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2012年12月

2012年12月30日 (日)

今年も一年お世話になりました。

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 26日に特別国会が召集され議員バッジを再び胸につけていただいた。衆議院本会議も以前は最前列だった議席が中盤まで下がった。議員会館の事務所の準備や、同期当選で同じ期間の浪人で共に苦労を味わった懐かしい面々や新たに議員になった面々との顔合わせなどで3日間の会期はあっという間に終了。28日に戻ったその足から、年末の消防団夜警の激励訪問を始めて今日が最終日。息つく間もなく歳末を迎えることとなった。

 振り返ってみると、今年一年は本当に選挙に向けて活動や会合を積み重ねてきた一年だった。年初から地域後援会の会合を重ね、6月には河野太郎衆議院議員をお迎えして演説会などを行った。8月にアイビースクエアにて「出陣の集い」を催し、9月に自民党総裁選があり安倍体制がスタート、10月の岡山県知事選挙がリハーサルのような形になり、突然の11月16日の衆議院解散を迎え、12月16日の投票日となった。年始の時点ではこんなスケジュールになると予想できていたわけではなかったのだが、振り返ってみるとそういう一年を過ごし、今こうして岡山県第四選挙区選出の衆議院議員として議席をお預かりする身となったのが少し不思議なようにも感じる。いろんな機会でご縁を頂いた多くの方々のお気持ちとお支えのおかげであり、感謝の思いで一杯である。

 年が明けたら、いよいよ議員としての活動スタートだ。解散の影響ですでに税制改正の議論や予算編成作業は一か月遅れており、7日の週から党の部会や税調の議論は始まる。安倍内閣も年内からフル稼働して、デフレ脱
却や経済再生に向けて動き出している。お約束した「5つの約束」の実現に向けすぐにも動き出す。と同時に、地域や後援会の皆さまにもきちんと活動のご報告もしてゆきたい。倉敷・早島と東京を行ったり来たりの落ち着かない生活が続くことになるだろう。慌ただしいが望んだ道だ。平成25年を「日本を取り戻す」元年とすべく、フル回転する覚悟である。

 と、同時に、いま感じている感謝の気持ちを忘れたくないなとも思う。津波被災地である岩手県釜石市箱崎地区で溝掘りのボランティアをした直後にこんなことを書いている

 一つだけ言えること。少し前、東京で現職の議員の方々とお目にかかったが、とても疲れた顔をしていた。遠野のボランティアの方々の表情にはみな充実感を感じた。例え体は筋肉痛だらけで汗まみれで汚泥臭くても。  誤解して欲しくないのだが、単純に「政治は汚くてボランティアが美しい」とか言いたいのではない。それぞれの役目があり、得失利害がある。両方の経験者としてそう思う。  ただとりあえず僕は、今ボランティアの立場にいられたことにとても感謝したいのだ。本当に貴重な幸せな体験をさせてもらった。ボランティアで一緒に働いた方々も、遠野の方々も本当にいい人ばかりだった。仲間が一杯できた。岩手行きを許してくれた僕の周りの方々や拠点などを用意してくれた倉敷市や社協の方々、先陣の方々にも感謝。その体験を国会に持って行き活かしたいと願う。これが今回の活動の感想だ。         
 初心忘れるべからず。改めて肝に銘じたい。

 どうかこのブログをご覧の皆さまも、良いお年をお迎えになりますように。今年一年のご愛顧に感謝をこめてお祈り申し上げます。

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2012年12月21日 (金)

当選してから。

 選挙が済んで、ドタバタと一日一日が過ぎていく。気がついたら年末のあいさつをする時期になってしまっていた。まずはお礼にあちらこちら足を運ぶが、まったく追いついていない。「まだうちには来ないぞ」とお思いの方も少なからずおられると思う。誠に申し訳ありません。また、街頭演説も再開している。安倍総裁は速やかに日銀・白川総裁と懇談し、速やかに政府・日銀の協調を引き出すことができた。迅速な対応は心強い。マーケットの期待も高いようだ。そんな中、当選を果たしてからの出来事について、いくつか記したい。

○当選証書を受け取った!

