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2012年10月

2012年10月29日 (月)

県知事選は喜ぶべき結果ではない

 岡山県知事選挙は、僕も支援した伊原木隆太候補の当選という結果で幕を閉じた。知事に就任するこれからが本番なわけであるから、ご支援頂いた方々への感謝を忘れず、能力・経験を生かして岡山県の教育の建て直しや産業の活性化に邁進していただきたいと願っている。また同日に行われた衆院鹿児島3区の補欠選挙でも自民党公認の宮路和明候補が当選し、与党から議席を奪還することができた。とりあえず結果だけみるといずれも僕の立場からすれば喜ぶべき結果であった。ご協力いただいた皆様には心からの感謝を申し上げたい。

 ただ、本当に喜んでよいのか。倉敷市を例にとって数字を検討してみよう。今回の岡山県知事選では倉敷市では伊原木候補は74,632票の得票であった。2年前の参議院選挙で当時の山田みか候補は74,240票を得票している。すなわち、保守系陣営としては実は2年前の参院選とほぼ同じ得票しかできていないのだ(もちろんそれだけ山田みか候補が善戦したという言い方もできる)。勝敗が異なる理由は、参院選では江田五月候補が110,202票を獲得したのに対し、今回の一井暁子候補が32,619票しか獲得できなかったことだ。その違いは概ねそのまま投票率の違いになっており、同じ倉敷市で参院選は54.67%だったものが知事選では31.69%と20%以上も異なっている(なおこの倉敷市の投票率は岡山県下でも最低値だ)。ちなみにその前のH19年参院選では、片山虎之助候補は86,004票も獲得したにも関わらず、姫井由美子候補が103,119票を獲得したために敗北している。

 要するに今回の知事選は、伊原木候補は懸命の活動の結果保守系としてそれなりに票を獲得したものの、「いつもより票を伸ばした」「支持をいつもより多く集めた」訳ではない。むしろ以前革新系に投票していた人が投票に行かなかったために、過去勝利した選挙のわずか3割程度しか一井候補が得票できなかった大敵失の結果であり、保守系として喜んで嬉しがるような勝利ではない、ということである。

 投票率低下(≒一井候補の得票数が伸びなかったこと)の原因は、無党派を標榜した一井候補の戦術が裏目に出たとも考えられるが、そもそも国政の混乱により政治への期待が薄まったこと、特に与党・民主党への不信が強く出たとも言えるだろう。しかしまだ自民党も期待を高めたと結論づけることもできないのだ。鹿児島3区補欠選挙での宮路候補の苦戦も、やはり同じように戒めをもって捉えるべきであろう(とはいえ天下の与党の輿石幹事長が敗戦を「善戦した」と総括するのは、もはや微笑ましい話である)。

 いかにして失われた政治への信頼を回復するか。今日の所信表明演説にて野田総理がいかに「明日への責任」を口にしても、過去の問責決議や「近いうち」の約束を踏み倒して棚に上げている間は空疎な文句にしか聞こえず、彼らに期待するだけ無駄だ。かといって石原新党や橋下維新の会が、過去に日本新党や民主党が起こしたようなブームが起こすような気も正直しない。むしろ一井候補の結果を見ると、今の無党派層は新しげなイメージづくりや度重なるワンフレーズ、レッテル張りなどによる期待の膨張と裏切りに疲れて、あるいは党派対立により動かない政治に飽き飽きして、そもそも政治に何かを期待することをやめてしまっているようにすら思われる。だとするとブームなど起きようもない。

 やはり自民党としても、また僕自身としても、奇をてらうことなく、骨太に地道に筋道を通してコツコツと活動を続け、誠実に想いを訴えていくことが、結局は遠いようで近道なのではないか。「今度こそ!」の想いを胸に、来るべき時に備えたい。

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2012年10月10日 (水)

岡山県知事選挙告示前夜

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 明日11日から岡山県知事選挙が告示される。僕はいばらぎ隆太さんの自民党選対のメンバーとして活動しており、28日の投票日目指して必勝を期して活動を続ける。明日の出陣式ではガンバローコールの発声という大役があるので、まずそこで気合を入れ直さねばならぬ。

 今回の知事選は、16年県政を支えた石井正弘知事の退任を受け、新人4氏で争われる構図となった。時代は地方の自立へ向かっており、これからの県政は岡山県が持つ個性や特質を生かして地域間競争に生き残ることを目指さなければならない。広島でも香川でも鳥取でもなく、あるいは大阪でもなく福岡でもなく、岡山!が選ばれるように努力しつづけるのが仕事だ。財政の厳しい中限られた資源を選択と集中でメリハリをつけて投資に回す判断が求められる。とすれば、仕事は「地域経営」以外のなにものでもない。だとすれば、今回の候補者の中で「経営」に経験と実績を持つのはいばらぎさんだ。これまで中央省庁出身者が占めてきた岡山県知事の座に、民間企業出身のいばらぎさんが新風を吹き込むことを期待したい。

 ちなみに「しがらみがない」って美点なのか。人間だれしも親をはじめ他の人のお世話になって現在があるはずだし、その関係を「しがらみ」と表現して切り捨ててしまう人はただの恩知らずなのではないか。もちろん、公職の立場を利用して不当に特定個人・団体のみに利益を与えることは誰でも厳に慎まなければならないのは当然である。でも、個人的にはいろんなものを背負っている人の方が信頼できると思う。

 閑話休題。で、最近どうも自民党総裁選挙とか岡山県知事選挙など、大事ではあるが自分ではない選挙に時間をとられてしまうわけだが、「近いうちに国民の信を問う」野田総理が約束した(それから2か月くらい経過しているが…)衆議院総選挙への準備も少しずつ進めている。先日は後援会の会長・役員会議を開催させていただき、選挙に向けた基本方針などについてお話ししお願いさせていただいたところだ。この岡山県第四選挙区では、先日、共産党も候補予定者が発表されたし、日本維新の会も準備している。「国民の生活…」の方の立候補という噂まである。ただ、どなたが何人立候補されても、やることに変わりはない。切実な思いを汲む政治を目指し、一人でも多くの方にお目にかかり、お話をし、手を握り、思いを訴えさせていただくことを積み重ねるのみだ。

 政府与党が臨時国会を開こうともせず、党首会談の呼びかけもなく、全く与党としての責任を果たそうとしないのは全く残念なことだ。仕事したくないのであればいつでも代わる準備はあるが、その気配もない。ただサボタージュの状態だ。尖閣・竹島の問題やオスプレイ問題を始めとする外交・安全保障の問題にはいささか無頓着な対応によりむしろ事態を悪化させているし、社会保障国民会議や衆議院定数是正問題の解決に取り組もうとする姿勢も見せない。公債特例法案はどうする気なんだろう?復興予算の流用問題について国会審議を提案したところ、民主党議員が欠席して流会となった。他人の批判にさらされるのは全力で回避するわけだ。その割にノーベル賞を受賞した山中教授に早速お祝いの電話をかけたり、アマレスの吉田選手に国民栄誉賞の検討をするなど、他人の栄誉に便乗することにかけては抜け目ない。やれやれ、である。

 かかる政権を戴くことは日本にとって誠に不幸という思いが募る。とはいえ浪人中の身、志を胸に秘めて日々努力を続けるのみだ。朝晩冷え込む中、風邪などには十分ご注意をしてお過ごしを。

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