの社会保障はコミュニティや都市計画も含めて考えないといけないだろうと思っています。施設から地域へという動きを進める以上、「住居」「移動」がテーマの主要部分をだんだん占めるようになるからです。

 そして、せめて子や孫に負担させることはやめて、自分たちで稼げる範囲での社会保障としていかなければ、子供や孫が減っている以上絶対に立ちいかなくなるのです。「消費税が上がってもさらに負担が増えるのか、おかしいではないか」という素朴な感想を持たれる方がいますが、「今が不健全な姿なのだ」という認識は重ねて申し上げたいと思います。

 消費税の税率引き上げは、安倍総理の決断待ちです。もちろん「強い経済を取り戻す」ことは大事です。ですから熟考の末ご判断していただければよいと思います。しかし、こと社会保障のことを考える上では、もう待ったなしの状態です。振り返れば、小泉政権で年金制度改革を行った際、年金財政の安定のために国庫からの繰り入れを1/3から1/2に段階的に引き上げることを決めました。その際には誰もの頭に「財源は消費税しかないだろうなあ、、、」とありましたが決定は次の内閣に先送りされ、第一次安倍内閣の課題となりました。しかしそこで参議院選挙の敗戦とねじれ国会に直面することとなり、当時野党であった民主党も聞く耳を持たず頓挫したわけです。そして麻生内閣の際リーマンショックを受けて財政出動に舵を切りましたが、そのかわり所得税法税法附則第104条で消費税を始め税制改革の方向性が示されました。そして民主党政権になりましたが事情は変わらず、菅総理が口火を切り野田内閣で三党合意となり今に至るわけです。再び安倍総理にバトンが渡った今、適切な判断がされることを願うばかりです。そしてそれだけでも問題はさっぱり解決せず、上記の方向の改革を具体化していかなければなりません。個人的には、父親が作った制度を時代に合わせてリフォームするのが僕の仕事だと思っています。たとえ「負担増」とか「生活が苦しくなる」とか叩かれても。

 僕は、そんなに日本の将来を悲観していません。今と全く同じ水準の社会保障サービスや経済が維持できるかというと難しいとは思います。高齢者もさらに増え、そのうち僕もその仲間入りをします。その中で、楽をしたい、国に頼りたいと思えば欲にキリはありません。一方で、80歳でエベレスト山頂に立った三浦雄一郎さんも出現したのです。チャレンジをしようと思えば歳にキリはありません。そしてチャレンジしようとする人はみんなが喜んで支えます。そういう「チャレンジを背景とする支えあい」ができればいいなと僕は思いますし、国民一人ひとりの方がどちらを選ぶかという問題だと思っています。

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2013年8月15日 (木)

終戦記念日にあたり

 今日8月15日は終戦記念日。今年は岡山県護国神社にお参りし、終戦の詔書奉戴日本興隆祈願祭に参列いたしました。その来賓としてのご挨拶で申し上げた内容を、おおむね思い出してここに記しておきます。言葉足らずやご批判もあろうとも思いますが、今の気持ちです。

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 本日ここに、多くの皆さまのご参列により終戦の詔書奉戴日本興隆祈願祭が開催されましたこと、ご英霊もさぞおよろこびのことと存じます。誠におつかれさまでした。先ほど終戦の詔書の朗読(いわゆる玉音放送)を皆さまと共に拝聴しましたが、多くの大事な言葉がたくさん含まれています。特に「耐え難きに、耐え」の部分で、ワンテンポ間が空きます。ここに昭和天皇陛下が万感の思いを込められているのではないかと思いながら、拝聴いたしました。そのお気持ちに応えていかなければならないという思いを新たにいたしました。

 ひとつ具体的な話をさせてください。社会保障の分野では「自助・共助・公助」という言葉が言われています。まず自分の身は自分で支える。それが難しいときにはお互いに支えあう、こういう順番で物事を考えようということです。この考えは多くの方が受け入れていると思います。

 しかし、安全保障の分野では、日本国憲法はそのようになっていません。まず他の国に頼ることになっています(前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」の部分を指しています)。制定当時は占領下でしたから、この文言を受け入れざるを得なかったのだろうと思います。しかし終戦から67年を経、状況は変わっています。私は自らの身はまず自らで守るように、我が国の行動規範である憲法を直していかなければならないと考えます。いろいろなお考えはあると思いますが、前に進めてゆくことをお誓いします。