 さる19日、岡山県庁において小選挙区の当選証書を受け取った。授与式の会議室に入ると、5つイスが並んでいて当選者(代理含む)が座り、岡山県選挙管理委員会岡本委員長から、一人ずつ順次受け取る。比例で当選の場合は東京の総務省まで受け取りに行くことになるので、改めて小選挙区の倉敷・早島の皆さまに選んでいただけたことを実感した。この感動を胸に刻み全力を尽くす思いだ。

 一方、議員会館から落選した議員が引っ越ししている報道を見た。3年前にまさに僕もやったのだが、とても寂しいものだ。僕の場合、確か議員会館の事務所は4日以内、議員宿舎は1週間以内の退去だった。落選した翌朝真っ先に電話したのは引越屋さんだった。そんなことを思い出す。当選したからと言って浮かれてはならない。

○お礼のあいさつを書くのは禁止!

 公職選挙法第178条(選挙期日後のあいさつ行為の制限)という法律がある。頭ではわかってるんだけど、ついこの時期に何かを書くと感謝を表現したくなってしまう。だって感謝したいんだもの。しかし法律は法律。Facebook(とその記事が流れるTwitter)にてお礼と受け取られる表現をしてしまい、削除する破目になった。またいくつか依頼されていた原稿でも、文章の修正を余儀なくされた。同じ間違いを再びしないために記しておく。おそらく、条文は「お礼のあいさつ」と称して選挙運動まがいのことを行う行為を禁止しているのだろうと思われるが、インターネットを利用した選挙運動の解禁とあわせ、再考の余地はあるだろう。

○さまざまなご祝意、ありがとうございます!

 とてもありがたいことに、電話からメールからコメントまで様々な形で祝意をお寄せいただいており全く対応が追い付いておらず、うれしい悲鳴状態である。とくに、旧知の方が久しぶりに消息を下さるのはしみじみうれしいこと。いろいろな方とのご縁に支えていただいて自分がこの場にいることを改めて感じ、やはり感謝の一語に尽きる。またどこかで生物の話で盛り上がれるといいですね(^_^) > ある方へ

○登院は26日

 登院して議員バッジを預かるのは週が明けて26日。ついに戻るぞ!いよいよやるぞ!という強い思いでワクワクしている。ご支援いただいた皆さまの期待に背を押され、ご支援いただけなかった皆さまの叱咤を肩に背負い、国のために頑張りたい。

○追伸。

 選挙前に「橋本は離婚したらしい」という噂が流れたのだそうですが、事実ではありません。子育てに手がかかるためあまり表には出ていませんが、当選をともに喜んでいます。しかし一体、誰がそんな噂を流すんでしょうね。

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2012年12月18日 (火)

当選を果たさせていただきました。

 今般の衆議院総選挙において、多くの皆さまのご支援をいただき、91,155票の得票により岡山県第四選挙区の小選挙区で当選を果たさせていただきました。特に浪人中、多々ご迷惑をおかけしたにも関わらず一丸となってご支援をいただいた皆さまへの深い感謝の思いを胸に刻み、これからは議員としての活動に邁進する所存です。本来はここでお礼を申し上げるべきですが、公職選挙法およびその総務省の解釈により差し控えます。お察しいただければ幸いです。

 個人的にも本当に7年越しの悲願であった小選挙区での当選であり、正直うれしい気持ちがどうしてもこぼれます。多くの皆さまからもお祝いの言葉やメッセージを賜り、喜んでいただけることも本当にうれしいことです。と同時に、倉敷市・早島町の代表として国会に行く責任の重さをひしひしと痛感しています。自民党全体としても多数の議席を預かり、またご推薦を頂いた公明党とも合わせると衆院の3分の2を超える議席をお預かりするため、それだけ国政運営に重い責任を担うこととなり、本当に身の引き締まる思いです。

 しかし自民党としては得票率は前回と変わっていない(小選挙区制と政党乱立の結果として、議席数が増えた)こと、全体の投票率が下がったこと、それに伴い自分自身も実は得票数は減っていることなど、課題も少なからずあります。民主党が信頼を失い、「第三極」政党がその受け皿にならなかったための選挙結果とも考えられます。もし僕や自民党が多数議席に驕ることがあれば、たちまち次回選挙で厳しい評価を下されることとなるでしょう。

