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2011年6月

2011年6月30日 (木)

災害ボランティア一日目

災害ボランティア一日目
 朝5時起床。でも昨晩9時半には寝たので目覚めスッキリ。6時40分に拠点を出発して遠野ボランティアセンターに。行先は、倉敷隊のTさんも班長を務める釜石市箱崎地区を選択。集合したボランティアみんなでラジオ体操して、隊長の講話を拝聴。マイクロバスで出発。一時間ほどで現地へ。
 道中の釜石市役所近辺の商店街も一階部分が破壊され津波の爪痕が酷い。目的地の箱崎地区は、大被害の出た大槌町の向こう岸だが、ほぼ二ヶ月前の陸前高田市を彷彿とさせるくらい手が入っていない。学校の3階の窓に軽乗用車が刺さっている。瓦礫片付けも進み具合にムラがあるようだ。昨日書いたことを少し訂正したくなった。一ヶ所で判断してはならない。そこで側溝掘りの作業に精を出す。
 溝に入り、スコップで堆積した泥を上げ、猫車で運び、捨てる。倉敷より涼しいとはいえ30度はある中、長袖長ズボンにゴーグル・マスク・手袋着用の作業は暑い。2リットルのペットボトルの水を用意したが最後にには飲み干した。溝掃除は倉敷でも行うが、泥の中に、岩やアスファルトの塊(大物で2Kgくらい)や瓦・タイルの破片、ガラスの破片、果ては茶碗やファックス機まで混じっているのは津波被災地ならではで、より挙げる労力を増す。注意も必要。休み休みの作業だが、終了時にはくたくただ。14時半には現地出発、遠野に戻って解散、拠点に帰った。写真はその時のくたびれた顔。
 1日で、17人がかりて、ある家の裏を片付け、道の側溝約15mを通した。それだけと言えば、たったそれだけ。これが現実だ。永田町でいう「復興」なんていつの日か??でも、それでもやらなきゃ始まらないし、終わらない。現場は黙々と体を動かすのみだし、そこにいられる幸せに感謝する。

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2011年6月29日 (水)

子どもたちの声がこんなに嬉しいものだとは

結局29日午前9時過ぎ、遠野市にある倉敷市ボランティア拠点に無事到着した。夜を徹して走ってきてくたくただったが、涼やかな風の心地良さにちょっと息を吹き返す。近所の方に伺うと、「いやあ、今日は暑いですよ」とか言われるのだが、まあ感覚の違いというものだろう。快く受け入れていただき本当にありがたい。

 一度拠点に荷物を降ろしてから遠野市ボランティアセンターや県合同庁舎などに伺い、ボランティア登録の手続きや帰り方についての打ち合わせなどを行った。その後は時間があるので、以前訪問した陸前高田市を再訪することにした。

 陸前高田は、遠野から車でだいたい一時間ほど。前回訪問から二カ月が経過しているが、重機があちこちで動いており、がれき整理が進んだ様子が一目瞭然。また、プレハブだけど新装開店のお店があって花輪が飾ってあったりもする。そして何よりも嬉しかったのが、前回訪問時にはシーンと静まりかえり誰もいなかった高田小学校に、子どもたちの活気ある声が戻っていたこと!小学校が騒がしいのはどこでも当たり前のことで普段気にとめたこともなかったが、その声がこんなに希望を感じるものだとは思わなかった。ちょっと涙が出そうになった。もちろん、前に見たままの光景も少なくなく、街が復活するのは相当時間がかかるだろう。でも現場は少しずつでも確実に前に進んでいる。がんばろう東北、がんばろう日本!

 明日からは、宮古市、大槌町、陸前高田市などのうちどこかでボランティア活動(行く先は当日決まる)。今日は早めに寝て明日に備えることにしよう。

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(写真:遠野市松崎町にある、倉敷市ボランティア拠点。屋根の下、畳の上で寝泊まりできるだけありがたい)


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(写真:拠点の近所の遠野郷八幡宮に、無事を願って参拝)

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岩手県に着いた

岩手県に着いた
岩手県に着いた
東北道から分岐した釜石自動車道の東和インターに無事到着。北陸は雨だったけどこちらは気持ちよく晴れた!昨日の岡山より涼しくて風が心地よい。一休みして遠野市に向かう。

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2011年6月28日 (火)

被災地に行ってきます!