 先の大戦では国を護るために戦地において、あるいは巻き込まれて多くの方が命を落とされました。今日そのご英霊に対し、国を受け継ぎ守ってゆく気持ちをご参列の皆さまとともに新たにする機会をいただけたことに感謝を申し上げ、ご英霊の御霊安らかならんことを祈り、ご挨拶といたします。誠におつかれさまでした。

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2013年8月11日 (日)

久しぶりに、落ち着いた残暑

 暦上は立秋を過ぎていますが、残暑が猛烈に厳しい中、いかがお過ごしでしょうか。しばしば「忙しいでしょう」と声をおかけいただきますが、参院選後の臨時国会も終わり、お盆明けまで東京では特段の動きはなく、橋本がくも地元でのあいさつ回りや街頭演説、そして夜は各地の夏祭りや盆踊りに精を出しています。

 先輩議員の方に聞いてみると「こんなにゆっくりするのは久しぶり」とのこと。確かに、これまで8月~9月は政局的にそわそわすることがほぼ毎年あったのです。簡単に振り返ってみると、

2005年8月 郵政選挙
2006年9月 自民党総裁選、第一次安倍内閣発足
2007年9月 7月の参院選敗北を受け安倍総理辞任、自民党総裁選、福田内閣発足
2008年9月 福田総理辞任、自民党総裁選、麻生内閣発足
2009年8月 政権交代選挙、9月鳩山内閣発足
2010年9月 民主党代表選(菅内閣)
2011年8月 菅総理辞任、9月野田内閣発足
2012年9月 民主党代表選、「近いうちに解散」発言でそわそわ

 とまあ、こんな感じで8月~9月は毎年!政局の季節だったわけです。

 今年は先の衆議院選挙、参議院選挙により、安倍内閣にねじれの解消という結果をお与えいただきました。これは経済・景気をどうにかしてほしいというお声とともに、政治の安定を望む多くの方のお気持ちもあったのだろうと思います。そしてこの先安倍政権は、消費税増税やTPPなどをはじめ多くの政策的課題に対峙していかなければなりません。そのためにも、政局的な動きをしなくてよい残暑が迎えられるというのは、本当にありがたいことです。内閣も国会議員も人間である以上いい仕事をするためには休養も必要ですし、準備も必要です。とても久しぶりに総理が変わる心配のない秋で、国中もある意味でひと安心といえるのではないでしょうか。

 安倍総理も約10日の休みを取ったとの報道があり、「近年にはない」といった表現がつきますが、毎年夏休みが政局模様だった近年が異常でした。政治の安定をご選択いただいた多くの皆様に感謝の気持ちを持ちながら、次の政策課題に充実して取り組めるようこの期間を有意義に使わせていただきたいと思っています。9月上旬には海外出張の予定もあります。しっかり勉強してきます。

 暑さには十分ご注意いただき、よい夏休みをお過ごしください!


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2013年8月 3日 (土)

お祭りに伺えるありがたさ。

2日に臨時国会が開会しました。フレッシュで意欲にあふれる新人参議院議員の方々を迎えて、負けないように頑張ろうと改めて思いました。今国会では法案審議等はしないようですが、概算要求や社会保障国民会議の答申などに関し、要望活動や自民党での会合も盛んに行われています。
また、週末は倉敷・早島では夏祭りや盆踊りが各地で賑やか。とても全部は回り切れませんができるだけお伺いするように頑張っています。ありがたいことです。

昨日、議員会館の廊下で、岩手県沿岸部を選挙区にもつ代議士に「今週末は盆踊りとか回るんですか?」と何気なく会話の中で尋ねたら、「うちはお祭り無くなっちゃったんです。昔は数日間やってたんですが、最近は過疎で人がいなくなっちゃって1日になっちゃって。それで被災してみんなバラバラになっちゃってお祭り無くなっちゃったんです。」と。正直、返す言葉がありませんでした。まだまだ復興なんて簡単には言えません。

倉敷に戻ると、ごく普通にお祭りがあちこちであります。もちろん運営に当たられる方には多くのご苦労を乗り越えて開催されていることには深く敬意を表します。倉敷でも「近所から苦情が出たから町内の祭りやめたんじゃ」という例があったことも承知しています。だけど、やっぱり無事息災でお祭りが迎えられることはしみじみとありがたいことだなと思いながら、伺わせて頂く次第です。

盆踊りはもともと亡くなった方を供養するためのものでした。そんなことも頭の片隅に置いて頂きつつ、どうぞしっかりお祭りシーズンを楽しんでいただきますように。

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