« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »

2011年8月

2011年8月28日 (日)

菅政権と『八甲田山死の彷徨』

 民主党代表選がスタートした。まあ明日までの騒ぎでしかなく、どなたか今よりマシな人を選んでほしいと思うのみだ。むしろ選挙権を持つ民主党の国会議員諸氏が、誰になぜ投票したのかについて注目した方が面白いかもしれない。

 去りゆく菅総理について、昨27日の朝日新聞岡山版に僕のインタビューが掲載された。今の日本の現状を、「重い荷物を背負って登山中、霧の中で迷ってる」状態に譬え、その案内人(リーダー)としての菅総理を「中途半端に右往左往して事態をさらに悪化させた」と評価した。

 実はこの譬え、先日『八甲田山死の彷徨』(新田次郎、新潮文庫)を読んでいて思いついたものだ。これは日露戦争前、青森5連隊の雪中行軍隊が吹雪で道を失い、最終的に199名の犠牲者を出してほぼ全滅した事件を描いた小説である。その中で、行軍隊が吹雪の中で右往左往する様子が、思いつきでアレコレ言いだす菅内閣の様子に思えて仕方がなかったのだ。本来の指揮官である神田大尉を差し置いて、同行していた上官の大隊長・山田少佐が「前進!」と言いだす様子は、海江田経産相の頭越しに原発やエネルギー問題に関して指図する菅首相とダブって仕方がなかった。

 またこの事件では、同時に行動していた弘前31連隊の雪中行軍隊はほぼ無事に八甲田山を踏破している。準備や指揮系統などさまざまな要素はあるが、最終的にはリーダーによって結果は変わるという好例だ。「非常時で誰がやっても同じだった」という言い訳は通用しない。

 正直、菅政権が「脱原発」「社会保障と税の一体化」など目新しいスローガンを示したとしても、実現される担保があるわけでもない。むしろ被災地には瓦礫の山と仮設住宅で生活に悩む被災地の方々が大勢残るばかりであり、また「この先日本はどうなるの?」と不安を感じる国民が残されているわけで、そうしたことを顧みず「やれるだけのことはやった」と笑顔で辞任の記者会見に臨んだ菅総理には、怒りすら覚えるのだ。どうぞさっさとお遍路さんに出かけてください。

 そして新聞でも指摘したが、日本が「吹雪で道を見失っている」原因の主たるものは、登山における地図および行動計画たるマニフェストがデタラメだったことだ。そのことは、誰が総理になっても変わることはない。菅総理の辞任が確定して、反省することも無く手のひらを返すように動き出した民主党諸氏の活動は誠に微笑ましい(もちろんイヤミである)。早期に各党がマニフェストを作り直し、国民に信を問うことが必要なのである。

 いよいよ夏祭りシーズンも終了。昼間は暑いが、秋の日はつるべ落としで、街頭演説をしていても日が暮れることが早くなった。くれぐれもお体にご留意を。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2011年8月26日 (金)

アマチュアだった菅総理

 本日、菅直人総理が辞任を表明した。ついに、やっと。

 辞任の会見の様子を橋本事務所番頭のY秘書としゃべっていたら、Y秘書曰く、「アマチュアじゃな。やっぱり市民運動家じゃったからなぁ」と。

 どういうこと?と尋ねると「昔、営業をしてたんですがね、営業マンには二つのタイプがあるんですよ。アマチュアは、『あれもこれも、やれるだけやりました。達成感があります』と言う。でも、プロの営業マンは、『これだけ売ってきました』と成果を言う。プロはね、プロセスは言わんのですよ」と。

 あまりにも的を得た評だったので、そのまま記す。

 なお、朝日新聞から菅政権の評価についてインタビューを受けた。明日27日朝刊の岡山県面に掲載されるはずだ。僕の菅政権評は、そちらが掲載されてから改めてご紹介したい。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年8月23日 (火)

民主党代表選に期待すること

 やっと菅総理が辞任する気になったらしく、民主党代表選の動きが取りざたされるようになった。しかし、いまいち顔ぶれを見てもぱっとしないし、主張もよくわからないのでブログでもコメントのしようがない状況が続いていた。

 そんな中、就寝前に読書していたらふと以下の一節が目にとまった。本は『晏氏』(宮城谷昌光、第二巻p.312、新潮文庫)である。

 人が卿の位にのぼるというのは、たいへんなことなのである。 才覚と努力だけではとても得られない位であり、そこをはきちがえると、人としてのすじみちをあやまり、かえってとりかえしのつかぬ災厄におそわれるであろう。

