« 景況感 | トップページ | 新年会・二院制 »

2009年1月10日 (土)

バッファーとしての故郷

 年越し派遣村などの報道が相次いだ。また先日も三菱自工水島製作所にて人員削減の追加発表があった。雇用環境の厳しさはなお募るし、おそらく今後しばらくさらに辛いニュースが続く覚悟が要る。

 もちろんギンガマンさんのコメントのように派遣という労働形態のあり方も問われなければならない。同時に年末・年始の派遣村の報道などで私が感じたのは「身寄りや実家に帰れない人がこんなにいるんだ」ということ。もちろん事情はそれぞれにあるのだろうが、いずれにしても「一旦実家に帰ってじっくり仕事を探す」という選択肢をとれないから、いきなり路頭に迷うことになるはずなのだ。「故郷」はどこに消えた?

 家族形態の話でもあり、地域の話でもあり、産業構造の話でもある。社会保障も関係してくるだろう。たとえば限界集落の問題の裏面が派遣村なのかもしれないし、都市独居の問題の裏面が派遣村なのかもしれない。農業を稼げる産業にすれば、派遣村は不要になる筈だ。

 われわれが切り捨てたものが何なのか、この機会に見直さなければならない。

|

« 景況感 | トップページ | 新年会・二院制 »

07.経済・景気・雇用」カテゴリの記事

コメント

 故郷は、どこに消えたんでしょうか。
かつて、日本民族のみならず、誰もが農業をして、少なくとも、ご飯を食べて「生きる」という最低限度の営みが可能だったはずです。現在農業従事者は国民の1割ほどだといいます。地球の人口が60億とも70億ともなろうかという時代に入り、先進国は既得権益と各種の先行権益を以って自国民を守ることが可能でしょうが、他の新興国や後進国は自国の食を護るために、いつ食料の奪いあいが起きるかわかりません。日本は産業立国の実現のために、国民の基本的な生存権の基になる第一次産業への目線を大幅に見失ってきたつけは恐ろしい未来となって現出するに違いないでしょう。

投稿: 聖徳太子 | 2009年1月12日 (月) 17時54分

いまさらですが
派遣の身として一言
派遣村のような連中と一般の派遣社員を一緒にしてもらいたくない。
派遣を切られたらいきなり無一文になるような輩や無一文の癖にタバコをすいながらインタビューに答える輩
ああいう連中と一緒くたに考えられると非常にむかつきます。
派遣としてまじめに生きている私のような人間もいます。
ああいうのを見て派遣は悪とは言ってほしくないです

投稿: dai. | 2009年2月10日 (火) 12時59分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: バッファーとしての故郷:

« 景況感 | トップページ | 新年会・二院制 »