推理小説に学ぶべきこと
欧州出張の際、それまで積ん読状態だった『オイディプス症候群』(笠井潔)、『龍臥亭幻想』 (島田荘司)の二冊(正確にはそれぞれ上下巻に分かれているので四冊)を持って行き、読み始めた。移動中くらいしか読む時間がなくなかなか進まなかったのだが、先日読了した。両方とも圧倒的なボリュームがあり「推理小説を読んだ!」という充実感と満足感は著しいものがある。
振り返ってみれば、ミステリ読書歴は中学生以来だ。おそらく鉄道少年だったため、西村京太郎のトラベル・ミステリーあたりから読み始めたのではないか(余談だが、総裁選の最中に、石破茂先生と「『寝台特急殺人事件』ってありましたよね!」「そうそう、『出雲』が爆破されるんだよね!」とかいった話題で一致して盛り上がったことがあり、ビックリした)。その後、文春文庫の『東西ミステリーベスト100』という本を発見し、そこに掲載された作品を乱読状態で読み、多感な?思春期を過ごしていたような気がする。
推理小説を読みつけると、書いてあることをを疑って読む癖が身につく。ある記述の裏に、何か書かれていない意図や事実があるのではないか?おかしなことが紛れ込んでいないか?偶然と作為が混ざっていないか?ナドナド。こういう習慣は社会人としても国会議員としても有益だ。官庁の作文を全部額面どおり信じて理解したら議員はやってられない。文字面に現れる嘘をつくことこそほとんど無いが、必要なことが書いていない程度のことは珍しくない。そこを確認して見抜くのは読む方の能力と責任だ。
もうひとつ別次元の話として、推理小説は常に「死」を考えるきっかけになる。人間は生きている限り死を避けることはできない。しかし無用な死は避けたい。安全保障、社会保障、その他さまざまの政策は、その間を揺れ動く人間のささやかな組織的抵抗だ。しかし同時に「死」を視野に入れないの議論は間違いのもとである。にも関わらず、人の死から目を逸らすような政策論議が多すぎるのである。例えばどれだけの人が日本の死因究明制度について知っているであろうか(注)?あるいは、日本の医療を語る中で、終末期医療の問題は何故なかなか取り上げられないのか?または、何故折角取り上げたのに長妻昭議員に「高齢者いじめ!」という不当なレッテルを張られて取り下げることになるのか?そういうことを思い起こさせてくれる時もある。
ということで、また今日も岡山駅のキオスクで一冊買ってしまった。いつ読めるかな…。
(注:この件について、民主党は既に法案を提出していることは敢えて特記しておく。)
(写真:買ったのは『光る鶴』(島田荘司)でした。)
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