 卿とは、今で言う国の大臣のこと。民主党であれ自民党であれ、大臣、とりわけ総理大臣という地位に対して、こういう慎みや惧れをもっている人は、どのくらいいるのだろうか?とりかえしのつかぬ災厄とは、何だったのだろうか。いささか現状とダブルようにも思えてしまう。だから目に留まったのだろう。その前の一節は以下の通り。

 すなわち人臣として最高位にある卿は、君主になりかわって一国の祭祀と政治にあたる者であり、その任官においては、君主のゆるしがいることはもちろん、天子からも認定されなければならない。それは人界における除官であるが、各国には廟に祀られている先君がおり、それらの霊が卿を認め、各国にある山川の神々が卿であることを認めて、はじめて一国の卿の就任が成り立つ、とおもったほうがよい。

 現時点での民主党代表選挙は、すなわち日本国の総理大臣を選ぶ選挙である。その有権者諸氏におかれては、今現在の日本国民はもとより、我が国を支えてこられた先人の方々の代わりに票を行使するのだという重く深い気持ちをもって、代表選に臨んでほしい。そうやって選ばれた新代表は、きっと日本のため、そして被災された方々のために、一生懸命仕事してくれるだろう。これを日本のためにお願いしたい。新聞やテレビには候補者の方々が取りざたばかりされるが、選挙の主役は候補者ではない。有権者である。前回の衆院選にて選ばれた民主党議員諸氏こそ、そのことはご理解いただけるのではないか。

 なおもちろん、自民党総裁選についても同様でなければならない。そういう思いが薄かったことも、最終的に自民党が有権者の方々に見放された原因の一つだと個人的には思っている。

 ここしばらく、倉敷で街頭演説をしていても、多くの方が手を振って下さり、本当にありがたい。皆さまのご期待に応えられるよう、引き続き頑張りたい。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2011年8月17日 (水)

大連立の条件

 一昨日、終戦記念日の8月15日は、まず朝から総社の父の墓にお参りした。そののち岡山県護国神社に参拝し、日本興隆祈願祭に参列。まさに今、いろんな意味で「耐えがたきに耐え、忍びがたきを忍ぶ」時期だなと玉音放送を聞きながら想う。

 終了後参道にて、やはり参列されていた津村啓介議員と会話。先日の会話を思い出しながら、「解散しませんでしたね~」と言うと、「大連立しようよ」とお呼びかけ。いや、僕に言われても困るんですけど(笑)。とっさに「そりゃ駄目ですよ。福田内閣の時に、大連立を断ってきたのはそちらじゃないですか。それで今更言われても、ねえ!」と返事した。「いやあ、あの時は断るべきじゃなかった」との由。そしてご挨拶してお別れした。

 とはいえ、振り返って考えると、いささか「江戸の敵を長崎で討つ」みたいなお返事をしてしまったと後悔。改めて、ここでお返事を書く。津村議員がこのブログをご覧になっているかはわからないが(笑)。

 既に何度も指摘したとおり、そもそも「大連立」は無理がある。しかし、1)前回衆院選での多数党(民主党)が、選挙時に掲げたマニフェストの主要政策を事実上撤回する事態となっており、政権維持の正統性がない。2)もちろん他の党(自民党、みんなの党ほか)も、選挙で負けたので政権維持の正統性はない。3)であれば、本来はただちに解散総選挙を行い国民に信を問うべきであるが、東日本大震災の影響や対策のため今すぐには不可能。という現下の状況を考慮すると、緊急避難的・暫定的な措置として、以下の条件を満たせば大連立を行う余地はあるかもしれない。

 1)内閣総理大臣は自民党谷垣禎一総裁。これが受け入れられなければ、せめて民主党・自民党以外の第三党から出すこと。
 2)解散時期について、各党間で事前に合意すること。例えば3次補正成立後として今年末、もしくは来年度予算成立後、来年4月あたり。
 3)もちろん、基本政策等についても各党間で事前に合意すること。