 ということで、今日から被災地にボランティアしに行ってきます。

 予定としては、夕方車で倉敷を出発して、山陽道・北陸道・磐越道・東北道経由で明日には岩手県遠野市にある倉敷市ボランティア拠点到着。30日、1日、2日と、現地のボランティアセンターで登録して活動を行い、3日に倉敷市からのバス便到着をお迎えしてから帰路につく予定。またせっかくなので、現地の自民党岩手第三選挙区支部長の橋本ひでのりさん(親戚ではないですが、親近感わきますね^^;)を激励してくるつもり。ご自宅も事務所も流された中、浪人中でも頑張って活動されているのだ。倉敷戻りは7月の4日または5日の予定。メンバーは僕と、事務所スタッフ矢吹、高坂の三名。

 岩手の橋本さんとお話したが、まだまだ物資も届かないとか片付けも行き届かないとか、そういう地域もあるようだ。しっかり現地の方々のお助けになるように頑張りたい。昨日、剣道の稽古後にうちの長男坊が体調崩して病院に行ったが(点滴して休んだら大事ありませんでした)、熱中症対策も考えた方がよいのかな…。まあ岡山と岩手は気温が違うかもしれないが。倉敷・早島は今日もう真夏の日差し。皆さんも十分な水分補給を。

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 (写真:被災地で、なぜか「大高学区パトロール隊」の帽子をかぶって作業している人がいたら、たぶん僕です。声かけてください。写真につけているバッジも、缶バッジで作りました。現地の方々に、西日本の心意気を伝えてきたいと思ってます)

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冷静に考えてみようよ!

 菅総理が事実上の内閣改造を行い、また、「三条件」なるものを示したと報道されている。なんていうのかな、論評するのもアホくさい。でも書かないと示せないので、備忘のために記しておく。

●なんで信じるのかな、三条件。

 三条件なるものは信用できない。一か月もたたないうちに、条件がいつの間にかすり替えられているからだ。

 菅総理は、27日の記者会見では、「私としては第2次補正予算の成立、そして再生可能エネルギー促進法の成立、そして公債特例法の成立、これが一つのメドになると、このように考えております」と言ったので、そのように呼ばれることになった。でもちょっとまってほしい。6月2日、不信任案採決前の民主党代議士会では、「この大震災、原発事故に対して一定のめどが付くまでぜひとも私にその責任を果たさせていただきたい」という話だった。

 よく「自民党も協力して三条件を成立させればええが」と言われる。内容を無視するのは如何なものかと思うが、仮に協力して三条件を速やかに成立させても、また「未だに原発事故には目途がついていない」とか言い出したらどうするのか

 そもそも民主党代議士会でも菅総理は「退陣する」とは言っていない「一定のめどが付いた段階での若い世代への引き継ぎを果たして」と言っているのであって、例えば内閣改造や党人事で若手をどんどん登用し、「引き継いだよ!」と言い出してもよい。まあ、なんでもありの人なので。

 これはマスコミも罪だと思う。「条件」とは守られるという信頼関係があってはじめて「条件」だ。具体的な言葉で語られ、署名つきでもだまされることもある。ましてや、菅総理の言葉はあいまいすぎる。「退陣の三条件」として扱うことが間違っている(たとえばこの記事)。

 口先だけでうまくその場を切り抜けるのが上手だなあ、と民主党の人一般について思うことがある。後で話が全然違っていたりするのである。さすがその親玉だ。かの鳩山氏は先日やっと気がついて「ペテン師」と呼ばわったらしいが、マスコミのみなさんも、そろそろそれに気づいてはどうか。

●被災地は主に東北なのだ、東北には、、、

 政治的理由により急に今国会に規模のあまり大きくない二次補正を提出することになったために、かつて二次補正と呼ばれていたものの中身が三次補正に後回しされた。その内容を詰めるのに頑張っていた某省職員は、実施が遅れることにとても落胆していたそうだ。もちろん単純に仕事が先延ばしになったから、というのもあるだろうが、真意は、後ろ倒しになることにより予算執行が冬になるということ。そして主な被災地である東北には、冬には積雪するのだ。工事もままならなくなり余計な費用もかさむ。実施できない事業も出てくるかもしれない。それが読めるから落胆するのだ。今しか見ていない菅総理、あなたは東北の冬を考慮していますか?

