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2012年3月

2012年3月30日 (金)

年度末の節目にあたり。

 3月に入ってから、いくつかの大学から幼稚園・保育園までの卒業式・卒園式にお招きをいただき、出席させていただいた。どの式も、それぞれの校風にふさわしい式で、心動かされるものがある。長女の中学校の卒業式での「感謝のことば」にはやはり胸が熱くなりました。

 また、ある保育園の卒園式で気が付いたのだが、今年保育園・幼稚園を卒園・卒業する子供たちは平成17年度生まれの子供たち。自分の身に置き換えると、ちょうど郵政解散の時、会社を辞めて立候補したのが平成17年夏のことであった。その時に生まれた赤ちゃんたちが成長して小学校にあがる節目がこの年度の区切りになるのだ。その子供たちを前にして、もうこんなに大きくなったんだ、とも思ったし、まだこれから小学生になるくらいのわずかなキャリアなんだなとも思った。自分自身浪人中の宙ぶらりんの身の上で、この年度末に何かが大きく変わるということは特にない。だけども、政治家としてはこの4月からはピッカピッカの新小学生!という節目を迎えたんだ、と感じることができた。永田町は消費税を巡り先の見通しは混沌としているが、自分は気持ちを新たに頑張ろう。

 今年に入り、またこの年度末に、キャリアや人生の節目を迎え、勇気をもって新たな道を踏み出そうとする皆さんの前途が、洋々たるものであらんことを。そういえばAKBにも卒業のニュースがあったけど。

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(写真:ゆりかご保育園の卒園式にて)

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2012年3月10日 (土)

東日本大震災一周年を前に

 明日、3月11日は東日本大震災の発生から一年となる。改めて犠牲となられた方々のご冥福をお祈りするとともに、さまざまな被害に遭われた方々に思いを致す。

 一年前の15時過ぎ、用事で井原に行っていて帰りの車で一報を受け、車内カーナビのワンセグテレビをつけたら津波の映像が流れていたのだ。とても平和な周囲の光景と、テレビの中の映像の凄まじさとのギャップは今なお忘れられない。走る車が襲い掛かる波に呑まれるのをテレビで見ていても何もできないし、本当にその日の井原はのどかだったのだ。これは、破壊されつくされた陸前高田市の光景を眺めた後で、平穏無事な児島の街に行った時も同じことを感じた。全く同じ世界のこととは思えないのだが、同じ世界なのだ。人間、本当に自分のまわりのことしかわからないものだと痛感した。もっと常に想像力を働かせなければ。今なお言葉にもできずに苦しむ方々がおられる筈だ。がんばれなんて安易に言ってはいけない。

 あの日を境に、いろんなものが変わってしまった。原子力の安全神話はもろくも崩壊したし、そもそも原子力に限らず地震・津波災害に対して常に意識をするようになった。来週行うイベントの打ち合わせを今日していたが、「突然に災害とかがあってイベント中止になることもあるし、その時はどうしようか…」みたいなことが共通の話題にのぼる。こんなこと、この一年より前ではありえなかっただろう。危機管理という意味では教訓となったし、しなければならない。今の政治のダメさ加減も露呈した一年だったようにも思う。

 また、その中で平和に過ごせることのありがたさも改めて実感できるのも震災の影響だろう。今日は、倉敷瀬戸内ツーデーマーチが開催され、僕も飛び入りで5Kmコースを歩くことにした。倉敷川沿いに河津桜が一輪だけ咲いていた。大勢の人と一緒に歩き、一緒に歓声をあげて花を愛でる。そういったふとしたことをありがたいこととしみじみ感じる。

 明日は、水島後援会の世話人会を夜に吉岡の事務所で行う。会合の後、3.11くらやみキャンドルプロジェクトのロウソクに火を灯し、ささやかながら被災地に思いを致す機会を設けるつもりだ。

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2012年3月 6日 (火)

今の思い。

 谷垣自民党総裁と野田総理が会談したという話が広がり、永田町のざわつきが本格化した感がある。とはいえお互いに否定し合っているので、真相は藪の中。合意が形成されたかどうかも定かではない。でもやっぱり会うのは会ったらしいですよ。だとすれば「極秘会談」が堂々と新聞記事に出るというのは機密保持が本当にだらしない官邸だなぁという話。

 個人的には、野党総裁にナイショ会談を申し込まないといけないくらい野田総理も手詰まりなんだな、ということと、正月に予言したことがやっぱり的中してたんだな、という二点の感想を持つ。その上で、今の民主党がどうであろうとも、敢えていえば今の自民党がどうであろうとも、自民党と日本の政治を立て直し、有権者の方に再び政治への期待と信頼をしていただくためにも、今こそ僕が頑張らなければ!という思いも変わることはない。

 落選以降いろいろ心配をおかけをしているのは身の不徳の致すところで申し訳ない思いがある。しかし実際のところ今は落ち着いているし、なにはともあれまず第一に選挙に向けて集中をしなければならない時。個人的にはもう背水の陣であり、地べたにはいつくばっても岩にかじりついてでもご支援いただける皆様のご期待に応え、結果を出さなければならない。

 おかげさまで、ひとつひとつ地域の後援会の会合などを重ねることができている。空気は前回選挙時とは全く異なっている。動けば動くだけ輪が広がる実感がある。ウケのいい調子のいい政策が約束できるほど器用でもないが、落選中にも関わらずお励ますをいただける多くの方々がいていただけるのは本当に心強くありがたいこと。永田町がどうであろうとも、いつ解散になろうとも、とりあえず今の一日一日を正直に大事に全力で過ごすだけというのが、僕の今の心境である。

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