 落選中の経験や学びを忘れることなく、常に初心に立ち返り、五つの約束を通して「日本を、取り戻す。」ために全力を尽くす所存です。引き続きのご指導・ご鞭撻をよろしくお願い申し上げます。

 なお、メールやコメントなどにより多数の祝意を頂いておりますが、てんやわんやな状況のため返信が追い付いていません。こつこつお返しするつもりですが、遅延のご無礼の段、お詫びを申し上げます。どうぞご容赦くださいませ。

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2012年12月 3日 (月)

出陣にあたり

 いよいよ明日、衆議院総選挙の公示。現行の公職選挙法ならびにその解釈により、Webサイト、ブログ、Facebook、Twitterなどの更新が制限されます。不合理であり法改正すべき点ですが、とりあえず現行の法律に従うべく、これ以降の更新や操作は控えます。

 振り返ってみれば、前回総選挙の敗戦が決まった時、敗戦の弁で「捲土重来を期す」と発言をして僕の再挑戦は始まりました。これは誰にも相談しない自分の心の声として出た言葉でした。以降、多くの方々にご心配とご迷惑をおかけしながら、しかし陰に日向にお支えをいただき、浪人生活を送ることになりました。突然社会的立場と収入をなくしたことにより、家族やスタッフにも不安や迷惑をかけたし、トラブルもありました。ただ、今は落ち着いて後顧の憂いなく政治活動に全力を注げる状態になっていることは、本当に感謝しています。

 浪人期間中、町内会長からJCの副委員長、あるいは各種法人の役員などを経験することで様々な学びをし、貴重な人のつながりを頂けました。東日本大震災に際しては、物資・資金のご協力をいただきトラックを出して福島まで運んだり、一人のボランティアとして釜石市に行きスコップと猫車で道路の側溝堀りをしました。泥に交じって、瓦や食器の破片やファックス機やお人形など生々しい「生活の欠片」を掘り出した経験は、浪人だったからこそ出来たことです。

 そして、街頭に立っている時に手を振って激励してくださる方に励まされ、ご挨拶すると「今度は頑張って!」と言って下さる方に力をいただき、さまざまな形で僕に付き合い、支えて下さった方々のおかげで、何があっても途中で心折れることなくこの日を迎えることができました。この有り難さはバッジをつけたままでは感じることができなかったでしょう。浪人になったこと自体は申し訳ないことですし、不本意なことでした。しかし楽しいことばかりではなかった中にも、充実した3年間だったとは自信を持って言えます。その間に頂いたすべてのお心遣いに対し、心から感謝を申し上げます。

 しかし浪人生活は手段なのであって、目的は国政に復帰してしっかりと国のために仕事をさせていただくことです。何としても今度こそ当選を果たし、皆さまのご期待に応えなければなりません。浪人もそう何回もできません。小選挙区で二連敗中の僕にとっては、いよいよ背水の陣です。

 この選挙戦は、政治への大きな希望を失望に変えた民主党政権3年間の総括を問うものであり、「橋本がく5つの約束」および「自民党政権公約」を軸に、温かい、やさしい、世界の中で存在感のある、そして元気と希望溢れる「日本を、取り戻す。」ための戦いです。間違った方向に進んだ針は一度戻し、正しい方向に進め直さなければなりません。そして私個人としても、これまで橋本をご支援いただいた皆様の気持ちを筆頭に、この2年間を賭けた決して敗けられない戦いです。

 辛い時の心の支えの一つになった名刺を紹介します。落選直後に先輩の河井克行前衆議院議員より頂いたもので、机の横に飾って常に眺めていました。「一人でも多く、一回でも多く、一分でも多く。がんばって!」とあります。あとわずかになった許される期間中、この教えを全力でやり抜くのみです。
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これまでのお支えに重ねて深く感謝を申し上げながら、より一層のご支援を心からお願い申し上げます。
勝つぞ!!

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