 まあ、こんな条件は誰が代表になろうとも民主党は受け入れ難いだろう。なのであれば、自民党は閣外にあり野党として案件ごとに是々非々で民主党政権に対して対応するという従来の姿勢を崩すべきではない。緊張感を以て政府を質すのが野党の仕事なのだし、そこを説得するのが与党の仕事。自民党はただの反対野党であってはならないが、ナアナア・ズブズブになるんだったらそもそも国会なんか無用の長物だ。

 ということで津村先生、よろしくご検討くださいませ。ただしこれは私案ですので、自民党の意思かどうかは保証しかねますが(笑)

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2011年8月13日 (土)

自民党への注文

 やっと、菅総理が辞任しそうな雰囲気になってきた。本当に辞任するまで警戒は必要だが、公債特例法等の目途が立ち、また民主党内でも次期代表選への立候補者が話題になり始め、菅総理のレームダック化が進んでいる。今月末に辞任ずるとしても、6月2日に事実上の辞意表明を行ってから約3か月間、ゾンビまたはペテン師総理が居すわったのは大きな不幸を国と国民にもたらしたと言わざるを得ない。

 ただ、だからこそ、自民党にも注文をつけたい(まあ自分も一員なので、ここで言うのもスジが違うのだが)。子ども手当の事実上の撤回などが実現されたが、これが国民の皆さまのためになることなのだ、ということをきちんと説明すべきだ。もちろん、限られた税収等からの予算について、震災復興も含め「選択と集中」を行うためにバラマキを改めさせたわけなのである。あくまでも、その方が国及び特に本当に困っている国民の方々に資することなのだ、ということをきちんとアピールしなくてはならない。単に「民主党のマニフェストが破綻したことを認めさせた」ことを誇るのでは、永田町の中の話なのであって、一般の方には「だからどうした」としか言いようがないのではないか。

 また、町村信孝元外相が公債特例法の採決に当たり棄権し、その理由を「執行部が解散に追い詰められなかったこと」とされたそうである。もちろん、町村先生には私たち落選議員のことも含め、また前回選挙のマニフェスト破綻という現状から一刻も早く解散をすべきという筋道と思いがあるということは十分にありがたいことだと思う。しかし、では震災から5カ月が経過したにもかかわらず、未だに瓦礫の山が残り地方選挙も12月まで延期された地域が残る中で、解散総選挙を多くの国民の皆さまが支持するかといえば、まだいささかの疑問ものこるのだ。そういう意味で解散を急ぐ言動は我田引水に取られかねないとも思われる。もちろん、「早く解散してもらわにゃあ困る」という声もたくさん伺うのであるので難しい判断ではある。しかし、2年前の政権交代にしても、日本新党ブームによる政権交代にしても、実は与党側の内部分裂や自滅による政権交代である。自民党が政権から転落したのは、自民党が自滅したからだ。そのことを忘れて、自分たちが民主党を倒せると思ったら大間違いである!野党が時の政権を解散に追い込めるというのは、僭越な思いあがりなのだ。

 「民主党がダメだ」ということは、既に多くの方がかなり理解をされている。「ならば自民党はどうするのか」ということが問われていることを、肌で感じる。今日も、玉島、児島、旧倉敷など、各地区の盆踊りを朝の準備から含めて9件も回ったが(おかげさまで、「盆踊りが上手じゃな~!」と何箇所かでお褒めいただきました(笑))、各地でお声がけを戴き期待を戴いていることは本当にありがたいことである。なのであれば、そのご期待にしっかり応えていかなければ、政権奪還を言う資格は無い。

 これから民主党代表選にマスコミの目が移る。いろんな人が立候補を検討しいろんなアピールをするだろう。その期間中に、自民党こそがサボらずに「民主党マニフェスト破綻後の後始末と次の一手」を打ち出さなければならない。どの民主党の代表候補よりも、自民党の谷垣総裁の方が未来の総理大臣として素晴らしいのだ、ということを今こそ説得しなければならない。場合によっては単に大連立ができそうで与党に復帰できてうれしいみたいな空気が出るようだったら、さらに自民党に失望する人が増えるであろう。そうならないことを願ってやまない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年8月 7日 (日)

広島・長崎と福島を同列に扱うことの罪

 8月6日、広島原爆忌。菅首相は原爆の惨禍を繰り返さない誓いを述べるとともに、「脱原発」を重ねて主張した。同じ「核」繋がりでついでに自説を主張したわけで、まあどんな機会でも自己PRに余念がない菅首相なのは相変わらずなのだが、実は罪はそれだけではない。

