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2011年4月27日 (水)

被災地の模様

 トラックで南相馬市、相馬市、新地町を訪問。いずれも東日本大震災における大津波の被災地。津波の爪跡は未だ極めて生々しく、正直、言葉がない。本来、集落や田んぼであったところが、一面の泥地として広がる。そしてその中のそこかしこに、家の基礎があったり、車などが転がっていたり、高圧電線の鉄塔が倒れて泥まみれになっていたりする。その中を、自衛隊の方々が捜索や片付けの活動を黙々としている。新地町では、岡山県奈義町の日本原駐屯地の部隊が活動しており、現地の方からは「岡山の自衛隊の方には本当によくしていただいた」とおっしゃっていただき、少しうれしく感じた。また、運んだ支援物資も大層喜んでいただけた。

 サーフィンのメッカとして有名だった砂浜は、地盤沈下により砂浜ごと無くなっていた。その先に見える火力発電所は、タンクがへちゃげていた。道路を走れば、普通のきれいな舗装道路でも突然段差があって頭をぶつけたりする。各地の方にお話を伺ったが、「このあとご遺体の確認に行きます」というようなお話があり、まだまだ到底「復興の鎚音が」などという景気のよさげな状況ではない。現場の空気では、増税なんて全くあり得ない話。明日で、被災から四十九日。合同法要の掲示がちらほら目に付く。

 同時にその一方で、道路一本隔てて津波が来なかったところにはごく普通の家庭や日常があり、多くの方がそこで生活されていた。津波が届いた場所とその先では、風景が全く異なる。それが一線を境に隣り合って存在している。秩序と破壊が並んである。その線を越えたら、もう日常の風景なのだ。このギャップは、正直、報道ではわからなかった。そしてむしろいま生活している方々も、原発事故の余波やさらにその風評で今後苦しまれることになるのではないかとも感じた。南相馬市でも、相馬市でも、新地町でも、「ここは安全なんです。こうやって自分たちここで頑張ってるってことを、ぜひ多くの方に伝えてPRしてください!!」と言われた。
 
 夜、亀岡先生の緊急集会に同席させていただき、福島の地元の方の生の声をお伺いした。原発事故の早期終息などの訴えもあったが、一番ショックだったのは「県外では福島の女性はお嫁に要らないと言われていると聞いた。子どもたちの将来が心配だ」というもの。その場で福島県外から来た唯一の人として、本当に恥ずかしく情けなく、申し訳ない思いをした。率直にその思いをお伝えした上で、倉敷にて「福島のお酒を買ってきます!」と注文をとったところ、次々と追加注文をいただき合計50本にも上ったことをご紹介し、「心無いことを言う方も確かにいます。でも、心ある方もたくさんおられることを、ぜひお心に留め下さい」とお話した。すこしでも、励みにしていただければと思う。

 そういった言葉を「風評」とひとくくりで言ってしまうが、その対象となった方々にとっては、ひとつひとつが極めて心ない、せつない、胸のつぶれるような言葉だろう。被災地の外にいるものこそ、深く気に留めなければならない。

被災地の模様

(写真:撮影地は海岸から2Kmの地点。左側に70戸、右側に90戸の集落があった、と説明された場所。手前は自衛隊のトラック。南相馬市原町区)

被災地の模様

(写真:上の写真のすぐ左手。津波の被害を受けた高齢者施設。南相馬市原町区)

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(写真:倒壊してしまった高圧鉄塔。南相馬市原町区)

被災地の模様

(写真:サーフィンのメッカだった海岸。沈降により砂浜が消失。先に見えるのは東北電力原町火力発電所(停止中)。南相馬市原町区)

被災地の模様

(写真:説明してくださる熊倉・相馬市議。津波でご自身の奥様を亡くされながら、毎日、地域の方々のご遺体の確認にあたる。「長年お世話になった地域への恩返しのつもり」と。相馬市磯部地区)

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(写真:陸上自衛隊日本原駐屯地の方々による掲示。新地町役場)

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24.東日本大震災」カテゴリの記事

コメント

お疲れ様です。

全国から「被災地のために何かしたい」という声が上がる一方での風評被害・・・一体何なんでしょうね。「日本人にも色々な人がいる」ということなんでしょうか。

投稿: 観音寺 | 2011年4月28日 (木) 18時48分

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