●浜田参議院議員の登用

 彼の人柄については、直接存じ上げないので触れない。噂はいろいろ聞くけど。ただ、「震災復興に協力したいという熱意が伝わった」という登用理由は、民主党・自民党・その他の政党を問わず、他の人には「震災復興に協力したいという熱意が伝わらない」と言っているに等しい。それで協力を求められても、応じるのには抵抗を感じるのが人間心理というものだ。まあ、自分に協力しない人すべてを抵抗勢力にしてしまおうという方針なのだろう。前例に倣えば、当然総理の頭には「解散総選挙」はある筈だ。何度もこのブログで書いているが、未だ避難生活をされている人が10万人を超える中で解散総選挙を念頭に置くというのは、人間の判断ではない。鬼畜の所業だ。やれと言われればやるけど。

 最初の一報では「復興担当の政務官」という話だったのが、落ち着いてみたら総務大臣政務官。自治担当になるか郵政担当になるかはわからないが、いずれにしても浜田氏の「国際政治学者」という経歴で「海外とのつながりとか」を評価された人にふさわしいポストかどうかは、疑問。まあ、お手並み拝見。

●誰がやっても同じ。か。

 民主党のお話をすると、「震災や原発対応とか、ギリギリのところでやっているんだから、野党は攻撃ばかりするけど実際は誰がやっても一緒でしょう!」というお話をされる。いつも思うんだけど、「じゃあなんで政権交代したんですか?」と。「誰がやるか」が問題だからこそ、前回選挙で政権交代したんだと思うのだが。

 そして、今回の政局対応をみると、良し悪しは別につけ「菅さんじゃないと、こんなことはせんだろう」という話になる。やっぱり「誰がやっても一緒」ではないのだ。

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 と、いうようなことが最近の政治に関する所感である。人間居直ったらこんなに好き勝手できるのね、という感想もある。一介の浪人は歯噛みして悔しがることしかできないし、そんなことをしてもムダ。地元の活動を地道に重ねるのみ。そして、未ださまざまな不便と不安の中で生活されている被災地の方々に心を致すべき。今日夕方、岩手にボランティアに出発します。予定などは次のエントリにて記す。

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2011年6月24日 (金)

石破会にて

 6月頭に街宣活動を再開してしばらく経ち、被災地の状況の報告会も各地域で二桁の回数を重ねた。報告会では、被災地についてお話した上で、倉敷市の地震ハザードマップや津波ハザードマップなどを利用して、その地区その地区での東南海・南海地震発生の際に起こりうべき現象(地震の震度がこのくらいとか、その後2時間半でこのくらいの津波が来るとか)を紹介をすると、やはりとても熱心に聴いていただける。

 倉敷市・早島町は災害が少なく本当に恵まれたところ。それでも今後30年以内の東南海・南海地震の発生確率はそれぞれ60%・50%と言われており、その場合多くの平野部で震度5~6の揺れが予測されている。またもともと海だったため、水関係の災害には実はあまり強くない。東日本で発生したことは、必ずしも他人事ではないのだ。日々の用心が肝心だ。民主党がとか自民党がとか不毛な政治状況について解説するよりも、地域の方々の安心・安全に直結するこの話をする方が政治家(予備軍)として今為すべきことだと、回を重ねるたびに思えてならない。

 そんな日々を倉敷・早島で過ごす中で、前々回の自民党総裁選で石破茂・政調会長を応援したメンバーが「石破会」と称して集まることになったので、ひさしぶりに23日に上京した。