 「核分裂」という同じ原理を応用しているとはいえ、原子力爆弾は、人々を殺傷することを目的とした武器である。原子力発電所は、電気エネルギーを発生させるための装置であり、今回は事故により多くの人に深刻な被害を与えることになったが、少なくともそれを目的とするものではない。

 危険なものは禁止すれば済むというのであれば、「刃物は戦争にも兵器として使われるし、大根を切っていて誤って指を切って怪我をする恐れもあるから禁止しよう」というのと同じ理屈だ。そもそも別の問題なのだ。

 そしてこれらを同列に扱うと、原爆を落とし多数の一般人を虐殺した「意志」を消すことにならないか。誰が、昭和二十年八月に広島・長崎の何十万人にのぼる無辜の一般人を虐殺したのか。それは少なくとも地震や津波ではない。昔から日本の原爆忌は、自らの反省に終始し、誰が虐殺の意志を持ち実行したのかに触れない。それは敗戦国が生き抜く知恵だったのかもしれないが、だからといって忘れるのは、もってのほかだ。「核」の存在が悪なのだという認識は、同時に加害者の罪を帳消しすることになるのだ。人間の罪を科学技術になすりつけてはならない。もちろんいまさら犯人を追求し特定することに最早意味はない。しかし人間の罪であるということは、同じ人間として意識し続けなければならない。だから「過ちは繰り返しませぬ」なのだ(なお原爆について書いているが、原発事故についても同じだ。「核が悪い」という認識下では、きちんと原因を調査して未来に向けて対策を打つインセンティブは起きないであろうし、ヘタをすれば被害への救済のインセンティブも起きないであろう。「事故があったから脱原発」という発想は、決して未来志向ではない)。

 重ねて書くが、広島・長崎が被爆したのは決して自然現象ではない。原爆を自然現象による事故ど同列に扱ったら、それこそ被爆者の方々は決して浮かばれまい。加害者という存在があるからこそ、人類が理性的な意志として、核兵器に対して今後どうするかを切実に問えるのだし、本来はそれが原爆忌の意味だ。そうした貴重な機会をただの自己PRに費やした菅総理の罪は、重い。

---
おまけ。菅総理の福島原発事故に関する発言の一節曰く「事故原因の徹底的な検証と安全性確保のための抜本的な対策を講じる」との由。もしそれがキチンとできたら、原発はとても安全なので「脱原発」の必要がなくなるだろ!と思う。そういう論理のチグハグさは、彼の発言がただのパフォーマンスであり、細部は役所が書いたことをそのまま読んでるだけという証拠である。

| | コメント (11) | トラックバック (0)

2011年8月 2日 (火)

韓国側の反応が面白い件

 先のエントリで記した新藤議員らは、結局金浦空港で足止めされとんぼ返りすることになった。無事の帰国にほっとするとともに、やはり韓国政府の反応は残念なものと言わざるを得ない。国会議員をテロリスト扱いされるのは、我が国の尊厳を害するものである。

 ちなみに彼らは、空港でビビンバを食べ、ノリをお土産に買ったそうだ(出所記事)。あくまでも「ケンカしに行ったわけじゃない」という彼らの友好的な立場の表現だ。そこまで気を使ってしても、なおこの扱いは異常である。

 同時に。報道によると、空港ではデモがあり怒号が渦巻いていたらしい。

  「日本は永遠に韓国の敵」
  「野心を急激に膨らませた日本人」
  「韓国と日本は近い将来必ず戦争になる」

 がその文句だそうだ。また、ネット上では、

  「日本と国交断絶せよ」
  「3人は強制送還を命じられた犯罪者」
  「3人は議員に見えない。どう見ても日本のAV男優と女優だ。日本に戻って撮影でもしていろ」

 といった発言があったらしい(引用元記事)。

 一つ一つの言葉にコメントはしないが、すべて日本の人にはさっぱりピンと来ない言葉だろう。こんなことがあちらでは言われてるんだ、というのは知っておいて損はないかもしれない。人間、怒った時は地が出るものだ。

 そして言いたい。「痛いところを突かれたからといって、そんなに怒りなさんな」と。おまけに小さな声でコッソリもうひとこと、「日本のAVをもっとちゃんと見なよ!でも、あなたたちも好きなのね♪」とも(笑)。

| | コメント (14) | トラックバック (0)

« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »