ネット選挙運動の真の効果とは?
参議院選挙、岡山選挙区石井まさひろ候補をはじめ、与党の多数の候補者を当選させていただき、安倍政権に対して安定的な政権運営を可能にする多数の議席をお与えいただきました。ご支援いただいた皆さまに、深く感謝申し上げます。その後のあいさつ回りなどでお話を伺う中で、衆院選時同様の期待感を感じます。一方でまだ「期待感」であり「実感」は必ずしも伴っていないとおっしゃるかたも少なからずおられます。安定した政権で、じっくり腰を据えて日本の経済や社会保障を立て直してほしいという多くの方のメッセージが今回の結果に込められているものと思います。これからが本当に仕事。がんばります。
さて、この参院選からネット選挙運動が解禁となりました。これについて、現時点で提案者の一人である橋本の感想を以下に記します。
■そもそも法改正の趣旨は「情報の充実」と「有権者の政治参加」
マスコミ報道を見ると「低調」「盛り上がりを欠く」といった評価が主流のようです。ただ、法案提案者の一人として、同時に政党人として候補者をサポートした立場としては、異論を挟みたくなります。
●論争低調、双方向生かせず=ネット選挙「益なし」指摘も【13参院選】時事通信 7月20日(土)14時40分配信
●2013参院選 ネット選挙区ウオッチ 一方的発信 盛り上がり欠く産経新聞 7月21日(日)7時55分配信
また、ネットが投票行動の参考にあまりされなかったという指摘もあります。
●ネット選挙、有権者冷ややか 「参考にした」わずか1割msn産経ニュース 2013.7.22 10:57
これらの評価が間違っているとも思いませんが、ある種の価値観に支配されている気もします。まず法改正時の趣旨説明では以下のような目的が挙げられています。
本法律案は、近年におけるインターネット等の普及に鑑み、選挙運動期間における候補者に関する情報の充実、有権者の政治参加の促進等を図るため、インターネット等を利用する方法による選挙運動を解禁しようとするものであります。現行の公職選挙法では、インターネット等を利用する方法による選挙運動は禁止されているため、選挙運動期間中、候補者、政党等はみずからのウエブサイト、ブログ、ツイッター等の更新を控えなければならず、また、電子メールによる選挙運動もできないといった不都合が生じております。これを解消して、政見や個人演説会の内容、演説会や活動の様子を撮影した動画など、選挙に関し必要な情報を随時ウエブサイトや電子メール等で提供できるようにし、有権者のより適正な判断及び投票行動に資することが必要であります。
あわせて、候補者、政党等以外の者、すなわち第三者のウエブサイト等による選挙運動も解禁することで、選挙運動期間中、第三者がウエブサイト等で候補者や政党等を支持したり応援したりすることができない不都合を解消し、選挙に対してより積極的に参加することを可能にすることが必要であります。
ということで、法改正の目的は「選挙運動期間における候補者に関する情報の充実」と「有権者の政治参加の促進」です。そういう意味では、内容はともかく各候補者が競っていろんな情報をブログやSNSにアップしてネット上の候補者に関する情報が充実したことは、評価されるべきだと思います。同時に、SNS等で一般有権者の方が選挙に関する情報発信も積極的に行われました。これも評価されるべきでしょう。
ただ、取り組み内容については当然初回で試行錯誤だったので、有効な戦術・無効な戦術・むしろ逆効果になったもの、いろいろあるでしょう。それはもう少し時間をかけて検証すべきことと思います。
有権者が「あまり参考にしなかった」ことは、候補者側により戦術の練り直しが必要ということも言えます。同時に、何を根拠に投票先を判断するかはそもそも有権者の自由であり、またそれこそデジタルデバイドの問題も絡みます。言い方を変えれば、ネットでの選挙運動という初めての試みに対して「なんと1割も参考にした人がいた」という評価の仕方もありうるかもしれません。できれば他のメディア(テレビ・新聞等のマスコミ、口頭や電話による口コミ、ビラや街頭演説など既存選挙活動、など)と比較してみたいところであり、一概に「だからダメ」と決めつけるのも如何なものかと思います。
あまり「参考にされなかった」という評価が先行すると「じゃ、ネットはムダだからやめよう」という話にもなりかねません。今回の参院選では、すべての立候補者は、未知のルールによる選挙に初めて挑むチャレンジャーでした。9割以上の候補者が期間中にツイッターやフェイスブックを使っていたと言われています。その努力はまずきちんと評価していただきたいと思います。
■「選挙期間中の政策論争がない」はナンセンス?