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(写真:石破茂・政調会長と小坂憲次・参議院幹事長。写メなので写りが良くないが…)

 石破政調会長曰く、もちろん震災復興のために必要なことはするが、とりあえず民主党が先の選挙で掲げたマニフェストについてきちんと清算しなければ、大連立はしない、とのこと。これは一安心。また曰く「震災の話がどうしても注目が集まるんだが、外交面で言えば、辞任を口にした首相を相手にする国は無い。竹島や尖閣などでは堂々と足元を見られて挑発されている。本当はそういう問題こそ問題なんだけどなぁ」との由。

 会話の中では、まあいろいろな話を現職の先生方から伺った。8月の広島または長崎の原爆の日に合わせて菅総理が解散に踏み切る可能性があると、ある民主党幹部から自民党の幹部に連絡があったとか。以前不信任案提出の際にも「菅総理は解散するぞ!」という話があったが、未だに避難生活の方が12万人以上いる中で、どこに解散の大義があるのか。一度「目途がついたら世代交代する」と菅総理は表明した筈だがその話はどこにいったのか。とにかく菅総理が、野党はおろか民主党幹部にとってもコントロール不可能なのだそうだ。なんじゃそりゃ。まあ、不信任案に反対した民主党内で「菅降ろし」とかしてる時点で話がおかしいのだが。

 福島第一原発での作業でも、自称「専門家」総理のために一つ一つ官邸に指示を仰ぎながら作業せざるを得なかったためにやたら非効率だったとか、瓦礫片付けや被災者への雇用対策など、阪神大震災の時からみても政府の法案提出や指示が遅く、悲惨な状況で被災地の方々が我慢を余儀なくされてるとか(「関西だったら暴動起こってるで」という話も…)、それを見かねて自民党が議員立法をいろいろ提出しているのに取り上げられないとか。浪人も楽ではないが、現職の方々もストレスがたまっているようであった。

 夢のある話もあった。先日、筑波大学の先生が自民党本部で講演し、「石油ができる藻」であるオーランチオキトリウムの話をしたのを小坂憲次・参院幹事長が紹介されていた。こういう夢がある話、ぜひ自民党でも応援すればいいのに。世の中にはいろんな生物がいるものである。

 翌24日は、先日行われた保育関係の後援会総会にてご講演をいただいた三原じゅん子参議院議員の事務所などにお礼のあいさつなどに回り、倉敷に戻った。週末は倉敷・岡山でイベントなどを回り、週明けの28日(火)から岩手県に被災地支援ボランティアに行く予定だ。


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(写真:先週末に来倉された三原じゅん子参議院議員とがっちり握手。)

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2011年6月17日 (金)

自民党はみんなで津波被災地の片づけに行こう!

 近況をいくつか。

※※

 6月末から7月頭にかけて、東日本大震災被災地のボランティアに行くことにした。GWも済んでしばらく経ち、夏休み前の今はボランティアの数もあまり多くないという。幸い比較的時間が自由にできる立場なので、また事務所スタッフと一週間ほどの期間で被災地に行く予定だ。

 今回は、岩手県遠野市の倉敷市ボランティア拠点を利用して、被災地の片づけ等で身体を動かしてくるつもりだ。復興に少しでも役に立てばよいことだし、ひいてはがれき撤去を目途のひとつにしている菅直人総理の退陣を促進することにも繋がるので、一挙両得であろう(笑)。この際、自民党は国会でお互いにペテン師と呼んだり呼ばれたりする人たちと付き合って混迷続き(by 石破茂ブログ)な時間を空費するよりも、みんなで被災地の片づけに行っては如何だろうか(もちろん冗談です。国会議員は国会でしっかり仕事してください)。

