昭和の日
今朝は早朝朝起きの会からスタート。街頭演説後、浅原にて祭典。午後は日本会議岡山設立10周年記念大会。その後はあいさつ回り。
「昭和の日」とは考えさせられるネーミングである。まさに近代日本の波乱を受けたのが昭和の時代だった。そして今なおその傷痕はあちこちに残る。目に見えるものでは竹島や尖閣列島、北方領土、あるいは沖縄を中心とする基地。あるいは法律や習慣・文化・思想まで、広く見られる。拉致問題も含めるべきだろう。
以前、米軍厚木基地を訪問した際、マッカーサー元帥の像が建っていたのを見たことがある。米軍基地の中に米軍の将軍の像があることにもちろん何の異存もない。しかし台座に書いてあった言葉が今なお忘れられぬ。「日本の民主主義の生みの親、マッカーサー」とあったのだ。日本の国会には明治以来120年以上に及ぶ歴史があるのだ。それを無視されてはたまらない。こんなに腹が立つことはない。
このような昭和の歴史の爪痕を、現実の外交の中で根気強くひとつひとつ是正していくことも、政治家としての自分の仕事であり、保守政党としての自民党の仕事なのだと思う。
| 固定リンク
「17.国際平和貢献・外交・安全保障」カテゴリの記事
- 訪中の記(日本国際貿易促進協会第47回訪中代表団として)(2024.07.09)
- 日中次世代交流委員会第七次訪中団レポート(2019.09.01)
- 先の中国訪問における孔鉉佑氏の発言について(2017.09.07)
- 中国訪問記 ― 北朝鮮ミサイル問題、一帯一路、貧困対策(2017.09.03)
- 外交部会長を振り返って(2016.08.02)
コメント
ヤフーニュースか何かで、「昭和」と聞いて浮かべる第一位は「太平洋戦争」とありました。
政治家が向こうみずで間違った方向に主導すると、多大な犠牲が出て、ときに国民の命が簡単に投げ捨てられます。
残念ながら、戦後も与党(自民党)の誤りによって、国民の命や人生がないがしろにされたケースは多くあります。最近では、司法改革もその典型として後世「大失敗」と評価されると思います。
私は自民党支持者ですが、岳先生には、ほかの政治家が「見過ごす」ところもきちんとケアしてほしいと思います。医療分野に関してはすでに自民党でも有数の見識をお持ちだと感じていますが。
応援してます!
投稿: 桃太郎 | 2009年4月29日 (水) 20時13分
岳先生は、臆せずに発言する勇気がありますね。私なら、小沢さんや鳩山さんがいたら、足がガクガクすると思います。
たぶん、岳先生にも、面座したら会話にならないんじゃないかと思います。
今日は、九州の住吉神社にお参り致しました。日本最古の住吉神社だそうです。私も昭和の生まれですが、昭和天皇がお亡くなりになった時のことは、子供心に印象的でした。テレビが突然、全て真っ暗になり、「崩御」の文字が躍っていました。我が家は、全くの庶民でして、学校から帰ってきた兄が、小学校の先生から「戦争責任者が死んだ。」と教えられたと伝えたことを覚えています。福岡は、日教組の先生がたくさんいましたから、その影響でしょう。両親は、団塊の世代らしく「あ、そう」とまともに受け入れていたようでございます。
時は平成に移り、平成育ちが成人となってきましたが、私も含め、戦後育ちが大半となりつつあります。昔の戦争の映像をYou Cubeで観ていると面白い標語を見つけました。それは女性陣に向けて創られたもので、「兵隊さんは、命がけ。私たちはタスキがけ。」というものです。
母方の祖父も関東軍時代の話をする時は、獣医だったこともありますが冒険活劇のような語り口調で、敗戦で逃げ惑う中、ロシア兵に見つかって銃口を向けられ、危うく殺されかけた瞬間、機転を利かせて「スバシーバ(ありがとう。)」と何度も大声で言って土下座をし、ロシア兵の笑いをとって難を逃れたことや、引き揚げの混乱時に、中国人達に幼子の叔父を売れ、と声をかけられたが断ったこと、井戸に毒を盛れと上官に命令をされたが、「入れました」と嘘を報告したこと、等々、戦友達と語していました。
厳しい中でも、明るく生きようとしていたんだなあ、と想像します。
父方の祖父は台湾に住んでいましたが、戦後に同様、引き揚げて先祖の大和(福岡の大牟田)の地で、茶を売って生計を立てておりました。立花藩士の血を継いで、日本刀を、時々、手入れしていた記憶があります。
平時に有事を忘れず、有事に明るさを忘れず、ありたいものです。
投稿: かめ | 2009年4月29日 (水) 23時22分
★☆★祝日には国旗を掲げる我が家ですが、昭和天皇さまの誕生日である『昭和の日』に国旗を掲げる時には、『崩御』という文字を思い出すためか、少しさびしい気持ちになります。★☆★☆★
投稿: 天然石ネックレス | 2009年5月 1日 (金) 12時42分