上にあげた記事は、「政策で投票先を選ぶべき」という理念が前提にあります。そもそも「政策で投票先を選ぶ」ことを実現するために衆議院選挙において小選挙区比例代表制の導入がされ、政策を掲げる政党を選ぶ形の選挙制度になりました。それ以来の金科玉条であり理念としては崇高なことだと思います。しかし、この理念には三つの限界があります。一つ目は政党が政策を決め候補者はそれに束縛されるため、候補者は自由に政策を語る主体になれない(極端に言えば、政党の代弁者にしかなれない)こと、二つ目は、選挙時に掲げた政策が実行される担保が(次の選挙まで)なく、現実にマニフェストは破られるものの代名詞になってしまったこと、そして三つ目は必ずしも有権者は政策だけでは投票先を決めないこと、もしかしたら政策で投票先を決める人は実は少数かもしれないこと、です。
僕が所属している公益社団法人倉敷青年会議所では、国政選挙や市長選挙のたびに候補者をお招きして政策討論会をほぼ必ず行います。候補者として壇上に立ったこともありますし、現場責任者として運営にあたったこともあります。討論に意味はあったと思いますし、聞いていただいた方には参考になったとも思います。同時に、運営者の時に一番苦労したのは、はっきり言って集客です。本当に関心がある方はお運びいただけますが、仮にホールを満員にしても全有権者の数と比較するとごくわずか。もちろん運営者としての反省も多々ありますが、こうした状況を候補者サイドから見ると、政策の議論に貴重な資源(特に時間)を割くことは合理的な行動では無いと判断されても仕方ありません。
またこういう風潮を反映してか、例えばネット選挙運動解禁を積極的に推進した新経済連盟の三木谷会長は、今回政党ではなく候補者ベースで推薦候補を発表しました。その他にも「人物本位で」といった推薦例はちらほら見かけます。「政策で投票先を選ぶ」という理念だけでは、現実は語れなくなってきています。あるいはたとえば「子育て政策を重視する候補者を」といった選び方や訴え方は、政策を訴え政策を選んでいるようで「政策セット」を選んでいません。個々の政策は他の政策との関係や予算とのの中で考えなければ現実的な意味はありません。「子育て重視!」というだけではただのスローガンなのです。これは「政策」というものの捉え方の問題です。
候補者の立場からしても、現行公選法上、選挙期間は有権者に対する「投票のお願い」が許される貴重な時間です。政策に関する意見表明や有権者との双方向のやり取りは、政治活動としていつでも可能です。その限られた選挙期間中に、当選を勝ち取るためにとにかく「一票のお願い」に死ぬほど注力するのは制度上合理的な行動です。同時にその期間中のみを切り取って「政策論争が無い」という評価もまたおかしいと思います。短い選挙期間で多岐にわたる政策に関する思いを語り、討論するのは困難です。そして仮に、有権者や他候補との政策討論を経て考えを変えたら「ぶれた」と非難をされます。ですから討論しているようで意見の言い合い以上になるわけがありません。
なお、政党ベースの政策は、候補者同士の討論よりも、党首討論等の方がはるかに後々には意味があります。こうしたものもテレビやネットでも誰でも見られるようになりました。それもあわせて考えるべきでしょう。
こうしたことを考えるときに、そもそもネット選挙運動の評価基準として「政策論争がない」といった要素を挙げることは、実はナンセンスなのではないかとも僕は思います。
■ネットで真に共有すべきは…
今回、実に皮肉に感じた現象があります。東京選挙区における山本太郎候補の当選(および緑の党グリーンズジャパンの三宅洋平候補の善戦)と、鈴木寛候補の落選です。民主党公認候補だった鈴木寛前参議院議員は、ネット選挙解禁の公選法改正の民主党の担当者の一人であり、間違いなくネット選挙解禁の立役者の一人でした。その民主党がみんなの党と共同提出した公職選挙法改正案の対案の趣旨説明では、以下のような記述があります。