※※

 最近は各地でミニ集会を重ねている。今の国政の話をしても、とてもとても不毛なので、GW前の被災地訪問の報告や、倉敷市津波ハザードマップなどの紹介によりそれぞれの地区の防災意識向上に努めている。昨日は「水島の未来を考える会」総会後の記念講演にお招きいただき、同様のお話をさせていただいた。広い意味での水島地区(連島・水島・福田)はもともと水害に弱く、東南海・南海地震が発生した場合、津波にも洗われる可能性がある。玉島も相当奥まで(長尾小学校や富田小学校近くまで)来るし、児島沿岸部、そして茶屋町周辺まで実は児島湖から津波が届く。政治・行政でなすべきことはあるが、それでも最終的に身を守るのは個人・家族と地域コミュニティだ。とても熱心に耳を傾けて頂けた。街頭演説も6月から再開した。

※※

 先日の「海堂ラボ」収録について、海堂尊先生のブログにて触れられていた(7ページ目)。そんなに元気だったかな?交わした約束も公開されてしまったので、がんばって実現に向けて努力します(笑)。

※※

 映画『岳』を見て以来、登山に行きたくて仕方がない。マンガは単行本を全部読んだし、今日は本屋でつい『山と渓谷』を買ってしまった。何年先になっても、いつか登るぞ!穂高へ!!

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2011年6月11日 (土)

テレビに出ます、または死因究明に関するエトセトラ

 たまには政策的な話をひとつ。といっても、死因究明制度についてなのであまりポピュラーな話題ではない。しかし政治家の本性として、政策に意を注ぐところもぜひご承知置きいただきたい。市民社会にとってとっても大事なことだから。

 少し前になるが、6月3日、内閣不信任案採決の翌日、東京にてCSテレビ局、朝日ニュースターの番組「海堂ラボ」の収録にゲストとしてお招きいただき、『チーム・バチスタの栄光』等で活躍中の作家・医師の海堂尊先生がパーソナリティを務める番組に出演、収録をしてきた。僕と海堂先生との関係は、『ゴーゴーAi アカデミズム闘争4000日』に詳しい。

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 テーマは「医療と政治のこれから」だったのだが、不信任案否決という政局の翌日で興奮冷めやらぬ中であり、まずそのあたりの話から話題はスタート。そこから海堂先生と僕、アシスタントの駒村多恵さんとの間で、政治のあり方やAiはじめ死因究明制度について、また震災復興や道州制に至るまで(海堂先生の新刊『ナニワ・モンスター』参照のこと)、縦横無尽に語り、あっという間に1時間が経った。何故Aiの制度化に取り組むのか、僕の個人的なことではあるが、政治家の三代目としての想いもお話させていただいた。他では口にしていないことなので、これは本邦初公開、乞うご期待。

 なお放送予定は、7月7日(木)夜10:00~(再放送あり)。ただし残念ながら地上波放送ではなく、スカパー!やCATVの多チャンネル放送(Oniビジョンではご覧に頂けるが、くらしきケーブルテレビではダメ)での視聴となる。また、いずれ駒村さんのブログ「駒村研究生の●●レポート」でも取り上げていただけるだろう。

 で、その収録のあと、新橋に移動して、医療安全について多くの提言をされている井上清成弁護士にお目にかかった。先日、死因究明制度について警察庁の研究会が報告書を公開したが、それについてMRICという医療者向けのメールマガジンに書いた僕の作文を目に止めていただき(内容のご理解には海堂先生のブログ「法医と警察はAiただ乗りを強行するつもりかしらん。」も合わせてご参照を)、ぜひ一度お目にかかりたいとお誘いをいただいたのだ。有名人からお招きをいただき内心ドキドキしていたが、一時間ほどお話させていただいて、個人的にはとても意気投合。また医療安全について勉強をさせていただくお約束をすることができた。海堂先生が別れ際に、「保団連の雑誌に論文を書いたので、読んでください」と言われていたその雑誌を、井上先生にあっさりいただくこともできた。あまりの偶然にびっくりしたが、必然だったのかもしれない。

