被災地の様子(その2)
今朝は、まず亀岡事務所のご紹介でJA新ふくしまを訪問。倉敷・早島で、福島産の果物や野菜などの即売会などをすることができないかとご相談した。やはり、原発の風評被害や出荷制限などがあり、思うように商売にならない様子。「安全第一だから出荷制限がかったものは出すわけがない」と。しかし実際には安全なものでも「福島県産」ということで流通に乗りにくい。お力になれるよう、タイミングなどを見てお声がけをいただくようお願いしてきた。組合長さんがぽつりとおっしゃった言葉が心に残った。「作れるだけ恵まれている。売れるかどうかなんて贅沢な悩みだ。浜の方は家も田んぼも全部なくして、作物を作ることもできない人もいるのだから」と。
その後亀岡事務所に戻り、積み荷を引き渡す。避難所では野菜ものが不足しているようで、お漬物が特に喜んでいただけたようだ。また、美味しい日本酒の調達もできた。本来ならそこで今回のミッションは終了だが、予定を延長して宮城県まで足を延ばすことにした。宮城3区の西村明宏・前衆議院議員の地域も津波で大変だから物資を持って行ってくれよ、と亀岡よしたみ先生から依頼され、水や洗濯機などをトラックに積んで福島を出発。
東北道で宮城県に入って白石ICまで行き、角田市から山元町に抜けた。この山元町も津波被害の大きかった地域。普通に国道や県道を走っていても、津波により荒野になってしまった地域が眼前に広がる。おそらくは発災当初からはかなり整理も進んでいるのだろうが、それでも全てが流された跡を見ると、言葉がない。どれだけの方がこの中に呑まれてしまったのか。。。無言になりながら、亘理町を経て仙台東部道路に入り、名取市の西村事務所に向かった。福島県よりも宮城県に入った方が、建物や道路に地震の被害が多いようだ。路面の補修も進んでいるが、それでも段差が多く徐行気味に走らなければならない。それだけ地盤の沈下が大きかったということだ。建物の壁面や地形の斜面が崩れているのも見かける。
西村事務所では、ご本人は所用のため不在であったが、ボランティアの菊田さんから、仙台付近での震災時の様子などをお伺いした。政令指定都市の仙台でも、3週間程度はガスや水道、物流などがに不自由な状況だったことなどをお伺いし、改めて災害の大きさを認識させられた。夜は、仙台郊外の宿泊施設に。札幌市やさいたま市、東京都23区など多くの自治体の救援派遣の方々と一緒になった。明日、もう少し被災地の視察を行い、帰途に就く予定。
(写真:津波により流されたと思われる自動車。亘理町)
(写真:復興住宅の建設も急ピッチに進む。亘理町)
(写真:西村明宏前衆議院議員の事務所。張り紙が水に不自由だった時を物語る。名取市)
(写真:札幌市災害派遣の車両。他にも各地の車両があった。宿舎の駐車場にて。仙台市)
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コメント
たまらんですね・・・。
投稿: かめ | 2011年4月28日 (木) 22時25分
大変お疲れ様です。
津波跡、かつては住宅等が立ち並んでいたのでしょうか。
現在は少しはライフライン等が復活しているのですね。
ところで、避難所では野菜類が不足しているのですか(保存がきいて簡単に食べられる野菜類ってなかなかないですもんね)
「野菜チップス」系も良いかもしれませんね(やや高いかもしれませんが)
あと、コンビニで売っているような「ドライジンジャー」なども体が温まっていいかもしれません。(夜はまだまだ冷えるでしょうし)
例えばこんなものがあります。ご参考までに。
http://www.kyoritsu-foods.co.jp/product/detaile/4901325234117.html
http://www.kyoritsu-foods.co.jp/product/detaile/4901325222015.html
投稿: 観音寺 | 2011年4月29日 (金) 16時44分