私たちは、選挙の主役は、政党や候補者ではなく、一般有権者であると考えており、国民本位、主権者本位のインターネット選挙運動の解禁が必要であると考えております。そこで、本法律案では、電子メールを利用する方法も含めて、一般有権者、政党、候補者全ての者がインターネット選挙運動を行えるようにし、インターネット等を通じて皆が熟議する新しい政治文化をつくることを目指しております。
「熟議する新しい政治文化」という理念は、法案審議中も民主党・みんなの党案提案者の口からも何度も語られました。おそらく、今回の選挙戦中、ネット選挙解禁の立役者として鈴木寛候補はそれを実践しようと努力したものと思います。しかしその前に立ちふさがったのが山本太郎候補でした。彼の演説やネット上での言動は、原発や放射能についての政策を語っているようで、実は恐怖心をはじめ感情に訴えるものが多く、「熟議」という言葉から最も遠いものと僕個人としては思っています。鈴木寛候補に対するネガキャンでもそのように感じました。また山本候補とコラボレーションした三宅候補の「選挙フェス」は、実に多くの若者の「共感」を得、ネット上で拡散され、そして落選したものの17万票という得票を得ました(歌手の歌を無料で聞かせるのは、過去の判例からすると買収罪に該当する恐れも高いのではないかとは思いますが…)。これも「熟議」とはほど遠い。しかし彼らがもっともツールとしてのネットを前向きかつ有効に活用したと思います。
結果として鈴木寛候補は落選、山本太郎候補は当選。皮肉で痛ましい結果と感じざるを得ません。残念ながら「熟議」は「感情」に敗れ、ネット選挙運動解禁の立役者は舞台を去らざるを得なくなったのです。政党は異なりますが、鈴木寛先生には再起の日が来ることを願ってやみません。
■ネット政治こそが大事。
要するに、ネット上でもリアルでも、選挙運動は実は「政策」を訴えるよりも「共感」を目指す方が合理的だということです。政策を訴えているようで、「実直に政策を訴えて偉いひとだな~」という共感を得ているのです。正直、「人間の行動は理屈よりも感情が優先されることが多い」というシビアな現実に立脚した人が、選挙は強いです。だから誰も聞いていなくても辻立ちをするのですし、「あべぴょん」は面白いから多数のダウンロードがあったのです。どうもマスコミはそこを敢えて見て見ぬふりのはなぜなのでしょうか。
一方で、感情だけで政治が左右されるのは極めて危険なことです。誰かを悪者にし、それをやっつける政治が快哉を叫ばれる世の中に、僕は日本がなるべきだとは思いません。客観性や多様な視点を含む論理的な議論と納得に立脚した政策の実行こそが、望ましい政治の姿だと思います。そして、時間をかけたネットの双方向の議論は、選挙ではなく政策立案・実現プロセスにこそ生かされるべきだと僕は信じています。だからこそ「政治家はメディアだ」なのです。
その意味で、「ネットを政治活動にどう使うか」こそが今後問われるべきだと思います。実は、今回の「ネット選挙運動解禁」の真の意義は、候補者、そして当選して議員になった人のネットリテラシーを確実に向上させたことかもしれません。以前、僕が当選一回の時に「ネットが使えない候補はどうするんだ!」と机をたたいて怒鳴りネット選挙運動解禁に断固反対していたある自民党議員が、今回の参院選でブログ、フェイスブック、ツイッター等を使いこなして当選されたという実に香ばしい事実がそれを物語っています。
初のネット選挙運動解禁の選挙戦を戦い勝ち抜いてきた議員諸兄姉が、今後どのような政治活動をネット上で展開していくのかこそ、僕は注目すべきことだろうと思います。もちろん他人事じゃなくて、僕も積極的に取り組みますけども。
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