 先日、病院長が義母である病院理事長を撲殺したという嫌疑で逮捕されたというニュースがあったが、これはおそらく内部告発がなければ見逃されていたケース。死亡診断書を書いた医師自身が殺人犯という極めて特殊な例ではあるが、警察の視点からすると現行制度の盲点を突いた殺人事件の見逃しには違いない。こういう悪質なケースを見逃してはならないが、かといって医療行為の中で発生した事象を全部警察の目でチェックさせるというのも委縮医療を招く。第三者の目があれば全く話が違ったであろうし、Ai導入はその端緒になるものと信じている。浪人中だが、だからこそ今のうちに政策の勉強もコツコツ続けたい。

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2011年6月 7日 (火)

大連立への警鐘

 不信任案否決後、震災復興の美名のもと大連立の議論がまたぞろ復活してきた。大連立については、以前、二つのエントリをここに記してきたが、いずれも現時点でも当てはまる議論だと思っているので、再びお示ししておく。

面白うてやがて哀しき大連立(4月3日)
いま、政治に願うこと。(4月14日)

 気持ち悪いのが、新聞などのマスコミが「議論が活発化」とか煽っていること。また、「○○党は否定的」「野党間で温度差」といった表現で、大連立に否定的なことをネガティブに印象づけようとしていることだ。今日の新聞の見出しを皆さんご確認いただきたい。これって、明らかに誘導してるよね。

 大連立が起これば、そりゃ見てる分には表面上ものごとがスムーズに進むように見えて快いかもしれない。国会でヤジを飛ばし合うようなことも減るかもしれない。

 しかし、実際はテンデンバラバラなマニフェストを掲げた政党同士がまとまろうとするわけで、内部的には絶えず議論や調整、オーバーに表現すれば権力闘争が起こる。「野党は放置」ということができなくなるため、与党として大勢の人数と政党が絡み合って意思決定をしなきゃいけなくなり、むしろ一つ一つの意思決定にかかるオーバーヘッドは大きくなる。そして、そうした議論や闘争が、国会などの公開された場ではなく、夜の会食の場にて行われることが頻発し、意思決定がブラックボックス化される。昔「料亭政治」という言葉があったが、その復活だ。料亭は減っているしお金もかかるのでホテルの会議室とかかもしれないが。

 総理大臣が、エイヤっと決めれば迅速に進むようになる?しかしそれは連立化においては不可能だ。政党間の連立は、政策協議によって合意に達する。総理はそれに反することはできなくなるし、反したら内閣不信任案が一発で可決され、解散が困難な現状では総辞職するしかなくなる。国会の力は強くなるが、表面上国会はスムーズに見え、意思決定プロセスは水面下に潜る。これが大連立下の政治プロセス。密室の談合で日本の将来が決まったら、皆さんは納得するのですか。

 ものすごく具体的にたとえ話をすると、仙谷さんと森さんで夜話し合って消費税率上げが決まるとかそういう話。ホントにそれでいいの?いや、あくまでもたとえ話で、名前も仮名です(笑)

 国会でヤジを飛ばしたり、採決で造反が出たり出なかったり、たまに強行採決でドタバタするのは、密室政治に比べれば実はとても健全なことだと僕は思う。誰が何をやっているのか一目瞭然だからだ。松木さんのようなドラマが垣間見えたりもする。「まつりごと」は「祭りごと」だという側面は厳然として存在する。個々の議員の立場を離れた政策議論によって理性的に政策が決まる、なんてのは人間社会である以上フィクションだ。そしてそのドタバタを「混乱」として否定的に捉えるのは誤りである。政治の歴史は、意思決定の透明化の方向に進んできた。結果として見苦しいものが見えてしまうことも少なくないが、それは進歩・発展の結果であり、かつ全ての議員が切実に自分の意思を追求した結果でもあり(公開下であれば、サボってたらバレるから)、僕は国民が甘受すべきことだと思う。

 既存大マスコミは、ブラックボックスを取材して面白おかしく書けばスクープになる。すべて公開下で行われると、みんなが同じものを見るのでニュースが作りにくい。だからブラックボックス化を求めているのではないか。だってインターネットメディアとかって、そこまで追いかけないもんね。専業の記者を抱える大マスコミしかできないのだ。官僚もその方がうれしいかもね。こっそりといろんな仕掛けをできるから。その大マスコミの扇動に乗るのは、日本を誤った方向にも導きかねない。今だからこそ、敢えて警鐘を鳴らす。

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2011年6月 3日 (金)

不信任案とその顛末について

 6月1日に自民党・公明党・たちあがれ日本の3党により提出された不信任決議案は、翌2日に現総理が前総理をペテンにかけてハメるという前代未聞の詐術により、否決された。今日はすでに委員会での審議が進められている。

 このことについて、このブログやフェイスブックなどでもいろんなコメントをいただいた。やはり「そもそもいま政局なんてしてる場合じゃないだろ!」という怒りと「もう政治は信じられない」という嘆き。いずれも、本当ににそうだなあと思う。

 ただ、自民党などが不信任案を提出した背景について、すこし補足をさせていただきたいと思う。

1.不信任案によって政治が混乱した!何をやってるんだ!

→不信任案は6月1日夜に衆議院に提出され、6月2日夕方に否決された。それに要した日数は1日たらず。今日は粛々と審議が行われている。混乱したのは政治でも国会でもない。民主党だ。

2.そこまで自民党は自分が政権をとりたいのか?

→そもそも民主党内が一枚岩であれば、野党提出の不信任案は否決される。否決されて当たり前のものがこんな騒ぎになったのは民主党内がごたごたしたことに責任がある。仮に可決されたとして内閣総辞職になっても、後継の首班指名で自民党が多数をとれる保証はない。また解散総選挙になっても同じことだ。この災害時に解散総選挙なんてあり得ないことだが、解散風を吹かせたのも菅総理の周辺だ。要するに、自民党が与党になるために不信任決議案を出したわけではないのだと思う。

3.ではなぜ不信任案を出したのか?

→あれだけの大震災があれば、与野党問わず一致協力してことにあたりたいという気持ちは皆当然ある。だから震災復興法案も与野党協力で修正協議がまとまりつつある。一方で、菅総理の姿勢や行動が、例えば電話一本で谷垣さんに入閣・連立要請をしたことをはじめ、相手の立場も全く考えず独善的なパフォーマンスに走り、また福島原発問題で明瞭なように指揮・情報系統がばらばらで、何が正確なことなのか答弁もコロコロ変わり、協力しようにも協力しにくいものだった。震災から3カ月弱ガマンして付き合ってきたが、被災地支援の進捗もはかばかしくない。だから提出したのだ。

 「不信任」とは、文字通り「あなたは総理大臣として信用することができません」という国会としての意思表示だ。院の構成はかわらないから次も民主党の総理が順当である。今回の事故にあたり、原発を推進してきた自民党の責任だってある。それも含めて、だから前回選挙で国民の皆さまの信頼を失い野党なのであるし、僕も浪人してるのだ。そして野党としてできることをしたかった。菅さんでなければ、与野党協調の話ができるという期待はあったと思うし、その結果として与野党協力体制ができたかもしれないし、物事の意思決定がよりスムーズになり被災地支援も進んだかもしれない。あくまでも「たられば」だが。

 そして、菅総理はやっぱり信用できない人間だということは、不信任案に反対した民主党諸氏にすら、今回骨身にしみてわかったのではないか?政治家とて人間である。信用できない人と協力することは、いくら震災下としても、本当に、とても難しい。鳩山さんと菅さんのあいだの覚書でも「自民党は政権に戻さない」ことだけは合意できたようだ。そういう相手と協力って、とてもとても難しい。

 残念ながら自民党は現在野党である。野党にできることは意志表示しかないのが現実(そして行政・政治の責任をとるのが与党代表兼内閣総理大臣だ)。「しっかりしろ!」というご批判は甘受するが、しっかりした意思表示をさせていただいたのが不信任決議案である。バイアスがかかったメディアの報道を鵜呑みにするのではなく、できれば、提案理由などお目通しいただき、私たちの主張の内容にもご理解をいただいた上でご意見をいただけると、とてもうれしい。

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